ネパールで王制廃止
少し古いニュースになるが、5月28日にネパールの王制が正式に廃止された。そして今月11日についに王宮を去ったという。選挙でマオイスト(毛沢東主義)が第一党になり、与党を取ったことはなんとなく知っていたが、王制廃止のことは今日はじめて知った。
ネパールの王制にたいして特別な感情はなかったが、ネパールがネパール王国でなくなったのはやはり衝撃的だ。ネパールは王国から共和国へと変わり、同時に、ヒンドゥー教は国教ではなくなったという。
最後の王ギャネンドラは2001年に起こった王族殺害事件の黒幕とも噂され、あの事件以来、王室への国民感情、あるいはネパール自体が最悪の状態に陥っていたのは周知のことで、王制廃止も致し方ない、という気もするが、王国から共和国に移行したら急にすべてがうまくいく、なんてことはちょっと考えられない。しかし、そのあたりのことは、単なる旅行者である僕にはあまり関係のないこと。しかも、最近のネパール事情はよく知らない…。ただ、なんというのか、王制廃止によって、ヒマラヤの小さな国で、ひとつの時代が終わった、という気はする。
ヒンドゥー教のことだけ少し書いておきたい。
ネパールのヒンドゥー教はインドのような強固なものではない。ヒンドゥー教徒の何割かは仏教の行事にも顔を出すようなアバウトな人たちで、彼らに言わせれば、「ヒンドゥーの祭りも仏教の祭りも両方楽しめるよ」といった調子で、僕はそんなネパールが好きだった。しかし、三年前にネパールの山村を25日かけて歩いたときにはすでに、ネパールの宗教事情が、何か、昔のお気楽なものとはちょっと違うな、という部分が垣間見えるような気がすでにしていた。
ライ族という、モンゴリアンに少しアーリア系が入った人々が住む村で泊まったときのことだった。家でお祈りがあるからどうか、との誘いを受けたからホイホイとついていったが、その祈りの風景というのがなんとも異質で、「これは何の祈りなのか?」と聞くと、村人から「これはヒンドゥーでも仏教でもない宗教のものだ」と聞かされた。
そこで小さな冊子を見せてもらったが、そこにはライ族出身だという開祖様の写真があり、あとは文字が分からないので読めなかったが、その開祖様の顔がどうにも胡散臭くて、僕は早々にして退席させてもらったが、後味は悪かった。見慣れたはずのネパールが急に遠ざかっていくような嫌な気がしたわけだが、それにしても、一見おだやかそうな素朴な山村で、伝統的宗教であるヒンドゥーでも仏教でも癒されない新興宗教を熱心に信じる理由とはなんだったのか。
ネパールのヒンドゥーはインドに比べればもともと脆弱な体質であり、将来は悲観的だ。国民がそれでよければ部外者がどうこういうことではないが、神々の世界も忘れて競争原理に四苦八苦するような慌しい国になったら、と考えたら、やはり寂しい。
ついでながら、一般人にはこれまたもっとどうでもいいことかもしれないが、サドゥの姿がネパールから消え去る日もそう遠くないかもしれない。
カトマンドゥーのパシュパティ寺院で行われるシヴァラットリは多くのサドゥが集まることで有名だが、その一つの理由として、ネパール王室から、かなりの献金が行われていたようだ。しかし、これは間違いなくなくなる。金目当てに巡礼するのもおかしいが、いずれにしても、サドゥにとって、ネパールが過ごしやすい国ではなくなるかもしれない。ネパール出身のサドゥも多いので一気にいなくなるわけではないが、サドゥに対する国民感情はもともとたいしてよくないので、徐々に衰退していくと考えるのが自然だ。
先のチベットといい、今回のネパールといい、アジアの伝統的な智慧や文化が時代のなかでどんどん消えていく、という気がして嫌な気がするが、諸行無常だといわれればこれもどうしようもない。
…でも、もうやめておこう。またネパールに行きたいし、ネパールで撮りたいものもある。「ネパール山の旅」シリーズも続けていきます。
(今回の写真は1993年のもの)
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