未知との遭遇(1万年前のインド…)

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前回、前々回に続いて、「アマゾン川奥地で未知の部族を撮影・・・」にちなんだ話題。

上の壁画の写真、インド、デカン高原のジャングルで撮影したものだが(クリックすると拡大します)、見てすぐに、「おもしろいな~」と思った。

壁画には四人の人間が鮮明に描かれているが、確実に言えることは、右の二人と左の二人は人種が違うということ。いや、人種が、というより、たぶん、これは同じ人類ではない。

よくは分からないが、ホモサピエンスと北京原人が同じ森で遭遇したようなものだ。両者の体型や顔つきがかなり異なる。もしホモサピエンスが描かれているとすると、左の二人だろう。右の二人は、左よりもはるかに原始的で、濃い体毛まで描かれている。おそらく原人か猿人だろう。

四人は何をやっているのか。遊んでいるようにも見えるが、左の一人が斧を持っているところから推測すると、やはり戦っているようだ。戦いの勝者となったのは、やはり新人類である左の二人組だろうか。なんといっても、最新式の武器(斧)を持っている。

壁画は1万年前から5万年前とされているが、これは現地ガイドの適当な話。

この壁画自体はほとんど知られていないから、誰も調べていない(調べたってよく分からないそうだが…)。絵が非常に鮮明であるところからして、もしかすると、一万年前より新しい壁画かもしれない。たとえば、5千年前とか…。手にする斧が、もし鉄の斧だとするなら、さらに新しい可能性もある。

ちなみに、上の写真は、パチマリという場所で撮影したもの。パチマリは二度訪れているが、その一度目の訪問の様子はすでに本家chaichaiで紹介している。興味のある方は下記URLからどうぞ。

http://chaichai.campur.com/pachimari/pachimari01.htm

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未知との遭遇…(アマゾン、インド)

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前回に続いて「アマゾン川奥地で未知の部族を撮影・・・」の話。とりあえずユーチューブの映像(といっても静止画だが…)があったので下記リンクしておく。

http://jp.youtube.com/watch?v=_DhCfwEDEII

空撮ということで、細部は不鮮明な映像だが、それにしても非常に不気味な感じがよく出ている。あまりにインパクトが強いので、最初見たときは、ニセ画像かと思ったほどだ。

今回の映像で一番気になったのは、やはり黒のボディーペインティングを施した男。シャーマンではないかと前回書いたが、もう一度映像を見ると、彼だけ弓を持っていない。背後から、状況を眺めているのか、あるいは何か指示しているのか。

黒というのがやはり気になるが、黒は「死」「森」「自然」の象徴で、それでシャーマンかと思ったわけだが、インドでは「時間」の象徴でもある。インドでは、「カーラ(黒)」はカーリー女神、あるいはマハーカーラ(偉大なる黒の意味でシヴァ神をさす)がその象徴となっている。

そんなマハーカーラの世界からやってきたのが、上の写真、サドゥ。
(ということで、インドのことに話は変わるが…)

サドゥを聖者だと考える人もいるが、僕は個人的に、サドゥ(シヴァ派のナガ、ナートなどに限った話だが…)は、原始部族民のシャーマンが特殊に発展した姿ではないかとなんとなく考えている(それもまた聖者の一種だが)。

ま、そういう事情で今回の写真が非常に気になっているわけだが。

ところで、上の写真、サドゥと並んで写っている女の子だが、彼女はあるサドゥグループの世話をする一家の娘だ。だからサドゥには慣れっこになっている。

彼女がサドゥの足に手を添えているのは尊敬の証である。これはインドで普通の習慣だが、もしサドゥが未知の部族民文化をルーツとする集団だというなら(サドゥ世界は血族によるものではないが…)、インド人は、みんなで部族民のシャーマンを拝み奉っていることになる。と同時に、多くのインド人はサドゥに対して、「敬して近寄らない」ので、サドゥはいつまでも自由で遊んでいられる。

