オートリクシャー
贅沢にもリクシャーが好きだ。とくにオートリクシャー。タクシーに比べるとスピードは遅いが、車体が小さく、振動が大きいから、思った以上に早く感じる。オートリクシャーが縦横無尽にインドの街を走る姿は、すばしこい甲虫類のようでもあり、ちょっとおぞましいところが魅力になっている(おぞましい甲虫類といえばやっぱり南京虫か)。
窓がないのもいい。風を感じられる。もちろん排気ガスなんかも吸いまくりだが、排気ガスの臭いは僕にとってはまさしく旅そのもの。排ガスとドブの腐臭と香辛料とお香と古い揚げ油とインド人の体臭が混じりあった、なんだかわけの分からん臭いが旅の原点。
そんなインドを、うるさいクラクションとともに走り抜けるのがオートリクシャーの魅力である。
砂漠を駆ける
上は今年の3月、ラジャスターンのサム砂丘で車の中から撮った写真。
この辺は観光客用のらくだ使いだらけだが、見てるといい商売で、ラクダで走り回って客を見つけたら、「乗れ乗れ!」と脅しをかけるだけ。相手は外人や金持ちだから実入りもよい。そして夜になったら、仲間たちと意気揚々と村へ帰る。
まったくこんな気楽な商売はない。商売人というより、なんだか盗賊のような人々だ。
彼らは半分放浪民のようなものだが、このサム砂丘で踊っている女の子や楽器を弾いてる人たちはジプシーで、こちらは完全な放浪民。放浪民はやはり砂漠に多いが、そうでなくても蛇使いや猿回し、その他芸人、等々、インド中にそんな人たちが無数にいて、今日も旅をしている。
そんな放浪民たちを象徴するのがサドゥ。砂漠をガイドしてくれた運転手によると、「インド中にサドゥは一千万人いる」と話していたが、ニセサドゥを含めてもそんなには多くないだろう。でも百万人は下らない。インド10億から比べれば、それは微々たるものだとインド人は言うのだろうか。とすれば、なんと懐の深い民族なんだろう。
「放浪したければ勝手に放浪すれば」という、寛容さがなければ放浪民もやってられない。まあ、ただの放任主義ともいえるし、管理できるほどせせこましい世界でもないのだが。
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さてサドゥ本のことですが、宣伝のため、各記事の下にバナーを貼りつけておこうかな、と思っています。毎回、同じバナーというのも鬱陶しいかと思い、いろいろバナーを作ってみました。サドゥ本に登場する写真ですが、バナーのためにいろいろ細工などもしています。今回はこのバナー。
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追記です。「インドの歴史遺産」、今日「オルチャ6」をアップして一応完成です。またどこかに行く機会があったら、追加したいです。
シヴァの谷間から
久しぶりに「WATER DOWN THE GANGES」を聴く。
最初、ヴァラナシのCD屋でカセットテープを買って、それからまたCDも買って、以来、ヒーリングミュージックというのかよく分からないが、その手の音楽を聴くようになった。癒し、というより、もう少し神秘的な、何かの予言がこめられているような、不思議な旋律。
今日、ある人と先住民やジプシーについてメール交換していたら、いてもたってもいられないような気分になり、上の写真をアップしてみた。chaichaiに何度も登場しているデカン高原の森の聖地パチマリ。
4年前にはじめて行ったとき、先住民シャーマン風のおばちゃんが岩の上に座ってシヴァの歌「オームナマッシヴァ」を歌っていた。
一年前に再訪したときも同じ場所でまた「オームナマッシヴァ」を歌っていた。
谷に響き渡る歌声を聞いていると、シヴァの世界まで一っ飛び。
本当は「オームナマッシヴァ」を聴こうと思ったが、カセットしかなく、断念。
カセットを聴く機械が不調で、すぐにテープが巻きつき、めちゃくちゃにしてしまう。
今度、CDで買ってこよう。
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「WATER DOWN THE GANGES」ですが、ティラキタというインド雑貨のネットショップで買えるようです。
「WATER DOWN THE GANGES」はこちらのページ。プレム・ジョシュアのは結構持っているな~。Yatri、SHIVA MOONもかなり好きかな。Om Namah Shivay(オームナマッシヴァ)はこちらのページ。試聴も出来る。
デカン高原の田舎カレー
