天空の里

Tenku001

今、身近な小旅行を検討している。いろいろ調べているうち、「天空の里」と呼ばれる、ある山里の存在を知った。ある人は、そこはまるでネパールのようなところだよ、と教えてくれた。ネットで画像検索をしてみると、たしかにネパールのようだ。まあ「天空の里」という表現はちょっと大袈裟かなと思うが、とりあえず行ってみよう。

「天空の里」についていろいろ考えているうち、ネパールの写真を眺めたくなった。とはいえ、当時はあまり風景を撮らなかったし、スキャンしてある画像もわずかだ。上の写真はその一枚。そこは東ネパールの斜面に沿って作られた村である。しかし、「天空の里」という表現は当たらない。夜になって、その村から上の尾根を見上げると、昼間には見えなかった家の灯りが、はるかに聳える山の上のほうにいくつも見える。

そういえば、昔、ネパールの山村を歩いていて、いつの日か、人を撮らずに、ひたすら山村の風景を撮り歩くような旅をしてみたいと思ったことがあった。そのうち本物の「天空の里」を探しに、ネパールの山奥深く入ってみたい。


| | コメント (0)

山村の記憶

Nepal001

何か書こうと思ったのだが…。18年前の写真を前にして結局何も書けずにいる。

| | コメント (2)

カトマンドゥー

Nepal0

カメラ屋に行くと、とくに用事はなくともフィルム式マニュアルカメラを手に取り、2、3回シャッターを切るのが習慣化している。金属製のシャッター音を聞くたびに、思い出すのはやっぱりネパールのことだ。

そういえば、現在カトマンドゥーは中国人観光客であふれているらしい。数年前にはそんなこともなかったから、あっという間の変化なのだろう。金持ち中国人が各地で金をばらまくようになれば、普通の旅行者である僕らの居場所はさらにせまくなる。またひとつ、ネパールが遠くなったような気がする。フィルムカメラに標準レンズをくっつけ、モノクロフィルムだけでぶらりと山村を歩きたいなあ、という、ささやかな夢もちょっとあやうくなってきた。まあ、気持ちの問題なのだが…。

東京は木枯らし一号がふいて突然寒くなった。暑い暑いと思っているうち、気がつくともう11月だ。そろそろ奥多摩の紅葉に呼ばれる頃か。今年は秋川もさかのぼってみよう。山里で晩秋の夕暮れなどを歩いていると、またまたネパールを思い出して泣けてくるのだが(といっても泣くわけではない…)、今年は、そんな風情のある写真にも挑戦してみようと思う。

さて、Campur Photoの更新情報。

「浅草(羽子板市の日に)」

| | コメント (0)

山の村にて…

Nepal002

写真をモノクロにするかどうかで少し悩む。それに、これはどこで撮ったものだっただろう。なんとなく覚えているんだが、当時は、2週間、3週間といった単位で村めぐりをしていたので、記憶があいまいだ。たしかちょっとした峠を越えて、ゆるやかなくだり道をだらだら歩いてきて、森に囲まれたところに数軒家があったうちの一軒だった。茶屋だったと記憶しているが、そのあと、ここで泊まったかどうかが思い出せない。次の村を目指したような気もする…。

肝心なことを書き忘れていた。写真はネパール。ほとんど友達のような現地ガイドと、とりあえず村があるようなところをぶらぶら旅していた。いろんなことがあったが、ともかく毎日が幸せだった。前回のブログで、「超えられない壁」と書いたのは、だいたいはこのあたりの写真である。

これらの写真をどうしよう、というのがずっと悩みの種だったが、最近になってようやく考えがまとまりつつある。たぶん電子書籍だ。作り方などについては友達が今いろいろ調べているので、機が熟したところでそのまま乗っかって、などと都合のよいことを考えている(近くお試し版を作るらしいからそれを見てから…)。編集者なしに作るのだから、時間はかけないと…。そろそろ始めてもいいぐらいだろう。でもその前に、iPadを買わないとやっぱりまずいだろうな。流行りものに興味があるわけでもないのだが、なんにしろ旬というものがあると思うし。

電子書籍の前にまだひとつやらなくてはいけないこともあり、川の写真も継続中で、なんだかえらく忙しいわりには最近もついついのんびりしてしまっている。梅雨時は眠たくて困る。ヒマラヤの夢を見るのは楽しいが…。

| | コメント (0)

