血液型番組に対する批判がいろいろあったが、そんなものはどこ吹く風で、昨日も今日も血液型番組をやっていた。血液型云々もおもしろいが、どうして血液型番組がこれほど流行るのか、ということにも興味がある。
血液型による性格の違いはあると思う。血が違うというのはちょっと考えただけでも大きな問題に違いない。血管は体中の隅々まで流れているわけだから、それが人間のあらゆる面に影響するののでは、と考えるほうが普通と思うが。多分、否定したがる人というのは、人間はもっと個性的なんだと主張したいんだと思う。
インドなどに行くと、本当に瓜二つみたいな人間がいっぱい登場してくるのにいつも驚く。…筒井康隆さんのなんという小説だったか忘れたが、殺しても殺しても同じ顔のインド人が現れる、という場面があって印象に残っているが、あれは真実なんだということが、インドに行って納得できた。でも、本当に個性的な人種なんているのかな?
個性的でないことは悪いことではない。少なくとも、インド思想では、(普通の意味での)個性などは余計なものだと切り捨てているはずだ。その先にあるものが重要だと…。だからインド(の聖)人ならこう言うかもしれない。「血液型による差はある。でも、どれも良くない…?」
個人的に、血液型番組に反対する気持ちはとくにない。でも一つだけいえば、…一部の血液型が悪くいわれる理由ははっきりしている。それはたんに、その血液型が少数派であるからだ。違う国でやれば、また違った結果になるだろう。どこの国でも多数派の意見がいつのまにか常識になってしまう。だからそういう意味では、たしかに差別を助長する面はあると思う。
そう今日はそれを書こうと思ったわけではない。最近、chaichaiのほうでインド先住民のことを書いていて、それで彼らの起源がどこかを考えていたのだが、そこで血液型の問題がでてきた。
インド先住民の文化はインドのあらゆる部分に影響を及ぼしているから、まずこれを研究しないとインドは分からない。で、やはり定説どおりに彼らはオーストラロイドではないかとまず考えた。オーストラロイドというのは、オーストラリアのアボリジニなどに代表される人種だが、これが謎めいている。一説には、原白人種とも、あるいはネアンデルタール人系末裔とも言われるが、はっきりしたことは分からない。
ところでアボリジニは、この世を夢として認識しているそうだが、これはインド伝統の思想とよく似ている。インドでも、この世は幻想(マーヤー)だとして軽視する傾向がある。それに、アボリジニとインドの修行者サドゥーとは共通する部分が多いらしいと聞いたこともある。おっ、これはいけそうだ、と思っていろいろ資料を見ているうち、まず血液型でつまずいてしまった。
アボリジニはそのほとんどがO型であるが、インドはむしろB型が多く、O型の確率は30パーセント程度。詳しい資料に当たってみると、インドでも南に行けば行くほどO型が多くなりはじめ、スリランカでは完全に逆転現象がおきている。この資料がどれくらい正しいかは分からないが、思い当たるふしもある。とはいえ、おもに北インドに分布しているインド先住民を、アボリジニと関連付けるのは少し無理があるかもしれない。
ところで、B型の起源はどこなのだろう。中央アジアというのはよく聞く話だ。モンゴリアン世界ではモンゴルと中国北部にとくに多い。ヨーロッパは一般的にB型が少ないが、東ヨーロッパ、とくにロシアが多い。あと、ジプシーはヨーロッパ系としてはすごい確率(36パーセント)でB型である。よくB型は遊牧民(放浪系?)といわれるが、たしかにその傾向が強い。
遊牧系の血はインドのなかにも多く入っているようだが、インド先住民のほうは、残念ながら遊牧系とはいいがたい。そして、一般インド人の顔を見るかぎり、彼らの多くはむしろ先住民系に近い気がする。でも、血液型を見れば、やはりB型が40パーセント前後と、諸外国の遊牧系を上回ってしまう。とりあえず、今は分からないことだらけなのだ。
まったくの当て推量でいうと、遊牧民とは違う系統の、やはりB型が多数を占める人種がインドか、あるいは違う大陸のどこかにいて、それが遊牧系とまじりあい、現在のインド人になった…。などと適当なことで誤魔化してしまったが…。それにしてもインド人はどこから来たのだろう。
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