放っておいてくれるのが、ま、インドのいいところだ、とある少数民族の人も話していた。

(とはいっても、先住民関連のトラブルはたくさんある。先住民が5000万人も住んでいればそれも当然だ)

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アマゾン奥地で未知の部族民…

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ペルー国境に近いアマゾン川流域のブラジル北部アクレ州で今月、未知の部族とみられる人々の姿が空撮された。上空を通過する航空機に、弓矢のような武器で攻撃しようとしているように見える。(毎日新聞)

写真を見ると、赤くボディーペインティングしている男たちのなかに、なぜか真っ黒なボディーペインティングが見える。人間というより、原人のような感じで、おもしろい。彼だけちょっと違う職種なのかな、なんて想像をしてしまう。シャーマンかな…。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200805300041.html(写真はこちら)

ところで、インドにも未知の部族民がいるそうだ。あるサドゥは森の中で裸族に誘拐されたと言っていたが(最後は開放された)、また別のサドゥは、辺境の村のバザールで完全な裸族を見たらしい。

サドゥいわく。

「写真だってOKだよ。ただし、笑ってはいけない。笑うと猛烈に怒って殺しに来るらしい」

…よく分からない。挨拶もなしにバシャっと写真を撮ればいいのか?

が、笑いかけて殺されかけた人が実際にいるらしい。場所はデカン高原のやや東、インドの秘境チャッティースガル。森の中には、謎の先住民だけでなく、木の実ばっかり食べているような本格的なサドゥもいるらしい。一度行ってみたい。

今回の写真はチャッティースガル州の西となり、マディヤプラデシュ州の先住民。

朝、村を散歩していると、彼女が一人、焚き火をしていた。額に刺青が見える。寒いので、ちょっとだけ火に当たらせてもらった。それだけでも何か不思議な気分だ。

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血液型で見るインド人の起源

血液型番組に対する批判がいろいろあったが、そんなものはどこ吹く風で、昨日も今日も血液型番組をやっていた。血液型云々もおもしろいが、どうして血液型番組がこれほど流行るのか、ということにも興味がある。

血液型による性格の違いはあると思う。血が違うというのはちょっと考えただけでも大きな問題に違いない。血管は体中の隅々まで流れているわけだから、それが人間のあらゆる面に影響するののでは、と考えるほうが普通と思うが。多分、否定したがる人というのは、人間はもっと個性的なんだと主張したいんだと思う。

インドなどに行くと、本当に瓜二つみたいな人間がいっぱい登場してくるのにいつも驚く。…筒井康隆さんのなんという小説だったか忘れたが、殺しても殺しても同じ顔のインド人が現れる、という場面があって印象に残っているが、あれは真実なんだということが、インドに行って納得できた。でも、本当に個性的な人種なんているのかな?

個性的でないことは悪いことではない。少なくとも、インド思想では、(普通の意味での)個性などは余計なものだと切り捨てているはずだ。その先にあるものが重要だと…。だからインド(の聖)人ならこう言うかもしれない。「血液型による差はある。でも、どれも良くない…?」

個人的に、血液型番組に反対する気持ちはとくにない。でも一つだけいえば、…一部の血液型が悪くいわれる理由ははっきりしている。それはたんに、その血液型が少数派であるからだ。違う国でやれば、また違った結果になるだろう。どこの国でも多数派の意見がいつのまにか常識になってしまう。だからそういう意味では、たしかに差別を助長する面はあると思う。

そう今日はそれを書こうと思ったわけではない。最近、chaichaiのほうでインド先住民のことを書いていて、それで彼らの起源がどこかを考えていたのだが、そこで血液型の問題がでてきた。

インド先住民の文化はインドのあらゆる部分に影響を及ぼしているから、まずこれを研究しないとインドは分からない。で、やはり定説どおりに彼らはオーストラロイドではないかとまず考えた。オーストラロイドというのは、オーストラリアのアボリジニなどに代表される人種だが、これが謎めいている。一説には、原白人種とも、あるいはネアンデルタール人系末裔とも言われるが、はっきりしたことは分からない。