越えられない壁について

Nepal001

蒸し暑さが半端ではない。まるでバンコック、いやいやムンバイだな、って何度もしつこいが、冷房の中にいるとなかなか快適。電気代がちょっと怖いが冷房にもすっかり慣れた。夏風邪もとりあえずは終息気味。そして今年も半分が過ぎようとしている。最近ちょっとだらけ気味だが、ここ半年、柄にもなくがんばってきたのだからたまにはいいんじゃないかな、と自分に言い訳しつつだらだらしている。それに、いくらがんばったって越えられない壁はある。…なんてことを考えつつ読書に耽ったりとか。

写真はカトマンドゥーの路地。15年ぐらい前に撮った写真だ。この当時撮った一連の写真というのは、越えたくても越えられない壁となっている。不可侵の領域というのか、自分で自分の写真をそんな風に表現するのはおかしいと思うのだが、そうとしか言えないのだから仕方ない。こうやって一枚アップするだけでも少しどきどきする。そして心はヒマラヤへ。

どうも前回の記事の話がまだ尾を引いているようだ。それに最近、何かが見えるようで、でもまだはっきり見えてこなくて、そのモヤモヤした感じを漂っている。風の音が聞こえてきたり、山の稜線が見えてきたりはするのだが、やっぱりどれもヒマラヤのような気がする。峠を越えるとお気に入りの村があって、村はずれの祠で仰向けになって寝ながら雲を眺めたりなんて、思う浮かぶのはそんな風景ばかり。

| | コメント (4)

ネパールのモノクロ写真

Nepal68_2

あいかわらずインド写真の整理。そろそろ終わりが見えてきた。今日はプリントをはじめた。久しぶりにプリンターを動かすときはいつも心配だが、とりあえずまともに動いてくれて一安心。

7月終わりから、時間を作ってはずっとこんなことをやっているが、そのあいだはココロは完全に過去に埋没している。写真をやっている限りはこれの繰り返し。なので、とくにインドに関しては、過去20年の旅について、どこからどこへ移動して何日ぐらい滞在、というのをだいたい全部覚えている。

でも、記憶があいまいな旅もある。ネパールは、村めぐりのあいだは、同じような道を旅して同じような村に泊まっていたのでよく分からなくなっている(日記をつける習慣はまったくないし…)。とくにモノクロで撮っていた旅は、プリントしたもの以外は、過去の写真を見る機会が少ない。それと、じつは、一部のネガを紛失している。セレクトしたものはだいたい無事だが、それは当時のセレクト。今見ればセレクトも変わってくる。いつかモノクロネガだけ持ってネパールを旅したい、とこれまでも何度か書いてきたのは、そういう心残りがずっと影響しているせいかもしれない。

モノクロ写真を見ていて、変なことが気になった。カラー写真はパソコン上でいくらでもモノクロに変換できるが、モノクロはずっとモノクロのままだ。それは当たり前のことなのだが…。

ネパールのモノクロは、トライXというフィルムを使用している。感度が400で、ざらついた描写が魅力だった。このフィルムは今もあるようだが、乳剤が変わったとかいう話を聞いた記憶がある。描写がこざっぱりしたのかもしれない。こざっぱりとした描写はざらつかせることも出来るが、反対は無理。ネパールモノクロ写真は、自分にとっては化石のような存在だ。

なんでこんなことを書こうとしたのか。9月になって、涼しくなってきたからかな…。

| | コメント (0)

あのときの写真…

Nepalaa008

(写真はクリックすると拡大表示します)

先日、ネパールのモノクロ写真をある人に見せる機会があった。それはたしか16年前の写真だったが、その人は、「16年前ですか…。もっと昔の写真、たとえば30年前とか40年前の写真に見えますね~」と言った。

今回の写真は、セレクトされていないネガスリーブの中から、今、適当に選び出してスキャンしたものだが、これまた、えらく昔風の写真。それに、なぜか自分で撮ったような感覚がない。もちろん撮ったときのことも、どこの誰かも憶えていない。でも、なんだか奇妙な味の写真で、どこかの天国のようでもある。

この年の写真が忘れられず、4年前に久しぶりにネパールの山村を歩いたときに、16年前のようなやり方で少し写真を撮ったが、うまくいったかどうかは微妙なところ。

ネパールの写真は、当時から、少し寝かせて熟成させて、それから…、なんて気持ちがあったが、気がつくと16年。さて、どうしよう…

さてどうしよう…

というのが、写真のことを考えるときの口癖になってしまった。過去の写真、現在そして未来の写真がごちゃごちゃに混じりあい、頭の中が大変なことになっている。
さてどうしようかな~。

| | コメント (0)

