海辺のレストランで

puri100puri13ちょこちょことある作業をしていて、気付くと何日も過ぎてしまった。まだ作業は終わらないが、少し気分転換をしたい気分。というわけで、今回は今年の春に行ったときの写真から、プリーの海辺のレストラン、ピンクハウス。名前はちょっと怪しいが、別に何ということもないゲストハウス付属のレストラン。従業員の話によると、ひどく古いらしい。あのサンタナロッジよりも古いと言っていたが、本当かな?内装は70年代がかっていて、なかなかいい雰囲気だ。目の前には、写真にあるとおり、庭にいくつか椅子、机が並んでいて、その向こうが浜辺になっている。行ったときは朝の光で風景がちょっと黄色っぽくてこれもまた味わいがあった。
プリーには数日しかいなかったが、なんともいえないくらいに良かった。シーズンオフにはいったこともあって、どこのレストランも人がまばら。そうでなくても最近、ツーリストの数は減少傾向にあるという。東海岸は地味だから駄目らしい。僕にとってはまさに理想の土地なんだけど…、まあ、人が少ないというのは個人的には大歓迎だな。
puri101またピンクハウスでお茶がしたい、…ということで、好物のCold Coffeeの写真もアップ。ちなみにインドではアイスコーヒーとは言わない。ブラックなんかはなくて、牛乳とインスタントコーヒー、それに砂糖をシェイクした飲み物。インスタントコーヒーをケチる店が多いのが欠点だが、ピンクハウスのものはなかなかおいしかった。
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春のインド旅行ですが、じつはこれ、「地球の歩き方」の取材でいったものでした。取材分の05~06版はすでに出版されています。クレジットがないので、どの写真が、というのは難しいのですが、裏表紙、インドへの誘いのページ、あとはデリー、ジャイプール、アーグラー、ヴァラナシ、ビハール、オリッサ、カルカッタなどを中心に、撮ってきた写真が掲載されています。

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ガンジス川の朝、そしてインドへ…

ganga02「2005年春インドの旅」は今日でいったん休止になります。というのも、明日から再びインドを目指します。約一ヵ月半、とりあえずガンジス川(ガンガー)源流付近の山々を歩く予定です。最後の写真はヴァラナシの朝、ガンジス川の向こうから上ってきた朝日です。これをさかのぼれば、いったいどんな風景が待っているのかな?もし可能なら、簡単な現地報告もしたいのですが、なにぶん山の中なので、…どうなることでしょう。

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小さな神様

bodhagayagirlインドのテレビコマーシャルで、チャイ屋の少年がティカップを持ちながら踊るような場面があって、いいなあ、と思ったことがあった。どこにでもいるような少年だが、似たような少年を探そうとしてもこれがなかなか見つからない。この少年には、やはり特別なオーラがあるのだ。まるで「小さな神様」のようなもの。
今回の旅で、やはり、ある特別なオーラを持った一人の少女に出会った。出会った、といってもそれは一瞬のこと。夕暮れの田んぼから走りあらわれた少女の姿はまるで妖精のようで、デジタルカメラの液晶に写った自分の姿を見ては何度も笑い転げた。その様子がとても魅力的、というより実はもっと深い感動があったのだが、それは言葉ではうまく表現出来ないもの。そんなとき、カメラマンで良かった、と僕はいつも思う。
少女の写真を撮ったのは仏教の聖地ブッダガヤ。有名な聖地だが、このあたりはインドでもっとも貧しく治安も悪い場所の一つ。そんなところに「小さな神様」である少女が遊び、古くはブッダが悟りを開いた、というのはなんだか奇妙な気がするが、それがインドの不思議であり、旅行者を惹きつけてやまない魔力にもなっている。

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幸福の大地インド

village10はじめてインドの写真を雑誌に掲載したときにつけたタイトルは「幸福の大地インド」であった。インドが幸福かどうかというのは人それぞれに意見があるし、僕もまた、単純にそう思っている訳ではもちろんない。実際、病気や貧困に苦しむインド人は日本人の想像をはるかに超える。でも、病人であろうが貧民であろうが、彼らには彼らの喜びもあるし、楽しみもある。貧民をただ貧民としてくくることは出来ないし、かわいそう、と単純に同情するのも傲慢すぎる。彼らは全体的につつましく、個性を強調することも少ないが、一人一人の命の輝きというのは誰も変わるところがない。変わることがないのは人間だけではない。動物も植物も、そして大地宇宙も含めてそうなのだが、これは発見でもなんでもなく、インドの様々な場面で見聞きしてきたことだったし、インドの古い経典や伝説にも繰り返し語られている。
写真はオリッサ州の田舎の村での光景。夕方の光が林のなかをうっすらと染めている。夕暮れ、という不思議な時間のなかに、誰もが静かに包まれている…。