ところでアボリジニは、この世を夢として認識しているそうだが、これはインド伝統の思想とよく似ている。インドでも、この世は幻想(マーヤー)だとして軽視する傾向がある。それに、アボリジニとインドの修行者サドゥーとは共通する部分が多いらしいと聞いたこともある。おっ、これはいけそうだ、と思っていろいろ資料を見ているうち、まず血液型でつまずいてしまった。

アボリジニはそのほとんどがO型であるが、インドはむしろB型が多く、O型の確率は30パーセント程度。詳しい資料に当たってみると、インドでも南に行けば行くほどO型が多くなりはじめ、スリランカでは完全に逆転現象がおきている。この資料がどれくらい正しいかは分からないが、思い当たるふしもある。とはいえ、おもに北インドに分布しているインド先住民を、アボリジニと関連付けるのは少し無理があるかもしれない。

ところで、B型の起源はどこなのだろう。中央アジアというのはよく聞く話だ。モンゴリアン世界ではモンゴルと中国北部にとくに多い。ヨーロッパは一般的にB型が少ないが、東ヨーロッパ、とくにロシアが多い。あと、ジプシーはヨーロッパ系としてはすごい確率(36パーセント)でB型である。よくB型は遊牧民(放浪系?)といわれるが、たしかにその傾向が強い。

遊牧系の血はインドのなかにも多く入っているようだが、インド先住民のほうは、残念ながら遊牧系とはいいがたい。そして、一般インド人の顔を見るかぎり、彼らの多くはむしろ先住民系に近い気がする。でも、血液型を見れば、やはりB型が40パーセント前後と、諸外国の遊牧系を上回ってしまう。とりあえず、今は分からないことだらけなのだ。

まったくの当て推量でいうと、遊牧民とは違う系統の、やはりB型が多数を占める人種がインドか、あるいは違う大陸のどこかにいて、それが遊牧系とまじりあい、現在のインド人になった…。などと適当なことで誤魔化してしまったが…。それにしてもインド人はどこから来たのだろう。

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祖先はネアンデルタール人?

現在のヒトは、じつはネアンデルタール人との混血、という記事を見つけた。もちろん、新説には賛否両論はつきもので、これが世界的に認められたわけではない。でも、これはありえるなあ。

さらにこんな記事もあった。ジャワ島で「小型の新種人類の化石を発見した」という。一部の学者は、これは「ホモサピエンスの亜流」と反論しているが、さてどうだろう?

僕は昨日、「不食について」という記事の中で、「もしかすると、人間は共食いによって人間へと成長したのではないだろうか?共食いによる悲しみや愛情が脳を刺激し、人間へと成長する原動力になったとは考えられないだろうか」と書いた。これはただの直感だが、同じ人間でも、例えば現代ホモサピエンスとネアンデルタール人なら、殺し合い、そしてお互いの肉を食べていた時代もあったのでは。

人類学的なことは分からないが、そのあたりの交渉を続けるなかで、突然変異か何かで、本来生まれるはずのない異種人類間の子供が生まれたり、ということはないだろうか。さっきテレビを見ていたら、鳥インフルエンザも突然変異するとやっていたから、異種人類間の子供なんていうのもありえるかもしれない。

それにしても、どうしてそんなことを考えるようになったか。そのことについては、今日は書かない。ただ、そのうちおもしろい報告ができそうだ。

それはもちろんインドに関連していることで、結構貴重な写真もある。多分、来年ぐらいに、と思っているが、その前に、今やっているインドの先住民の説明文をchaichai(インドの写真を発表しているサイトです)に書かないと…。それに神様の説明もいくつか書きたい。

共食い人食い、それに異種人類間での混血、うーん、おもしろそうだ。これにヒンドゥー神々の起源、さらに祭りの起源、そしてインド人の起源とさかのぼれたらおもしろいな。でも、本当はもう少し旅もしなくては、と思う今日この頃です。来年の春ぐらいには可能かなあ…。

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(インドニュース)
インドで列車事故が起こった模様。原因は分からないが、この時期、北インドは深い霧に覆われることも多いから、それが原因かもしれない。

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