最近は山国への旅行が続いている。昨年の夏にはインドヒマラヤ、秋にはネパールの山村めぐり、今年もまたインドヒマラヤを再訪してそしてスイスである。たまには、海が見たい!と思うこともあるけど、まあ、もともと海より山への気持ちが強く、縁あってスイスに行くことが出来たのも必然だったかも…。そうすると、次はアフリカ、キリマンジャロ、あるいは南米アンデスか、などと期待が膨らむこともあるけど、これはお話だけ。インドもネパールもまだ終わっていないし、許されるなら、ずっとヒマラヤを旅するのも悪くないな~、と思うこともある。
アンデスもいいところなんだろうけど、ヒマラヤから鞍替えする理由が見つからない。それはたぶん、ヒマラヤもアンデスも、僕の頭の中ではそんなに違う世界ではないから(サドゥーはいないだろうが…)。というか、仮にアンデスを訪れたとしても、僕はヒマラヤを旅してきたようにアンデスを旅するような気がする。それなら二股かけるんじゃなくて、ヒマラヤだけ(もちろんインド大陸全体も含めて)でいいじゃないか、という気持ちがずっとある。
そんなことを考えている人間にとって、スイスというのはあまりに突拍子もなく、逆に新鮮だった。きれいに刈り込まれた人工的な牧草地(アルプ)と花で飾られた家々、そしてその背後にそびえるアルプスの風景は、晴れてさえいれば、360度、どこを見てもまるで絵葉書のようである。これを素朴な山の世界、と思う人はほとんどいない。ハイジは遠い過去の話である。当然、ヒマラヤかアルプスか、と頭を悩ませる必要もない。
以前、スリランカを旅行したときは、似てるんだけど、やっぱりインドだな~、という思いをずっと引きずっていたし、マレーシアを旅行したときは、インドレストランばかりに通いながらもやっぱり本場のインドがいいな~、と思ってさっさと退散した。でも、これがスイスなら、比べるほうがおかしい。
スイスは九州ぐらいの面積しかない小さな国だが、国境を接する国を見れば、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、そしてリヒテンシュタイン、最後のリヒテンシュタインをのぞけばどれもヨーロッパを代表する国ばかりで、ついでに言えばワールドカップの強豪ばかり、スイスももちろん強い。サッカーの話はともかく、スイスはヨーロッパ列強国に囲まれながらも畏縮したり過度に反発することなく永世中立国として発展してきた。成功した国、という意識はスイス人の中でも強いらしく、ここもヨーロッパを象徴させる国の一つだと感じた。
観光客にとってのスイスというのは、やはりバカンスとハイキング、それからスポーツ(特にウインタースポーツ)の国である。さらにいえば、山岳鉄道とロープウェイと展望台の国である。山岳鉄道の歴史はたぶん世界一古い。上の写真は、標高3454メートルのユングフラウヨッホという展望台から下りてきた列車だが、これが出来たのが何と約百年前の1912年。この路線は途中からトンネルの中に入って上へ上へと走り続ける。標高ではこの路線が一番高いが、そのほかにも有名な山岳鉄道がいくつもあって、観光客に大人気なのだ。
こうした技術はもちろんスイスだけが持っているわけではないだろう。たとえば日本でも、富士山への山岳鉄道が計画されたことがあったらしいと新聞で報道されたことがあった。計画が立ち消えになったのは何の問題だったのか忘れたが、その根源にあるのは、やっぱり富士山はまずいだろう、という日本人の気持ちである。日本人のこころ、霊峰富士である。もちろん富士山だけではない。日本人のそんな気持ちがなかったら、日本にも多くの山岳鉄道が開通していたかもしれない。
では、スイス人には日本人にあるようなそんな気持ちがないのか、といえば、まったくない。ないから出来るのである。しかも、苦労して作られた山岳鉄道の始発がひどく遅い。だから日本人がもっとも大切にするご来光は見ることが出来ない。というか、多くのヨーロッパ人にとって、ご来光は問題ではない。今回、山岳ホテルに一泊したが、ご来光を見るために早起きしたのは日本人の団体と僕だけ、そういえば夕日を見ようと粘っていたのも日本人だけだった。
山岳鉄道の始発が遅いもう一つの理由は、あるいはプライドの高いスイス人が、そんなに早くから働きたくないよ、といった意味合いもあるかもしれない。スイスには百万人以上の外国人も居住しているが、鉄道の運転を彼らに任せることはないだろう。鉄道はスイスの誇りである。反対に列車販売には多くの外国人が従事していた。
インドの話だが、山岳鉄道といえば、南インドのパラニという街にもそれらしきものがあった。ただし鉄道は途中まで、ムルガン神を祭った山頂は土足厳禁、写真厳禁である。これはインドでは珍しいことではなく、女人禁制の山もあるし食べ物飲み物の持ち込み禁止の山もある。もちろん上には神様が祭られている。日本の古い文化というのは基本的にはインドと共通していて、昔はそこらじゅうに女人禁制の山があり、今も奈良の大峰でそれが続けられている。沖縄では反対に男子禁制の山がある。こうした風習のすべてに差別がないわけではないが、多くは古いシャーマニズムの思想からきている問題である。
またまたスイスに話は戻るが、スイスに限らずヨーロッパでこうして多くの山岳鉄道が作られ、ロープウェイがひかれ、展望台が作られてきたのは、やはり訳がある。古いヨーロッパ的な解釈では、山には悪魔が住んでいた。そして今、山は悪魔から開放され、晴れて人間のものになった。そこで人間の、山における確固たる地位を象徴するために作られたもの、それが山岳鉄道だった。僕が今回のスイスで強烈に感じたのはそういうことだった。だから山であろうがどこであろうが、そこには平地の街以上の贅沢と快適さが要求される。山なんだから質素にしろよ、という日本の旧来の山小屋とは根本的に考え方が違う。スイスに来る観光客の多くは山に贅沢をしにきている。世界一の風景を世界一の食事をしながら楽しみたいのだ。さすがはルネッサンスの本場である。主役はあくまで人間でなければならない。だからご来光なんてどうでもいい、というより、何で朝っぱらから寒い思いをして日の出を待たなければいけないのか、といったものだろう。
そういうことでいえば、アルプスに行こうがヒマラヤに行こうが日本人は日本人だな~、とあらためて思う。今回は行けなかったが、マッターホルンを見る展望台ゴルナーグラートへの山岳鉄道は日本人に大人気なのだという。加えてこの地の山岳ホテルも日本人だらけだという。正直言うと、僕もここに泊まってご来光を拝みたかった。
久しぶりに長文を書いて疲れたので今日はこれくらいで。ただ、少し最後に付け加えておきたい。僕は今回、ガイドブックの撮影でスイスに行った。それなのに、何かスイスの悪口を書いている、と思われるかもしれない。だから断っておくと、上に書いたことは別に悪口とは思っていない。実際、スイス以外に、これほど豊かな観光施設に富んだ山国がほかにあるか、といえば、まずないだろう。硬い言い方をすれば、山岳鉄道をはじめとする観光施設とスイスの景観は、自然に対する人間の歴史の一つの象徴であるような気がする。それを見て体験するのは、少なくとも面白いし、楽しめる人にはそれが存分に楽しめるの国、それがスイスである。行く価値があるか、といえば、十分すぎるほどその価値はあるように思う。
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