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ガンガーのほとりで

varanasigirlvaranasibaramonヴァラナシ、ガンガー(ガンジス川)ほとりの二つの光景を紹介したい。まず左の少女。精霊流しのための花の皿を作っている。ここに火を点し、夕暮れのガンガーへ解き放つのがヴァラナシの古くからの風習である。それはともかく、おもしろいのは少女の座り姿、人間というよりまるで鳥である。止まり木の上でバランスをとるかのような少女の姿は、どことなくヨーガのポーズのようでもある。このような座り方は北インドでは普通で、僕もよくするが、南インドではあまり一般的ではなく、それは下層民のポーズだ、と注意を受けたこともある。まあ、下層民でも鳥でも何でもかまわないが、僕としてはこうしたポーズでいることによって、大切な被写体である下層民の心を掴みたい、といった狙いもある。すべての始まりは物まねから、ということで、インド人もやはり、鳥への変身願望でもあるのかもしれない。出来れば一緒に鳥にしてほしいところだが、さて次は右の写真。
パンツ一枚のおじいさんは、歯磨きしながら足を洗っている。口にくわえているのはただの歯ブラシではなく、ニームという木の枝であり、古代から歯磨き棒として使われているものだそうだ。田舎ではまだまだこれが一般的、何かの作業をしながら木の枝でガシガシやっているのが何となく原始的だ。それにしても、おじさんの頭、髪の毛の残りぐらいがちょっと奇妙…。すべてはあるがままに、ということか。インドでは、鼻毛や耳毛がぶわぶわ出ている人なんかもいてはじめは驚くが、慣れてくるとそれはそれかな、と思えてくる。もちろん、みんながそういうわけではない。他人がやっていることをあまり気にかけないのがインド風。勝手にやってくれ、といった放任主義が横行している。それでも最近は、経済急成長のお陰でちょっと小うるさい人間が増えたような気もする。とはいえ、10億の民のなかではそれも少数派。ところで、写真のおじいさんはこれでもバラモンだ。肩にまいている聖紐がその証である。

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インド旅写真

varanasiyoruvaranasiasa相変わらず、ちょっと外したような写真をちょこちょこ探しては、ブログで発表している。ブログだからこの程度の写真を、という意味ではなく、そんな写真の中にこそ、忘れられた旅の断片が埋もれているのではないか、という期待からである。何となく撮った写真というのは、逆に言うと、何かしらの内面的な理由があるのかもしれない。でも、それは本来、言葉には還元出来ないもの。もやもやとしたものが色と形になってあらわれてくるのが魔法のようでたまらない。
一応写真の説明を。両方ともヴァラナシである。左は夜のバザール。バザールの賑わいはいろいろあるが、ヴァラナシの賑わいは一種独特、言い知れない空気がただよっている。次に右の写真。これは早朝のガンガー(ガンジス川)のボート屋さん。インド人の顔というのは人にもよるが、何というか、見ていてほっとさせられる。一緒にいても、僕は何も構えない。自然な気持ちでいられる。彼らが格好をつけないから、こっちも自然体でいられる。…おじさんの顔を見ていて、そんな考えがよぎっていったところをふと写真に撮った。

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たった2ルピーの贅沢

varanasichaiこんなさりげない写真が結構好きです。市井の人々、といった感じかな。ところはヴァラナシの路地裏にある小さなチャイ屋、ちょっと小便臭いが、こんなところでちょこっと座り、素焼きのカップに入ったチャイを飲むのがちょっとした楽しみになっている。一杯2ルピー、日本円で約5円。これぐらいだと、地元の人にとってもたいした贅沢ではないだろう。日本でいえば、ドトールで一服、という感じかもしれないが、狭い室内で周囲に気を使いながらコーヒーをすするよりも、こっちのほうがのんびりできる。路地を行き交う人や動物を眺めながら人々の会話に耳をかたむけよう。たった2ルピーの最高の贅沢だね。思い出していると気分が良くなったので、さらに写真をもう一枚!

varanasichai20ちょっと分かりにくいが、これはシヴァリンガ。同じくヴァラナシの路地裏である。葉っぱや花、それに赤い色粉で飾られた姿がさりげなく美しい。こうした神様の世話は、そのへんに住む人々がめいめいするわけだが、彩りがあるものだから、世話をする人間もまた、ちょっとした幸せな気分になれそうだ。

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インド乞食道(こじきみち)

kojiki01気がつくと、ブログが薄気味悪いくらいに静まり返っている。インドのブログとは思えない。ここ三回ほどインド人の顔が全然登場していないのが原因だ。シャンティー(静けさの意)もたまにはいいが、そればかり続いては極めて退屈。というわけで、今回は一転、乞食の話題、しかも写真は三点掲載!
プリーの街をぶらついていると、一人の乞食の子供が「バクシーシ、バクシーシ(金、金)!」とまとわりついてきた。僕は子供には一切お金を渡さない主義だから、まずは無視するつもりだったが、子供のふてぶてしい目付きに惹かれ、ふとした弾みで写真を撮ってしまった。問題はそのあとで、さてお金はどうしたものかと一瞬考えていると、この様子を見ていた仲間の子供たちがワラワラと集まってきてしまった。おっとこれはまずい、と逃げようと思ったが、すでに取り囲まれて身動きできない。しかし、子供たちの要求というのは、予想に反して、ただ「フォト、フォト!」ということで、さらに記念写真を撮る羽目になった。

kojiki02子供たちを整列させていると、後ろから一人のおじさんが。彼もまた乞食である。街の真ん中で乞食の記念写真を撮るというのはさすがに体裁は悪いが、周囲が気にしている様子はあまりない。子供たちは、さっきまで、「お腹が空いて、死にそうだ~」と演技していたのをすっかり忘れ、生き生きとしている。みんなで記念撮影、なんていうことは、初めてに違いない。でも、インドほど乞食が街中ではしゃいでいる国というのは、ほかにないだろうな。