「インドに行きたい病」になってしまったが、やっている作業もインドものだから別に辛くはない。写真を見ているかぎりは気分もいい。9月からはじめた「広河原の秋」シリーズがすっかり中断しているが、どうせブログを書くんだったらやっぱりインド、という気分だから、こればかりは仕方ない。
今日の写真はデカン高原奥地の村。一番上の写真は宿泊したババジ(サドゥーですね)の小屋で食べたカレーだ。ババジみずから作った。
ババジの名前はガンガーラーム。村から請われてここに長く逗留している。というのは、村にはバラモンなどがいないので、宗教儀礼がはかどらない。その師範役に抜擢されたらしい。
上のカレーだが、なかなかおいしかった。味はシンプルだが優しい。カレーは一種類なので、そのなかに豆も野菜も入っている。ババジなのでもちろん肉なしである。
あとの写真はその近所。子供たちが学校から出てきたので写真をパチリ。みんな先住民の子供だ。
ちなみにこの周辺は90パーセント以上が先住民の村々。下の写真も先住民の一家。外人を見るなんてほとんどはじめてだろう。このあたりに外国人が来たのは二度目か三度目とか、そんな話だ。
出発前は、ガイドが「年に数回は外人と行くよ」などと話していたが、これはみんな嘘…。こういう嘘にはかなり慣れていて、ネパールなんかでもよくあること。でも別に問題ない。たいした嘘でもないし、どうせ現地でばれてしまう。
「お前、じつははじめてだろう?」
「いや、たしか二回目かな~」
「嘘言わんでいいよ。こんな山奥で。いまさらクビにも出来んし…」
といった感じの会話を、ネパールで二回した記憶がある。ただしこれはネパールの話で、これがインド人ガイドだと「いや何度も来てる」「そんな話をした記憶がない」などと、あくまでしらばっくれる。
え~と、話は村に戻る。このあたりの先住民は非常にシャイ。相手が外人だから、というだけではなく、ほんとにおとなしい。村も静かだ。やはり森に囲まれているせいだろうか。
一番下の写真。田園風景の向こうに山並みが見え、さらにその奥から少し見えている山頂が、「デカンのカイラス」チョーラガル山。「デカンのカイラス」というのは僕が勝手に呼んでいるだけだが、形も欲似ているし、実際、この地方の聖なる山だ。もちろんシヴァが祭られている。詳しくは「シヴァの山へ」で…。
デカンの田舎はほんといいとこ。地酒もあるし、風景も奥が深いし、人もあたたかい。もちろん、それだけではなく、神秘的な話もいっぱい、動物もいっぱい、サドゥーもいっぱいで決して退屈しない。
ちなみに上の写真は去年の12月撮影です。
夜中なのにカレーが食べたい
ただいま夜中の四時過ぎ。こんな時間なのに、なぜかインドカレーが食べたくなった。
先日、久しぶりにインド料理屋に行く機会があってマトンカレーセットを食べた。さらっとしたカレーで、まあ、悪く言えば安食堂の味だったが、久しぶりの香辛料があとをひいている。
インド料理屋といってもパキスタン人経営ということで、一緒に行った人の話によると、行くたびに味が微妙に変わるという。まあ、適当に料理してるのだろうが、僕はもちろん気にならない。インドカレーは基本的に小麦粉を使用しないので、とろみがつきにくい。昔、よく挑戦したが、やはりさらっとした汁カレーになってしまう。でも今から思うと、あれでよかったのだ。香辛料さえ適度に効かせてやれば、日々の飯としてはむしろ食べやすいし、飽きもこない。
久しぶりに自分でインドカレーでも作ろかな…。香辛料さえうまく使えれば、意外と簡単かもしれない。美食から遠ざかっているので、むしろ安食堂の味のほうがうまいくらいだ。
上の写真は春にコヴァラムビーチで食べた魚カレー。別に高くはないけど味は安物のカレーだ。外人用なので香辛料が足りていなかった。ケーララのカレーは、安食堂だと今度は辛すぎて、どちらかといえば苦手。先日のマトンカレーがきっかけになったので、今はノンベジカレーが食べたいかな。たとえばハイデラバードビリヤーニとか…。
インドの安食堂で飯が食いたい
秋だというのに少々インド病気味である。
ここ最近(だけではないが)、毎日インド関係の作業に没頭しているからだろう。夢にまでインドが登場する。
たとえばレストランなんかに行っても、すぐにインドの安食堂を思い出す。
あの適当な雰囲気のなか、適当な人に囲まれ適当な食べ物を食べたいな~と思ってしまう。
適当、適当といっても飯自体が不味い訳ではない。僕は味にうるさいほうの人間である。とはいえ、上の写真程度の清潔さがある場所では、まずひどい飯は出てこない。なんといっても、毎日飽きもせず、プリー(揚げパン、下の写真)ばかり作っているようなオヤジがやっているのだ。目隠ししても失敗しないだろう。
