16年前のガイドブック
僕がはじめてインドに行ったのは1991年。16年前である。海外旅行自体が初めてだった。そのとき使っていたガイドブックが家に残っている。「地球の歩き方インド編」'90~'90版である。
あの旅では、ガイドブックがまさに命綱だった。なんせ初めての外国でしかもインド。生きて帰れるのだろうか、などと大げさに考えていただけに、ガイドブックはお守り同然。だから今まで捨てずに残してきた。
そんなガイドブックだが、今見ると非常におもしろい。たとえばヴァラナシのページの出だしは誰かの旅日記から始まっている。それはこんな感じ…。
「その夜 全市が停電したとき
リキシャのベルが鳴り響く闇の底から
誰も見たこともない古代都市が
音もなく身を起こした」
さらにブッダガヤのページではブッダによる「真理の言葉」より
ブッダの勝利は破れることがない。
この世において何人も、かれの勝利に達し得ない(あと省略)
となり、ラージギールのページではいきなり妙法蓮華経のお経から始まる。
神通力如是 於阿僧祇劫(あと省略)
その他では、アムリトサルが(スィクの夕べの祈り)から始まり、カニャークマリが聖人ヴィヴェーカーナンダの言葉から始まり、デリーがある詩人の詩から始まる。さらにマドゥライのページでは全編旅日記のような雰囲気。ジャイサルメールでは途中にこんな一文が出てくる。
…辺境の宿場町とくれば、命知らずがたむろする無法の町…
いったいどんな町やら。
このガイドブックでは、今も裏表紙はブッダの言葉から始まるが、これも昔からあった。思うに、旅行中、この言葉から励まされた旅行者は案外多いような気がする。僕自身もそうだった。このガイドブックを知らない人のために紹介しておこう。
寒さと暑さと飢えと飢えと
風と太陽の熱と虻と蛇と
これらすべてのものにうち勝って
犀の角のようにただ独り歩め
「犀の角のようにただ独り歩め」という一文が、厳しいインドにおいてはたしかに最良のガイドのような気がする。
大麻に関しても、今とはぜんぜん違った内容である。まず、そのサブタイトルが
あまりサエては困るから、法律が禁じる?ドラッグ
となっている。大麻に関しての細かい説明もある。完全な否定はなく、「存在への旅」などと書かれているのが興味深い。当時は知らなかったが、インドで大麻が禁止されたのが1989年。僕がインドを訪れたのが1991年だから、そういう意味でもまさに過渡期であった。ちなみにインドが貿易自由化に踏み切ったのが1990年。
昔のガイドブックはカラーページも少なかったし、紙質も悪かったが、本自体は分厚かった。ヒマラヤでは、今はなくなってしまったガンジス川源流地域の巡礼ガイドがしっかり8ページにわたって載っていた。ついでに「サドゥー」に関するコラムもあったし、「花の谷」といった非常にマイナーが場所に関する紹介もあった。
あれから16年たって、ガイドブックはだいぶ変わってしまったが、なにより日本が変わったし、インドも昔のインドではなくなった。昔は夢があったな~と嘆いていても仕方がない。インドは広く深いから、いろいろ探せば、まだ、今しばらくはおもしろい旅ができそうだ。
ちなみに、はじめてのインド旅行の様子はchaichaiのフォトエッセイ「美しいインド」でラージギールという町へ行く様子を少し書いた。その後のことは触れなかったが、ラージギールのあとも大変だった。ホーリー祭(インドの水かけ祭り)の次の日、ブッダガヤに向けて移動したが、途中、ガヤの町でインド人に取り囲まれ、水をかけられた僕は、それまでの鬱憤が爆発して、インド人を殴りにいった。幸い空振りしたからよかったものの、当たっていたら大変なことになっていた。まったく若気の至りである。
そんなトラブルのあと、ふとガイドブックがないことに気づいた。結局、バックパックの奥にあったのだが、そのときはかなり焦った。ガイドブックがなければどう歩いていいかも分からない、といった感じで、まさに旅の命綱だった。今考えれば、無謀な上にひ弱な旅行者だったのである。
というわけで、当時のガイドブックはちょっとした思い出の品になっている。
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