kojiki03何とか記念写真を撮り終え街をぶらついていると、またさっきの子供に出会った。はっきり言って、インドの乞食は疲れ知らずで、むちゃくちゃしつこい。だから子供の乞食にはお金を渡さないのだが、今回はすでに写真も撮った訳だし、あまり知らん顔も出来ないな、と一枚だけ、と写真を撮っていると、右端からまた一人、子供が飛び出してきた。結局、最後は「マネー、マネー」としつこく迫られ、逃げ切るのに5分を要してしまった。まあ自業自得である。
しかしあとで写真を見ると、どれも悪い出来ではない。子供の後ろから野良牛が迫りくる様子など、インド以外ではまず見られない。まさに野良天国、同じ野良仲間である旅行者にとってもたまらない世界ですね。
(この記事は、乞食を揶揄するために書いたのではないことをご理解ください。僕にとっては金持ちも乞食もたいして変わるものではない。どちらも魅力的でおもしろい、ということです)

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プリーの浜辺

puri05今回のインド旅行で一番気に入ったのがプリー。15年前、初めての海外旅行、そして初めてのインド旅行でも、言い知れない安らぎを感じた場所でもあった。
プリーの魅力はやはり広大な砂浜。砂漠と勘違いするような砂場が、何キロも何キロも続いている。東側には巨大な漁村が広がり、西側はインド人用の保養地となっているが、いくら人が押し寄せたところでなんということもないぐらいにだだっ広い。絶えず吹き抜ける風が砂を巻き上げ、風景全体を、何となく黄色い色に染まっているのが幻想的だ。漁村近くの浜辺にピンクハウスという雰囲気のいいレストランがあるので、そこでひたすら座り続けるのもいいかもしれない。雰囲気のいい音楽が流れているし、ふとそれが止まると、今度は潮騒の音が聞こえてくる。プリーはとてもいいところ、また来たいな…。
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chaichaiのトップページにもプリーの写真を採用しました。こちらは漁村の真っ只中。

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市電の走る街カルカッタ

tram01カルカッタの夜は暗い。赤い色の街灯が、ポツリポツリとあるだけで、あとは店の明かりだけ。別に治安は悪くはないが、何となく怪しい空気がただよう。街のそこかしこには乞食や浮浪者の姿、…そして野良犬が暗い路地を走っていく。小さな明かりを点して、客と話し込む占い師の姿、公園の隅には大きなドブネズミ。いい街だね~、と旅情に浸っていると、となりを、市電がガタガタいいながら走ってきた。カルカッタの乗り物としてはあまり込んでいない車内から、インド人の大きな目がいくつも覗いていて、やがて通り過ぎていく。
市電の走る街カルカッタ、インドの中では特別に抒情あふれる不思議な街だ。特に夕暮れから夜がいいが、じつは早朝も捨てがたい。空港から街へ向かうタクシーからの眺めもなかなかショッキングで、インドがはじめての人には特におすすめ。忘れられない旅になるだろう。
ちなみに、僕はムンバイー(当時のボンベイ)が最初だった。あの街は空港のすぐそばに巨大なスラムがあり、空港バスも、そのすぐそばを走っていく。あのときはちょうど早朝のトイレタイムで、男たちが斜面に腰を下ろし、走る車をにらみながら、大便をしている様が恐かった。このときは海外旅行自体が初めてで、これはとんでもない世界に来たものだと、ひどく後悔した記憶が…。

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ナイトオンザプラネット in india

kolkata1以前、「ナイトオンザプラネット」という映画をビデオで見た記憶がある。世界のいくつかの町のタクシードライバーを主役に、夜の街のふとした情景を描いたもので、なかなか良かった。
タクシーに乗る、という行為はどこか非現実めいていて、不思議な気分がする。旅行先でも、旅の最後、空港へ向かうときなどは、ちょっと贅沢をしてでもタクシーを使いたい。夜の街を流れていく無数のライトを見ながら異国の街を走っていると、ふと自分が夢の世界を旅していたような気分になる。見慣れた外国の風景が、また遠ざかっていくような錯覚を覚えるときでもある。
ところでインドのタクシーについてだが、思わぬ失敗をすることがある。というのは、ドライバーがものすごくおしゃべりであったりして、雰囲気をぶち壊してしまうのだ。これはこれでインドらしいともいえるが、旅の最後ぐらいは、旅情に浸らしてほしい。
写真の風景はカルカッタである。オリッサから夜行列車で夜明け時のハウラー駅に到着し、タクシーをつかまえて街へ向かうところ。目の前に見えるのはフーグリー川を結ぶ巨大なハウラー橋だ。刻々と変わる空の色を見ながら、車のほとんどいない早朝のカルカッタを走るのは気持ちいい。ちなみにこのときのドライバーはターバンを巻いたシク教徒の若者で、ぽつぽつと話す様子がなかなか良かった。
話の内容も面白かった。彼は以前車に乗せた日本人のある女の子に一目惚れしてしまったそうで、忘れられない、と繰り返していた。それは一度きりの出会いであり、その後は日本人を見るたびに思い出の中に沈むのだそうだ。まさに「ナイトオンザプラネット in india」…。