それにしても毎日インド、インド~で我ながら困ったものだと呆れてしまう。
インドを思い出さない日はほとんどない。あるとすればインド以外の国を旅しているときぐらいだ(やっぱり旅はいいね)。それでも、ちょっと気に食わないことがあると、インドでは、とつい愚痴をこぼす。
一番インドを痛切に感じたのがマレーシア、あの国は国民の何割かがインド人だが、マレー人や中国系に押されてインド人らしい元気が感じられない。そんなマレーシアでインド映画の知っている曲などを聴くと、つい感傷的な気分になる。マレーシアは10日しかいなかった。ほんとは一ヶ月ぐらいいる予定だったが、10日で10回以上インド食堂に通うことになってさすがにバカバカしくなってしまった。インドの影がない国に行こう…。
美食の街香港でも、重慶大厦(チョンキンマンション)に通って、インド料理屋やネパール料理屋に通った。ちゃんとした料理なのに中華屋台より安かった。安くてうまいものを食べるのは旅の常道。香港だから中華を食べなければいけないなんて理由はどこにもない。
ネパール料理屋で片言のネパール語を話すとひどく喜んでくれた。経営するのはグルン族の家族。なんだか遠い異国の地で、同郷の人に出会ったような喜びがあった。というのも、僕はネパールに行くたびに「お前はグルン族そっくりだ」と言われ続けてきたのである。
次にインドに行けるのはいつだろう?ネパールでもいいけどね。グルン族の村もめぐりたいな。
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砂マンダラ
写真は約15年前にインド、ラダックで撮ったもの。左は砂マンダラ製作の様子です。
砂マンダラとは、彩色された砂で極彩色のマンダラを描く修行。何ヶ月もかかるらしいが、完成したらすぐに壊してしまう。このときは、たしか砂マンダラが完成間近だからということで、レー近郊のお寺に出かけた覚えがある。
右はそのお寺ではなく、たしかティンモスガンという村の寺。まるで城砦のように巨大だが、ラダック地方ではいたるところにこんな寺がある。
今回、砂マンダラの写真をアップしたのは、最近、自分がやっていることとちょっと似ているな~、と思ったからだ。
前回、昔撮ったモノクロ写真をあらためてチョイスしていることを書いたが、あのあと、さらに絞り込んだ写真を200点ほどスキャンしてデジタル化した。それで終わりなら話は早いが、ここからが苦行である。
というのは、データ化した写真のゴミと傷を取り除かなければならない。
これらの写真は、それぞれタイとネパールでネガ現像してもらったもので、今から思うと失敗だったが、結構傷をつけられた。あまりにひどい傷のためにプリントをあきらめた写真もあったが、デジタル時代の現在ではその修復が自力で可能である。ありがたい時代だが、この傷と、付着した無数のゴミを取り除くのは結構手間がかかる。
100パーセント表示した巨大な画像に目を凝らしながら、一つ一つ修復ツールなどをつかって余計なものを取り除く。比較的きれいなデータなら一枚十分ぐらいだが、ものによっては一枚あたり30分以上かけて丁寧に取り除く。平均すれば一枚20分ぐらいだろうか。
これを150点以上やるから、ざっと計算して五十時間かそれ以上である。
完全に一週間仕事だ。
ゴミ取り傷取りは、最初はまったく、と思ってやっていたが、調子に乗ってくるとそれはそれで、何と言うか、無の境地になるようななかなかいい気分である。そして一枚きれいにする度に、一つ善行を積んだような気分にもなれる。
ネパールの写真が多いから、ずっと同じネパール音楽を聴きながら、この作業をやり続けているうち、砂マンダラを思い出した。
砂マンダラを作る坊さんも苦行だと思ってやっているわけではないだろう。嫌々だといいものは作れない。
無心になって作業するのはなかなかいいものである。
うちは家系的に職人も多いようだから、こういうのは結構体質にあっているのだろうか。子供の頃も庭仕事だけはなぜかおもしろく、将来は植木職人になろうかと考えたぐらいだ。
それでもよかったと本当に思うが、間違って大学(中退)に行ったばかりに今は写真のゴミ取り傷取りである。
まあ、これもおもしろいが。
というわけで、あと二日ぐらいは今の作業に没頭しよう。
終わったら、また別の作業に没頭。
没頭するにはいい季節ですね。ということで。
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青い山