ダヌワール、マジ、ダライ

Nepal003

(写真をクリックすると拡大表示します)

もう15年以上前になるが、ネパールの民族に関する一冊の本を買った。

「ネパールの人々」(D・B・ビスタ著・田村真知子訳)

研究書なので高い。定価はなんと8300円。しかし情報量はすごくて、聞いたことのないような民族のことまで詳細に説明してある。その中で、当時からすごく気になったのが、本記事の表題、ダヌワール、マジ、ダライ。三つの民族が一緒になって紹介されている。その中の一文がとても印象的だった。

生来、非常に用心深く偏狭な人々で、野獣はまったく恐れないが、見知らぬ人間を極度に嫌う。

さらにこんな一文もある。

深い峡谷や谷に住み、流れに沿ってずっと上流まで旅をする。

ネパールの谷というのは人が住むにはあまりに険しく、またマラリア蚊が発生するので、たいていの村は山の中腹や尾根の上にある。そんな状況なので、「流れに沿ってずっと上流まで旅する」というのは普通ではない。それにしても、「野獣はまったく恐れないが」というのは、いったいどの程度の話なのか。熊ぐらいなら問題なし、ということか。「非常に頑強な身体を持っている」と書かれているから、本当にそうなのかもしれない。

長いあいだネパールの山村を旅したが、ダヌワール、マジ、ダライのどの民族とも接触したという記憶はない。というか、ガイドからもそれらの名前も聞いたことがなく、たぶん、彼らの村に泊まったことはないと思う。しかし、一度や二度は彼らを目にしたことはあるかもしれない。思い出すのは、とある東ネパールの辺境を旅していたときのこと。

そこは街道とは遠く離れたただの山村で、ほとんどの村はタマン族。ネパールの中でも寒村といった風情の所ばかりで、ともかくないもない。当然電気もなく、道中、チャイ屋もなく、水もない。昼飯を調達するのも一苦労。山村でときどき見かける野外共同トイレもない。一日、二日ならともかくこれが10日間続くとちょっとつらい気分になる。ガイドはいるから泊まるところは確保できるが、どの村で泊まってもなぜか飯がまずい。これが一番こたえた。

そんな日々のなか、どこかの村に到着して付近をぶらついていたら、魚をいっぱい手にした男と出会った。といっても、このときばかりは、男と出会ったというより、魚と出会ったといったほうがいい。大型の、鮎のような川魚。ともかく何匹か売ってもらって、泊まっていた民家に持ち帰り、魚のカレー炒めにしてもらった。味は感動的。一生忘れない、と思ったが、魚の印象が強すぎて、魚を売ってくれた男の顔はさっぱり思い出せない。ただ今から思うに、魚を売ってくれたのは、マジ族の男ではなかっただろうか。

インドもそうだが、一般人はまず魚釣りなどはしないし、もちろん漁労に従事することはない。従事しているのはそういうカーストか特定の民族だけである。目の前に魚が泳いでいても、捕まえることなくまずい飯を食うのがインド文化。なので、男はやはりマジ族だと思う。ちなみに、ネパールの民家やロッジに泊まって魚を食べたのはこれが最初で最後。ただし、その後の旅で、道中(そこはちょっとした街道だった)、掘っ立て小屋で営業している焼き魚屋台で焼いた魚を食べる機会が何度かあった。焼き魚屋台もマジ族だったかもしれない。

……と、夕方にここまで書いて所用でいったん外出、さきほど帰宅した。

思いがけず文が長くなってしまって、どう締めくくればいいのか悩む。

これを書き始めたきっかけは、「野獣はまったく恐れないが」という文章がおもしろく、そんな民族に会ってみたいな、と思った、というだけの話。

ちなみに上の写真の少女、大きな籠を手にして突っ立っていた。服装が変わっている。それと、この写真は全部で十数枚撮った写真の最後から三番目。最初は、ひどくこちらを警戒していたが、だんだん表情が和らいできた。もしかすると、マジ族の少女かな。川が近かった記憶がある。次回ネパールを歩くときは、川に近い村からいろいろ探してみたい。魚も食べられるしね。

| | コメント (4)

ヒマラヤマントラ

Image001a

昨日はシヴァラットリー、シヴァの夜だったが、帰宅したらすでに日付が変わっていて、仕方なく、ユーチューブでシヴァマントラをいくつか聞いて寝た。シヴァラットリーを現地で迎えられたのは、5年前のパチマリが最後。寂しい限りだ。