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盗賊たちは山を越えてやってくる

rajgil01rajgil02前回につづいてラージギールの写真です。
ラージギールの危険については前回書いた。トラブルの多くは山中に点在するブッダゆかりの場所で起こるようだが、犯人はラージギールの人ではないらしい。ある人の話によると、盗賊たちはラージギールを取り囲む山々の向こうからやってくる。犯罪はたいてい早朝に行われるから、盗賊たちは、夜を徹して山を越え、居合わした観光客を襲って、早々と自分たちの住処へと帰っていくのだろう。インドには、今も盗賊の村、とされる場所がいくつも存在するようだから、ここへやってくる人々もそうした連中なのかもしれない。そう思って見ていると、ラージギールの山々が、さらにまた神秘的な様相を帯びてくる。なんだか、はるか昔の戦国時代を旅しているようだ。
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ちなみに、一枚目の写真は、バザール近くから南西方面にそびえる山、二枚目の写真は、ブッダが説法をしたという霊鷲山(グリッダクータ)へ向かう途中にあるゲート。

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聖地ラージギールの印象

indosyokudouビハール州、ラージギールのバザールにある裏寂れた食堂。裏寂れた、といっても、町中、裏寂れていないところを探すほうが難しいくらい、素朴な街だ。ブッダが長いあいだ暮らしていた場所として知られるが、今はインドでもっとも貧しい地域の中にある。治安もあまり良くない。日本から来た巡礼グループが山の中で襲撃されたこともあったそうだ。襲われたお坊さんは、仏教の聖地でこんなことになるなんて、と怒って、お参りもしないで帰ってしまったという。
とはいえ、この周辺は、インドでもっとも抒情的な場所の一つである。ボロを着た人々とともに平原を歩き、夕陽を眺めていると、ラージギールこそがインドのどん詰まりだ、という変な感動を覚える。じつは14年前にもここに来たことがあり、いろいろなことがあった街でもあるが、久しぶりに訪れても印象は色あせない。
写真の食堂では二度、夕食を食べた。簡単なターリーだけの店だが、味はおいしい。写真の子供は学校にも行かずに働いているようだが、驚くぐらいに素直な性格…。ビハールは、粗雑で横暴な人間がいっぱいいる一方で、じつはとても優しい人々が多く暮らす土地でもある。
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ところでこの写真、とても暗い場所だったのでデジタルカメラの感度を1600に設定して撮影した。かなりざらついているので紙印刷では苦しいが、ウェブならそれほど気にならない。フィルムを使っていた頃は、いちいち感度の違うフィルムに入れ替えるわけにはいかないので、あきらめていたような状況で、気軽にスナップが出来る。不便なところもまだまだあるが、とにかくいろんな状況を撮りたい、という人にはデジタルカメラは強い武器になる。あとは、周辺機器も含めて、ともかくもっと頑丈であってくれれば言うことはない。
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昔ラージギールを歩いたときのことはこちらに書きました。

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楽園ガルタで一休み

monkee02galtausiまたもや動物の写真です。デリーの西、砂漠の入口に位置するジャイプールの郊外に、ガルタという小さな谷間がある。古い寺がいくつか点在し、すぐ近くにまで岩山が迫っている。だいぶ以前に行ったことがあり、いいところだなあ、と思った記憶があった。
街から一度岩山を上り、そこから小さな谷間に下りてくると、そこは猿の楽園。お隣のウッタルプラデーシュ州とは違い、ラジャスターンの猿はおとなしいのでのんびりできる。カメラを向けても威嚇してこない…。
ガルタにはいくつも古い寺があり、そこでのんびりと神様の姿を拝むのも楽しい。宿坊もあるようだから、望めば日がな一日、浮世離れした生活も可能だ。近くには、かの有名な、ヴィパサナーの瞑想道場もあるらしい。ここの特色は、滞在期間中、決して誰とも話さしてはいけない、というルールがあることだ。滞在は最低10日からというから、僕にはまず不可能だが。体験した人の話を一度聞いたが、とても心がきれいになったそうだ(?)。
ヴィパサナーにかぎらず、インドには無数の瞑想道場や巡礼宿があるから、人生にちょっと疲れた人にはぴったりのところだ。巡礼路にはとくに動物の姿(恐いのもいるが…)も多いし、ときにはうるさいインド人も、考えようによっては、とてもフレンドリー、ということになるのかも。どこにいってもお金があまり必要ないのもいいところ。インド人と一緒に巡礼路を歩けば、宿も食事もバクシーシ(ドネーションつまり喜捨)、という世界がまだまだ結構ある。しかも寺の食事はレストランのものよりずっとおいしく健康的。僕自身はカメラ機材を持っての旅だから、巡礼宿には泊まらないが、食事は三食、(お金を出すから)寺で食べたい。
ガルタのことから、話は逸れてしまったが、もともとたいした話でもないので。ガルタはとてもいいところ、ジャイプールに来た折には是非時間を作って訪れてほしい。シャンティー(静か)な場所はどこもそうだが、夕方がおすすめだ。

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ガンガー対岸は夕暮れていく…

houseandc旅行中の写真を見ていたら、こんな写真がふと気になった。
ヴァラナシの街からガンガー(ガンジス川)を渡った対岸で見かけた馬と少年。馬の、ちょっとウルウルした瞳が魅力的だ。彼らの背景もとてもいい。人っ子一人いない広々とした河原がどこまでも続いていく。そして大地を包み込む夕暮れの光は、人のこわばった気持ちを自然と解きほぐしていくようだ。
少し離れたところでは、何人かの男たちがヒンドゥースクワットなどのトレーニングを黙々とやっていた。その隣では、何故か片足を上げ、一本足でたって瞑想している人がいる。夕方の光がヴァラナシの街の向こうへと沈んでいくのを見ながら、何人かの男たちがひっそりと祈りを捧げる。風にのって、夕方のラーガ(祈りの旋律)が聞こえてくるようだ。なんだかとても気分がいい。こんなところで朝日夕日を眺めるだけの人生も悪くないなあ、なんていう奇妙な気持ちになってくる…。