昨日からようやくスイスの写真の整理を始めた。約八千枚の写真をいちいち開いては選択し、画像処理を施し名前をつけて保存、これの繰り返しである。終わるまでに一週間ほどはかかりそうだ。単純作業であり結構大変だが、写真を撮る人間にとっては楽しい時間でもある。旅の緊張感からも重い荷物からも開放され、旅の余韻にゆっくりと浸れる。
ところで、近所はお盆のためか、すっかり静まり返っている。東京郊外の住宅街では、たいていの家は里帰りか旅行中、ということだろう。夕方や夜に外へ出ると、人も少なく、なんだか不気味なほどである。近くにはヒグラシが鳴き続ける大きな森があって、そのあたりが特に怖い。中には散歩道が通っているが、特に夕方以降は殺気さえ感じるほどだ。あんなところで肝試しなんてしたら、行方不明者が出そうだ。
今回の山の写真はスイスではなくインドの山である。ヒマラヤ四大聖地の一つ、バドリナートの背後にそびえるニールカンタというその山の名前はシヴァ神の伝説にちなんだもので、「青い喉」を意味するが、そのことは今は書かない。ただ、ニールカンタの「ニール」、「青」というのが気にかかった。
タイトルに「青い山」とつけたが、これはさわやかな青ではなく、冥界の青である。この山のふもとに住むサドゥーたちに会うため、何度もその辺をうろついたが、山の印象は非常に不気味で、いつも感じていたのは「冥界の青」だった。その息吹の只中に住んでいるためか、この辺のサドゥーたちの雰囲気も荒涼としていた。たとえるなら、三途の川の番人「奪衣婆(だつえば)」である。もっと悪く言えば、まるで山賊のようでもあった。近くに軍の駐屯地があったので安心はしていたが、それがなかったら近寄らなかったかもしれない。
ところで、サドゥーの小屋の近くに、ある登山隊の慰霊碑があった。そこに記されているのは何人かの日本人名。ニールカンタに登ろうとして遭難したのだそうだ。あるインド人の話では、ニールカンタはいまだ未登頂であるとか。登山自体が許可されているかどうかは不明だが、何しろシヴァの山である。しかも「冥界の山」。不気味である。この山に挑戦するということ自体、ある意味、死にに行くようなものではないか、と。
「お盆」ということで今回はこんな話題になった。なんといってもインドは「お盆」発祥の地。精霊流しも健在である。ただ、いわゆる「お盆」というのがあるのかどうかは知らない。
次回以降はスイスの話もしてみたい。
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引越し
引越しなどでバタバタしていてブログの更新も久しぶり。まだまだやることはあるようけど、とりあえず、食べる、寝る、風呂、洗濯が出来て、それにインターネットがつながったから何とかやっていけそうだ。
引越し自体はあっという間で、別に大変でもなんでもなかった。それに部屋もきれいになったし、引越しもたまには悪くはないな~、などと今は思っている。やはり、同じところにずっといるのはいいことではない。当然部屋は汚くなるし、かといってマメに掃除などするわけがなく、何もかもが停滞し、淀んでしまう。そんな風になる前に、二、三年に一回ぐらいのペースで引越しするのが理想的かな。
ありえないことだが、もし有り余るほどのお金があったとしても、家は建てない。借りるより買ったほうが得だというけど、それはあくまで金銭的な話。だいたい、すごい嫌な奴が隣にいたら、どうするんだろう?借家なら、さっさと引越して、ハイ、終わり、である。それに引越しのたびに荷物も少なくなっていって身も軽くなる。今回も、よくこんなにも、と思うほどのゴミ、というか不要なモノが出てきたので、情け容赦なく捨てた。しかし、それでもなかなか捨て切れてないものである。これもいらん、あれもいらん、というのがいろいろ今もあって、次の引越しに備えて、いろいろと思案中である。
さて、今回の写真だが、今年初め、アラハバード・サンガムで行われたマグメーラー(マグ月の祭り)のもの。毎年、インド中から大量の人々がやってくるのだが、流浪の民みたいな人も結構多い。もちろんサドゥーもいるし、乞食もいる。身一つ、とか、一抱えの荷物だけを持ってうろうろしている人々である。荷物が少ないばかりではなく、地位も職業も土地も、それから家族もいなかったりするから、まったく自由そのものである。捨てるものなんか全然なかったりする。