最近は仏教系のマントラをよく聞いている。というか、ユーチューブでマントラと検索すると、10曲セレクトしたものがあり、聞いてみると、全部よい。最初の曲Prajna-paramita Hrdaya Sutramがとくにお気に入り。これは般若心経を原音で歌ったものだが、聞きなれた般若心経とはまったく趣が異なり、聞いていると、ヒマラヤの様々な風景が走馬灯のように流れていく。それでも、最後の羯諦羯諦波羅羯諦…(ガーテ ガーテ パーラガテー…) に入っていくところで、少し勇ましくなるのが楽しい。

…なんて調子で、ヒマラヤ系マントラばかり聞いているから、今はヒマラヤのことばかり思い出す。しかも思い出すのは、15年ぐらい前の旅ばかり。そんな昔を思い出すようでは、もう年だな。

そんな訳で、今回は久しぶりに昔のポジを引っ張り出してスキャンしてみた。場所はネパール、アンナプルナ。膝まで積もった雪の山を歩いて、シヴァと仏教の聖地ムクティナートを、二週間かけて往復した。さらに二ヵ月後、反対側の谷間から5500メートルの峠を越えて、再びムクティナートへ。

今でもあれぐらいの峠は越えられると思うが、とはいえ、同じような気持ちで越えられるわけではない。15年前といえば大昔だ。自分も変わったし、そして時代も変わった。当時のインド、ネパール旅行は、アジア旅行ブームの直前ぐらいの時期で、大げさに言えば、何もかもが輝いていた。それに引き換え今の日本では、アジア旅行全般が完全に斜陽(海外全般か…)。貧乏旅行なんて言葉もすでに死語と化した。

愚痴めいた話になったが、こんなことを書けるのも、逆にいえば、ようやくどん底まで来たかな、となんとなくだが思えるからである。どん底までやってくればあとは登ればいいだけ。よくは分からないが、以前とは違う道から、またヒマラヤ目指して登っていこうかな、という気持ちが強くなっている。スタート地点が重要だが、たぶん、多摩川の河原になりそうな予感がする。

それにしても、ほんとインドが好きだなあ、と自分でも呆れてしまう。前世で何があったのか。


| | コメント (2)

ネパールの日々

Nepalvillage7702

(写真はクリックすると拡大します)

久しぶりにインド料理を食べる。といっても、そこはネパール人経営。

お盆休みの関係からか、ほとんど人がいない。というか、途中でインド人がテイクアウトで食べ物を持って帰っただけ。完全に貸し切り状態である。店の人とネパールの話をして、ネパールの映画ビデオを見て、気が付くと、ネパールにいるような気分。山村の旅からカトマンドゥーに戻ってきて、どこかのレストランで遊んでいるような錯覚を覚えてしまう。

というわけで無性にネパールが懐かしくなってしまった。

ネパールには3年前にも行ったが、思い出すのはやはり10年以上前の長期旅行時代。数週間、辺鄙な村を歩いては、カトマンドゥーに戻ってきて、夜は日本人旅行者とビール、そしてまたガイドと二人きりで山村の旅に出ては、真っ暗な夜を地元のロキシー(焼酎)とチャン(どぶろく)で過ごす。なければククリラム。そしてダニや蚤にやられて眠れない夜を過ごす。

そんな日々のなかで、ネパールフォークソングまで覚えてしまった。「シメシメパニマ」は今でも全部歌える。「レッサンピーリ」も半分歌える。「カンチャーメロナーウ」という当時のヒット作もサビは歌える。「マルシャンディーサーラーラーは…」なんてしゃべっていたら、「マルシャンディー川は見たでしょう。ベシサハールとゴルカの間の…」「あ~見た見た。あれか」なんて話をして、夜10時過ぎに店を出たら、そこは日本の街。なんだか夢から覚めたような気分…。

15年ぶりにマルシャンディー川を見たいな~。まあ、数年内のうちに。

次にネパールを行くときのルートはすでに頭の中にしっかりとある。15年前は18日間かけて歩いたルート。もちろんマルシャンディー川も渡って。

今回の写真は15年前ではなくて14年前。ってなんだかややこしいが、14年前はモノクロで写真を撮っていた。

一部の写真は本家chaichaiのほうにアップしている。

http://chaichai.campur.com/gallerymonocrom/monocrom.html

Nepalvillage7701


| | コメント (2)