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インドの自然公園

animal10インドはじつは野生動物の宝庫である。デリーから数時間ぐらいバスで走れば、いくつも野生動物が見られる自然公園がある。その一つ、ケオラデオ・ガナ国立公園に行ってきた。
じつはこうした場所に来るのは初めてだった。なんとなくお金がかかりそうだ、というイメージがあったのと、何よりも動物を撮るだけの機材がなかったからだ。今回は取材目的だったから、来ないわけにはいかなかったのだが、これがなかなか良かった。
国立公園近くのゲストハウスに一泊して、次の朝、自転車に乗って、一番乗りで公園にはいった。人のいない大自然の中を、動物たちの気配がいくつもよぎっていく。ここは基本的に渡り鳥で有名な場所だが、いくつかの動物も身近で見られた。何故か牛が多いのはさすがにインドらしいが、狐や鹿の姿もあった。写真の動物は鹿の一種だろうか。鳥では、日本でも見られるが、カワセミの姿が印象的だった。ほかには鷹や白鷺、木々にはリスの姿…。田舎に行けば、バスからでも見られるような動物が多かったが、十分に楽しかった。時間が全然なかったのが残念だったが、もし許されるなら二、三日はうろうろしたいところだ。もし近くに来られる人がいたら、是非おすすめしたい。何より自転車でぶらっと回れるのが気軽でいいし、安上がりでもある。
これがきっかけ、という訳でもないのだが、最近、インドの自然に非常に惹かれるものがある。もし可能なら、どこかの辺境の自然公園で、日がな一日、動物写真でも撮りたいものだ。そしてたまには、近所の先住民の村や定期市、古代の寺院なんかをうろつくのが面白そうだ。デカン高原あたりなら、そういった欲求を満たす、いくつかの場所もあるようだから、実現不可能というわけではない。問題は機材調達ということになる訳だが、ささやかな夢としては悪くない。

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インドの街から牛がいなくなる…

puricow01写真はベンガル湾に面する街プリー、巨大なジャガンナート寺院の周りを、礼儀正しく時計回りに歩く牛と人々の姿である。インドのどこにでもある、ありふれた光景だが、もし仮に、こんな風景がインド中から消えてしまったら、と想像してみた。
じつは昨日だか一昨日だかに、朝のニュースで、ニューデリーの野良牛の話題を放送しているのを見てしまった。ニューデリーでは、増えすぎてしまった野良牛を一網打尽に捕獲するという行動に打って出たそうだ。捕獲した牛は競売にかけて、各地の農場に送り込むようだが、野良牛たちが何の役にたつのかは不明である。ヒンドゥー教徒の多いインドでは、たとえ牛が売れなかったとしても殺されるようなことはありえない。売れ残った牛たちが再び街に戻ってくる日があったら面白い。
まあ、インドにはインドの事情があるわけだから、僕にとってはどっちでもいいことだ。首都が牛だらけでは、ほかに顔向けできない、と考えるインド人だっていてもおかしくない。ただ、ニュースのアナウンサーが、甲高い声で「ゴミ場を荒らすようですから当然です!」と発言していたのは、ものすごく不快だった。いったいこの男、インドの何を知っているというのか?インドをゴミだらけにしているのはむしろ人間のほうである。もし捕獲するというなら、インド人の大多数を農場送りにする必要があるだろう。
世界にはいろんな価値観があるということを、このアナウンサーは理解していない。インドには、野良牛のあとをつけまわしてその糞を拾い、かまどの燃料やら家の壁やらに使用している人だっている。あるいは、野良牛の糞に火をつけ、その煙の中で祈りの時間(とき)を過ごす修行僧だっている。野良牛と人間の関係は決して一方的なものではない。それにこの大地は、人間のためだけにあるわけではない。牛には牛の自由がある。ホームページのほうでも書いたことだが、インドの神様は人間よりもときに動物を大切にしてきたという経緯がある。インドの神様は、と書いたが、その神様の性格を作り上げ、描き出していったのも、やはり人間自身ではなかったのか。
インド中の街から野良牛が消える日があるとしたら…、もはや地球を捨てて違う星に行くしかないな。
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「動物と神様とインド人」