写真のトラクターは、どこかの家族連れのものだが、大切なものは全部そこに積んで、一週間とか一ヶ月とかの単位でここに暮らしている。家のほうは、もぬけの殻かもしれない。もともとたいした物は持っていないだろうし、空っぽになった家には泥棒も入らない。気楽なものである。食事も毎日同じような粗食で不満もなく、トイレは野糞、シャワーは川の中なのだ。何もないような暮らしだが、毎日、太陽の光をいっぱいに浴びて夜は月を眺めながら暮らしている。貧しさを美化するわけではないけど、それはそれで、考えようによってはとても贅沢な暮らしといえる。
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元祖チャパティー


サドゥーの小屋で食事をいただいた。チャパティーとカレーが一品。カレーは小麦粉を使った「肉もどき」の具を使ったもの。なかなかおいしかったが、写真は元祖チャパティーである。かなり肉厚であるが、これもおいしかった。大地の香りがほのかにただようのは別に気分の問題だけではなく、最後の仕上げにあるのだろう。
アタ(強力粉のようなもの)と水をぐいぐいこねて団子を作り、丸く伸ばして厚手のフライパンで焼くのは通常のとおりだが、八割がた火の通ったチャパティーを、灰に直接置いたり、焼けた木に置き、残り火でじっくりと焼き上げる。これが食堂であったら、一気に直火で焦げ目をつけてしまうのだが、こうして最後に時間をかけることで、世にも香ばしいチャパティーが出来上がる。焦げ具合なんかも絶妙である。
ちなみに、サドゥーの小屋の多くは、その中心に四角い竈を持っている。当然、調理もそこで行われるのだが、そこに燃え盛る炎は神聖なものであり、例えばタバコの灰などを投げ捨てたりすることは絶対にない。竈の火は、とくに使用しない場合にも、静かにくすぶる程度に制御され、長期不在などの場合をのぞけば、夜も昼も燃えつづける。そして出来上がった白い灰はサドゥー自身が体に擦り付けたり、ときおり訪れる客人に下されたりする。写真のチャパティーは、じつはそんな場所で作られたものである。まさに「仙人の食卓」と呼ぶにふさわしい。
ちなみに、サドゥーの小屋で食事をいただき、小屋をあとにする場合には喜捨(ドネーション)を置くのがマナーである。喜捨であるから値段は自由だが、例えば、そんなに裕福でない普通のインド人がチャイだけを飲んで帰るような場合、観察したところでは10ルピーから20ルピー程度の札を置くようである。チャイを普通に飲むと、高くて5ルピーが相場だから、これはなかなかいい金額である。つまり、サドゥーの小屋というのは高級チャイ屋だと考えて間違いない。しかも、こういうところで食事までいただくと、差し出す金額にふと悩んでしまう。例えは悪いかもしれないが、まるでメニューのない高級寿司屋といった趣もあるし、あるいは中世日本の竹林の茶室のようなものだとも想像できる。僕は何度も同じ小屋を訪れる場合は、例えば手土産に果物持参で訪れたりもした。そして最初と最後の訪問の折りにはやはりお金を置くわけである。いくら置いたのか、といったことは秘密である。もちろん、小屋によって、サドゥーによって、金額は同じではない。
話があらぬ方向へ逸れてしまった。いや、別に他に書くこともないかな。一つ付け加えれば、食事やチャイを作るのは主人の役割だが、食べた食器は基本的には食べた人が洗うことになっている。
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ヒマラヤの空
今年のヒマラヤは天気が悪かった。前半二週間はちらほら雨に降られる程度だったが、その後は結構雨つづきだった。雨天や曇天も決して嫌いではないけど、長引くとやはり辛い。出発が二週間遅れたら、結構きつかったかな~、と思う。
雨はきつかったけど、良かったこともたくさんある。とくに印象的だったのは、空を流れていく雲の移り変わりだ。毎日、同じ時間に同じ場所から同じように眺めていても、決して飽きることのない遠い空の世界。白い雲と黒い雲が交差してゆく様子や、ときには雲がクルクルと形を変えて、ふとヒンドゥーの聖なる「オーム」の形を成すこともあった。こうした雲の不可思議な動きは、雨季間近の気流の不規則な流れに加えて、ヒマラヤ高峰の尾根や谷の複雑な地形の影響もある。気流は山々にぶつかるたびに劇的に流れを変えて、思わぬ方向へと散っていく。そうした複雑怪奇な大気の流れはそれぞれ影響を与え合い、あらたな流れを生み出し、止むことがない。
僕は最近、雲がビュンビュン流れていくさまを、何か、今までとは違う目で眺められるようになった気がしないでもない。あるいは、それもサドゥーとの交流の副産物かもしれないが、副産物にしてはとても大きなものだ。サドゥーの写真を撮るんじゃなくて、サドゥーのような意識でそういう自然を捉えられないものか、と何度か思ったりもした。
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chaichaiトップパージの写真を変えました。標高3500メートルシヴァ神の聖地ケダルナートから少し歩いたところにあるベル寺院と、寺院の守り主スミルナート・ババです。スミルナート・ババは寺院のすぐ近くに庵を持ち、そこで一人、28年にわたって住んでいるサドゥーです(もちろん冬は麓まで下りますが…)。彼の庵を4.5回訪れただけですが、今回の旅ではもっとも印象に残る人でした。
あと、chaichaiのサブタイトルを変えました。sauth asian imageだったのをsauth asian soulにしました。たいした変更ではないです。soulは直訳すれば「魂」ですが、最近はインドの古い古い魂の部分を撮っているので、あえてそうしてみました。
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小さなマハトマ
昨日インドから帰ってきました。すぐに写真のチェックをするのはいつものとおりで、それで一安心。その後、急に旅の疲れが出てきて今もぼんやりしています。心地良い疲れなので、しばらくはそれに浸っていてもいいかな~、なんて思っています。
今回はひたすらサドゥーでした。前回、前々回よりはるかに密着して彼らの写真を撮りました。どうしてサドゥーなのか?という質問を旅の中でも何度か受けましたが、それはまたいずれ書きます。長くなりますから。ただ、15年前に写真を始めたとき、頭の中にあったものはやはりサドゥーでした。でも、写真初心者、インド初心者にとってサドゥーのハードルは非常に高く、すぐに方向転換しました。ただし、自分のインドの写真には何かが欠けている、という意識はずっとどこかにありました。それがサドゥーだったわけです。
サドゥーの写真についてはこれで終わり、ということではないのですが、一応一区切り、ということです。コレクションをしているわけではないので、同じような撮り方では意味はないかな、と。むしろ、彼らとともに居た時間のなかで気付いたいくつかのヒントみたいなものを次の写真に生かしたい、という気持ちが強くなっています。
今回の写真ですが、ヒマラヤ山中、シヴァ神の聖地ケダルナートの寺院前での記念写真です。左端のサドゥーですが、今年の一月にガンガーサガール祭で、小屋に一泊させてくれたナンディーバルティー・ババです。NEUTRAL誌第七号のサドゥー特集にも登場していますし、このブログでも一回登場しました。偶然ここで出会いました。ただ、ガンガーサガールでは全身に灰を塗りたくっていたので、最初は全然分かりませんでした。「何でこいつは執拗に散歩に誘ってくるのだろう?」と不思議に思っていました。なんか、声に聞き覚えがあるな~、などと思いながら…。
左の二人の子供も正真正銘のサドゥーです。二人はそれぞれ別のグル(師匠)がいるのですが、ここで出会って遊び仲間になってしまったようです。こんなに小さなサドゥーはちょっと珍しいので、一部の金持ちインド人観光客たちも、「この子らは本当にマハトマ(サドゥーに対する尊称)なのか?」などと質問していました。彼らの意識の裏には、「学校にも行かせず、サドゥーにしていいのか?」みたいな意識が働いているようでしたが、学校に行かない、あるいは行けない子供なんてインドには珍しくないし、所詮は金持ちの思いつきの偽善、といったところでしょう。小さな二人の子供は、こうした大人たちにも容赦なく金を請求していました。将来はビック・サドゥーになりそうだ。
サドゥーの話は、正直言って尽きることがないぐらいあるのですが、今後のブログでは、過去のインド旅行について、あるいはそれ以外の話題なども取り混ぜて書いていくつもりです。サドゥーは良くも悪くもあくが非常に強いですから、ブログではどうかな~、といったところです。
さて、長くなってしまったので今回はこのへんで。
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日没後の河原
前々回、橋の上から見たサンガムの夜景の写真を紹介した。それで今回は橋から降り、河原の風景である。時間は日没後すぐ、刻々と闇へと向かう、もっとも神秘的な時間。暗いから写真を撮るのは大変だが、僕がもっとも好きな時間帯でもある。