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十四年ぶり

senavillage15b写真は、お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤ、子供の背後、からからに乾いた川の向こうに大塔が見える。この地を訪れたのは、じつに十四年ぶり二回目ということになる。十四年前、というと、もうひと昔前のような気がするが、実際、当時のことはあまり覚えていない。日本語を話すうっとうしいインド人が多かったこと、前正覚山という、平原のはるか彼方にある山のふもとまで歩いたこと、それと、信じられないくらいのボロ宿に泊まっていたことなどが思い出される。
宿泊していた安宿は、当時のお金でたったの10ルピーであった。日本円でざっと70円といったところだが、何とシングルルームであった。とはいえ、その実態は、土の床、南京虫の這うベットが一つ、鉄格子がはめられ、ガラスのない窓が一つあるだけ。共同バスルームには巨大なドラム缶が一つあり、中にちょっとぬるっとした感触の水が入っていた。宿は美しい林の中にあったのだが、問題は大量に発生する蚊であった。ガラスのはめられていない窓は何の役にもたたない。結局、持っていた蚊取り線香をいくつにも折り、全部に火をつけ、大量の煙で何とかしのごうとしたのだが、蚊取り線香は一時間ともたないから、夜中に何度も起きては、また火をつけた。今から考えると、どうしてこんな宿を選んだのかと思う。でも、当時の僕の気持ちとしては、インドには冒険に来たのであり、これくらいは当然と思っていたようである。
十四年ぶりのブッダガヤはなかなか穏やかだった。悪徳インド人はむしろ減ってしまったのかもしれない。十四年前に泊まっていた安宿は見つからなかった。それらしき建物はあったが、確信はもてなかった。あんなひどい建物に泊まるような旅行者はもういないだろう。インド人も、そして旅行者も、ずいぶんと変わったような気がする。何しろ十四年もたつわけだから、まあ当然といえば当然ですね。でも懐かしかった。

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謎の神様

nearjagannath19sインドは本当に不思議な国である。諸外国の人間から見れば、まるで悪魔教を想像させるようなミステリアスな神様がいくつもまつられ、妄信的な多数の信者を今も抱えている。崇拝者たちの心の内は不明だが、彼らには神々の姿がまさに現実のものとして映し出されているに違いない。それは日本人には、決して理解できない世界なのだと思う。急激な経済発展の傍らで、今も土にまみれて暮らす何億もの人々がいる。広くインドを旅してみれば、むしろそれが普通のインドなんだとすぐに気がつくのだが、そこから先、土俗的で伝説的なインド世界に分け入るのは簡単な事ではない。例えは悪いが、それはまるで、終わりのないお化け屋敷をたどるようなものかもしれない。
今回の写真は、東インド最大の聖地であるプリーのジャガンナート寺院近くで撮影したものだ。ジャガンナート寺院自体は外国人の侵入を厳しく制限しているので、当然中に入ることは出来ない。寺院の周囲は活気のあるバザールになっている。その一角、というより寺院の外壁を利用し、道路側に開けたお堂内に、その神様はいた。本尊でもないのに、大きさは3メートルを超える。朱色に塗られた神様が、暗い堂内に浮かび上がる。怪しげな姿に圧倒されて聞き忘れてしまったが、これは多分、猿の神様ハヌマーンではないかと思う。この神像の役割は、おそらくは魔除けであるのだろう。確かに、こんな怪しげな神様に守られていたら安心である。
ところで、神様を朱色で塗りたくってしまうのはインドでは珍しいことではない。とくに北インドのいたるところで目にする光景である。何故、朱色なのか?想像だが、これは血を意味している。神様への捧げものとして、動物などをほふって、その血を神像に塗りたくったことに由来しているのではないだろうか。額につけるティカもその意味は変わらないだろう。こうした慣習は、どれもこれも、インドの先史時代から続いてきたものだ。インド以外の多くの国では一部を残して消え去るのが常だが、インドではそれが宗教世界の主流となって今も生き残っている。とても不思議で、心惹かれるものがある。

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幻想のタージマハル

tajmahal10たまには趣向を変えて、幻想のタージマハル。早朝、対岸から見たタージマハルの美しいたたずまいを、モノクロ写真にしてみました。
タージマハルを見たのは二回目だった。以前に見たときは、まあ、こんなもんだろう、で終わってしまったが、今回は改めてその美しさに魅了された。朝に夕に、さまざまな場所を訪れ、眺めを楽しんだが、見飽きるということはまったくない。もう一度、タージマハルのためだけに、アーグラーを訪れてもいいかな、とまで思っている。次回は是非、満月に輝くタージマハルを見てみたい。

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カルカッタの野良犬

other05dogブログでは、雑誌なんかではあまり使えそうもないな、という写真を積極的に取上げている。せっかく撮ったものなのだから、せめてブログの世界で、という親心もあるわけだが、実際は、そういった写真ほど、素直な気持ちが写真に表現されていたりする。
というわけで、今日はカルカッタの野良犬だ。朝市の賑わいを背に、二匹の犬がぶらりと街を徘徊している。インドでの犬の扱いは最低だが、考えてみれば、人間の待遇だってそれほど変わるわけではない。二匹の犬が人間にすりかわっていたとしても驚くようなことではない。
僕もまた、しばしば野良犬のような気分でインドを旅する。埃の舞い上がる街を歩き、バスの狭いシートにうずくまって、そこから流れていく車窓の風景を眺め、崩れそうな安食堂に入って、手づかみでカレーを食べる。一見大変そうなこんな旅も、やってみれば意外なほど悪くはない。そのうち旅に疲れ、日本に帰ってきたときは、一時、飼い主を見つけた犬のように安心するわけだが、しばらくするとまた野良の血が騒ぎ出す。
ということで、近いうちにまた、インドを目指すことになるかもしれない。

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インドで途中下車(?)