遠くには前々回の写真を撮った橋が見える。橋の上の電灯にも火が灯っている。一瞬、人の声も絶え、静けさが河原を包み込む。と思ったら、写真に写っている二人連れがこちらに気付き、ほかの人もやってきたりして、何枚も写真を撮らされる羽目に。
ところで、朝にも似たような時間帯がある。いうまでもなく、日の出前である。ただし、それは似て異なるもの。空気は凛と張り詰め、ついでに人々の表情も張り詰め、鳥たちもうるさく泣き叫ぶ。そして何より違うのは、空気感。夕方の空気には土ぼこりが混ざっている。何万人、何十万人といった人々、あるいは車が巻き上げた土ぼこりが漂うのである。夕方の空気には生活を感じる。たいして、朝の空気には自然を感じる。それがインド人なら、神も感じる、と付け加えるかもしれない。
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前人未到の世界へ
このあいだ、日本に帰るためにカルカッタの空港にいたら、すごいおじさんを見つけた。180センチを軽く超える巨体で、しかも腹がものすごく膨れ上がっている。インドによくある体型だが、このおじさん、それだけではなかった。その両耳から、ふさふさと10センチぐらいの耳毛が生えている。以前、テレビで見たことがあるような気もする、いわゆる「耳毛男」である。この程度は別に珍しくもないのか、空港内の誰も注意を払っていない。「インド人もびっくり」というのはよく出来た言葉で、確かにインド人は少々のことでは驚かない。
耳毛男の写真を撮りたかったが、撮影禁止の空港内だし、男も怖そうだしということで、さすがに無理だった。代わりに、よくある長髪サドゥー。いや、サドゥーというのは基本的には長髪だが、このサドゥーの髪の毛は、長さ3メートルぐらい。それを祭り会場で見せびらかして金を集める。
このサドゥー、写真で見るとおり、弟子もいるようで、それなりに尊敬されている。尊敬される理由は多分、髪の毛が長いからだ。たったそれだけの理由で尊敬されるとは日本では考えられないが、サドゥーの世界で大切なのは生命力。長い髪の毛は誰もが可能なわけではなく、やはり強い生命力の賜物である。早い話、別に髪の毛でなくてもかまわないのだと思う。大切なのは、誰も経験していない未知の世界に到達すること。インド人、とくにサドゥーが一芸に徹するのは、そんな理由があるような気がする。片手を挙げたままで何十年とか黙ったままで何十年とか、さまざまな境地で前人未到の世界を目指すインド人たちがいる。
(付記)写真左端の女性も多分、すごく髪の毛が長い。多分、弟子だろうか。二人並んでやってもらっても良かったが、インドにいるとだんだん何にたいしても驚かないようになってしまうので、そのときは気が回らなかった。
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ガンジス川の水で作ったチャイ

ヴァラナシを立ち去る日の朝。ガート沿いを歩いていたら、三人のババジ(サドゥー)が河原に近い砂場に座っているのが見えた。一人はふんどし一枚の本格派(?)である。そういえば、ヴァラナシはババジが減った。ちょうどその時期はカトマンドゥーのパシュパティにババジ連中は大集合するからなおさらである。それにしても、ババジのいないヴァラナシはマサラの入れ忘れたカレーのようなものだ。ババジが少なくなったのは、ヴァラナシが観光地化してシャンティー(静寂を意味する言葉)ではなくなってきたから、とあるババジは言っていた。話が脱線してしまったが、そんな味気なさを少しヴァラナシに感じていたので、このときは挨拶して一緒に座らせてもらった。それでしばらくしたら、チャイを入れてやるといわれて作ってくれたのが左側の写真。ただし、このチャイはミルク半分にガンジス川の水が半分で出来ている。目の前で、汚いガンジス川から水を汲んできたのでもう間違いない。まさか嫌だとはいえない。ババジ自ら聖なる水を汲んで作ってくれたチャイである。お湯の沸かし方も中途半端だった。鍋がないからグラスに水を入れ、暑くなった牛糞の上に置いて温める程度。別々に沸かした水とミルクを適当に混ぜて、茶葉と砂糖と何かのマサラを加えて終わり。味も期待していなかったが、これが予想に反してうまかった。あのマサラに秘密があるようだが、やはりガンジス川の水がうまかったのかもしれない。チャイを入れてくれた容器はもらって日本に持ち帰ってきた。これでコーヒーでも飲もうかと思ったが、下が丸くなっているのでうまく立たない。当たり前のことだが、これはあくまで土の上で使うものだ。日本にもって帰るとガラクタと化してしまうのが寂しいところだが、まあ仕方ない。次の旅に持っていって、帰る前にインドの土に返すというのもいいアイデアかもしれない。