nearstation09突然こんな写真を掲載したくなった。しかも珍しくビックサイズです(開くのに少し時間がかかるかも…)。
ところはヴァラナシ駅近くの何の変哲もないただの場末、牛の写真を撮っていたら、彼らが声をかけてきた。ファインダーの中で、男たちは訳の分からない外国人相手におおらかな表情を浮かべた。夕陽の強い逆光が男たちの姿を引き立てる。さりげなく牛も画面の中に入れてみた。今までなら、あまり食指の動かなかった被写体だが、最近、なんとなく気になるのはどうしたことだろう。
それにしても、インド人が時折見せる鷹揚な態度は何だろう。だいぶ昔のことだが、あるインド人のおじさんに、お前は英語が分からないのによく旅が出来るもんだ、とからかわれたことがある。すると突然、隣に座っていたもう一人のおじさんが、英語が出来ないのにこうして一生懸命旅をしている、だから立派なんじゃないか、と言い放ったことがあった。おじさんはそう言って、僕に優しく微笑みかけた。旅に疲れていた当時、おじさんのひと言に僕はずいぶんと励まされた記憶がある。あれから十年余り、こうやっていまだにインドを旅しているのは、おじさんのひと言のお陰なのかもしれない。
インドの鷹揚さというのは大陸に暮らす人間の優しさのような気がする。昨年、僕はスリランカを旅したのだが、そこに欠けていたものはそれだった。もちろん、スリランカにはスリランカの良さがあるのだが、僕の求めているものはなんとなく違った。
インドの優しさの向こうには、飾り気のない、驚くほどの無邪気さがある。どんなに旅に疲れても、一日に最低一回は、インド人の笑顔に癒され、素直に笑うことが出来るだろう。インドはそんな国である。どんなにぼろぼろになり、どろどろになっても、いつかまたこの国に舞い戻り、インド人と一緒に笑っている。考えてみれば、変な人生を送っているものだ。

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おいしいインド料理

thali02orissa最近はもっぱら安食堂に通いつめている。食べるものは一貫してターリーだ。ターリーというのは「お盆」を意味するインド定食のことで、お盆の上に何品かの料理が盛られることからこの名前がつけられた。
ターリーと一口にいっても地域によって味が違う。個人的に、南インド、とくにタミル地方のものが好きだと思っていたが、今回考えが少し変わった。滞在時間が短かったのではっきりとは言えないが、東インド、オリッサ州のターリーがしみじみとうまい。この地方はブラーミン(バラモン)でさえ魚を食べるような地域なので、ターリーも当然、魚付きがわりと一般的だ。魚は普通、川魚を使用する。川魚と香辛料の相性は抜群である。臭みが消えて、旨みが引き立つ。いや、そんなたいそうなものではないのだが、やはり、しみじみとおいしい。
写真のターリーは、オリッサの山間の田舎町で食べたもの。オリッサはすでにインドの辺境であるのだが、そのまたさらに田舎となると、すでに時間が止まったようなもので、チャイ一杯は1ルピー(2.5円)が普通だ。ターリーも当然安い。魚カレー付きで15ルピー(37円)。都会の三分の一くらいの値段だが、おいしさは三倍ぐらいのものだ。ちゃんと葉皿を用意しているところからして好感が持てる。おかずは魚カレーに豆のカレー、それに野菜の素揚げ(薄衣がついているが)。この素揚げがなんともいえないアクセントになっていて飽きがこない。
インドにももちろん高級レストランはあるのだが、成り上がりインド人の味覚というのはだいたいにおいて大雑把で刺激ばかりを好む。レストラン側もそれにあわせて作るものだから、意外なほどうまくなかったりする。インドでは安ければ安いほど期待が持てるかも知れない。その極みといえるのが、祭りなどのときに振舞われるお寺の料理。本当においしい。そしてもちろん無料である。

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女神の世界

kandagiri07megamiインドでもっとも美しいものの一つが着飾った女神像である。美しいサリーを身にまとい、幾多の花で覆いつくされたその姿は、薄暗い堂内で見ると、ぞくぞくするほど美しい。しかし、その顔は黒く、不明瞭である。じつはドゥルガーにかぎらず、インドの神様というのは、その多くが黒い肌を持っている。黒い肌というのは大地の凝結した姿をあらわしている。それは例えば、ヒマラヤの彼方から流れ出たガンジス川が、いくつかの支流に枝分かれしたのち、ヘドロ状に淀んだカルカッタの小さなほとりから、真っ黒い肌を持つカーリー女神となって生まれたように。あらゆる生き物が生き死にを繰り返して、いつかたどり着く世界、…インドの女神たちが住まう場所は、人々にとってのそんな場所なのかもしれない。

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不思議な国

fisherman17旅の最後に、あるインド人から、インドはどうだったか、と訊かれた。この手の質問はインド滞在中は毎日訊かれることで、普段は「いい国だよ」とか「好きだね」と適当に答えるのが普通だ。でもこのときは、思いもかけず、こんなことを口走ってしまった。「ミステリアス!」
「それにアメージングだ」と言いかけて止めておいたが、相手のインド人は僕の答えに満足したふうであった。彼がその真意を汲み取ってくれたかどうかは不明だが、僕がインドに抱いている感想を英語にすれば、これ以上の答えはないだろう。
数えてみると、はじめてインドに行って以来、すでに14年の年月が過ぎ去っている。その間、僕は10回以上もこの国を訪れている。はじめてこの国を訪れたとき、なんてミステリアスな国だろう、と思った。それから何度か訪れるにつれ、そうした気持ちが薄れていったこともあった。でもそれは、僕の心が擦り切れてしまっただけのことで、あらためて素直にこの国を見てみれば、ますます不思議で神秘的な国に見えてくる。とくに今回の旅でその思いを強くした。
インドはますます強い印象を押し付けてくる。この国には、信じられないようなことが一杯ある。信じられないくらい、多くのタイプの人間が、ときにカーストという枠内で数千年の歴史を引きずりながら生きている。同じ人間でありながら、こんなに違うのだ、と僕は何度もそのことを感じ、しだいに不思議な気分に落ちていった。
さて今回の写真だが、オリッサ州、プリーの浜辺である。彼らは皆、漁師たちだ。僕はプリーには過去二度来たことがあり、何度も浜辺を歩いたが、漁村近くの浜辺は今回が初めてだった。ロンリープラネットには、「まるで共同洗い場のようだ…」と書かれていたが、実際はそんな生易しい世界ではなかった。とくに朝の光景については、あえて書くとすれば、それは「巨大な野外共同トイレ場」であった。一生懸命漁師が働いている傍らでクリケットに興じている一団がいて、されには数十人の男どもが、何もかも丸出しでうんこ(失礼…)をしている。そしてそのとなりを、籠を頭に載せた女たちが何人も歩いていく。
浜辺で、カルカッタから来たという二人の紳士風の男に出会った。「僕たちは趣味で写真を撮っているんだよ」とカメラを見せてくれた。僕は二人に、この浜辺の感想を聞いてみた。彼らは苦笑いをして、「でもすごく面白い。アメージング」と言った。
この浜辺にいる人々について、何と言ったらいいのか分からない。でも、僕は彼らを軽蔑して写真を撮ったわけではない。尊敬しているわけでもない。でもやっぱり言葉は見つからない。あえて言うなら、不思議で、美しい。そして、そういった気持ちが続く限り、僕はインドを旅行するだろうと思う。彼らを理解するためではなく、いつまでも、その不思議に浸るために。

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インドの小猿

kozaru01写真の整理に一週間かかった。約8000枚の写真をいちいち開いては選択、さらに画像処理、名前の変更、…うーん、デジタル撮影は意外に帰国後が辛い。まだ補正が必要な画像もありそうだが、とりあえず休憩。
こういう時は、写真もほっとできるものが良いなあ、といろいろ見ていたら、これが目にとまった。何かを食べている小猿です。ところはオリッサ州のブバネシュワール、…いや、そんなことはどうでもいいか。僕としては、珍しくさわやかな写真になった。見ていると、なんとなく幸せな気分になってくる…。
というわけで、そろそろ散歩に出かけるとするかな。

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旅はメインバザールから

mainbazzar28旅はここから始まった。そうデリー、メインバザールである。ぱっと見た目には、常時数百人以上の外国人旅行者がいるとは思えないほど、ここは汚い。最近はカルカッタのサダルストリートが幾分きれいになってきた分、メインバザールが余計汚く見える。写真には見えないが、牛もいっぱいいる。10年程前に全部追い出したはずだが、また戻ってきてしまった。その後、交通量も増えたためか、とくに夕方になるとものすごい渋滞が巻き起こる。僕は出来れば、夕食は安くておいしい駅前の食堂に行きたいのだが、わずか500メートルくらいの距離を歩くのが疲れてしまう。まあ、行きはいいとしても、帰りは辛いなあ、といつも二の足を踏んでしまうのだ。ただ、あまりに渋滞が激しいので、かえって客引きの勧誘も少なくなったような気もするが、さてどうなんだろう?カルカッタのサダルがあまりにうるさかったので、そんな気がしているだけのことかもしれない。

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インドから帰ってきました

orissavillage01一昨日、インドから帰ってきました。家に着いた途端、腑抜けになってしまい、気がつくと二日、…ブログでの報告が遅れてしまった。それにしても、何度経験しても、インドと日本のギャップには驚いてしまう。何しろ新宿駅前がインドの村のバザールより静かだ。そこからさらに最寄の駅までやってくると、音がほとんど消えてしまった。まるで亡霊の住む街のようだ。インドにこんな静かな場所はないだろう。ある意味これはこれで、何かひどく神秘的な世界に見えてしまうのは、まだまだ旅行気分が続いているせいだろうか。
1年ぶりのインドはとても印象的だった。それは多分、前年から半年にわたって、ブログを含むホームページを作成した経験が大きかったのかもしれない。ホームページを作る過程で、僕は過去の旅を何度も振り返り、写真を見てはインドへの印象をさらに深めていった。そんな日々の中で、インド行きの願望が膨らみきった頃に、まるで天啓のようにやってきたのが今回のインド行きの仕事であった。インドのさまざまな印象が、今回ほど素直に僕の気持ちに入り込んできたことは、これまでには決してなかった、と思う。
写真も良かった。今回は初めてのデジタル撮影であり、出発前は不安もあったが、結果的にはそれが良かった。何しろ時間のあるかぎり、体力のもつかぎり写真が撮れるのだ。画質がどうのこうの、という話は、インドの旅が始まると、すぐに忘れてしまった。インドの写真を撮るためには、そんなことより重要なことが山ほどあるのだから…。
最後に、今回の写真について。じつは場所の名前は事情があって今は書けない。東インド、オリッサ州の辺境にある田舎町だ。日本人でここを訪れた人はほとんどいないと思う。とはいえ、まったく日本と関連がないわけではないのかもしれない。それはともかく、この写真、どこかの風景と似ていませんか?
今回の旅は、次回から(2005春インドの旅)とテーマで少しづつ紹介していく予定です。ご期待ください。

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