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何気ないインドの夕暮れ
ガンジス川巡礼をテーマに写真を撮っているので、ヴァラナシにいるときもガンジス川にひっついて時間を過ごすのだが、これがたまに疲れる。それで、メインガートからアッシーガートまで歩いたあと、ふらふらと街のほうへ向かった。そこでふと気に入って撮った写真がこれ。写真の良し悪しというのはさまざまだが、僕はこういう何気ない写真も好きである。何気ない写真というのは、本当に何気ない、ただ、旅の記録のような写真のこと。
ちなみに、何故この写真を撮ったのか、というと、夕暮れの光がきれいだったし、それにもちろん牛がかわいい、ということ。さらに、道の端の塀が、大木のところだけやめて、作られていること。これが中国なら根こそぎなんだろうな。インドはこういう、別に役にたってなさそうなものを街中にいっぱい残して、それで汚くはなるけど、でもとても温かみのある世界が続いていく。そういう世界を味わいたくて、またインドに来たんだな~、ふと思って写真を撮った。
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ババたちの収入は?
久しぶりの更新だというのにちょっと怪しい写真ですいません…。
ナンディーババ、ガンジス川の河口ガンガーサガールの祭の最終日の前日に、小屋に泊めてくれたババである。これは夜の11時、彼らが座る台座の裏にある小さな小屋の中から、外のナンディーババを撮った写真。ババは、台座の上に座りっぱなしで、次々とやってくる信者たちの頭を箒でたたいて祝福する。最終日前日とあって、休む暇もないほど忙しい。…というより、信者の差し出す小銭が山となるまでガンガン稼ぐのだ。この通りに座るサドゥーは約30人だが、みんな寝る暇も惜しんで稼ぎまくる。正直言って、こんなに勤勉なババたちは初めて見た。現金収入というのは彼らにとっても魅力らしい。
ちなみにこの台座と裏の小屋は早い者勝ちの有料制だとか。料金は確か100ルピーぐらいだったか。ここで数日座ればあっという間に元は取れる。そればかりか、外国人に親切にしたりすれば、ガ~ンと儲けることだって夢ではない。僕も毎日果物を土産に持っていったし、それ相応のお礼は当然した。ナンディーババは、お金を要求するようなことはなかったが、ババたちが金を欲しがる気持ちは僕にはよく分かる。金がなければ旅は出来ない。旅が出来なければ、僕たちの心は死んでしまう。勝手な理屈だと呆れられそうだが、それは真実なのだ。というわけで、ババの写真を撮ったらチャイぐらいはご馳走しましょう。
…なんて、話はあらぬ方角にそれてしまった。ちなみにババは素っ裸、ただし寝るときは、服を着たチェーラ(弟子)も一緒だったので、ちょっと安心したものである。
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chaichaiのトップページの写真を変更しました。単純な構図の写真だからすぐ飽きるかもしれない。寿命は意外に短いかもしれませんが…。
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アマルカンタクの子供たち
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前々回のブログでアマルカンタク(ナルマダ川源流の聖地)のことを、「ちょっとした秘境」とか「とんでもない田舎」と書いたが、少し大袈裟な表現だった。なんといっても、バスが走るような町である。インドでは徒歩でしかいけない村なんて珍しくもない。だからアマルカンタック程度では、インドの感覚で言えば、ちょっとした田舎、といったところであるのだが、それでもちょっと不思議な場所ではあった。
さて、左の写真だが、アマルカンタクのバザールの裏手の林の中、前日にも写真を撮った子供たちにまた出会った。それでせがまれて、記念写真を撮ったのだが、右の3人がちょっと変なポーズをとっている。青い服の女の子の様子では、それが笛を吹くクリシュナのポーズであることが分かる。右端の男の子も同じだろう。真ん中の子もやはり印のようなものを結んでいるが、ローカルな神様の真似だろうか。
カタカリダンスの国インドでは、大袈裟なボディーランゲージは普通だし、子供も何かと変なポーズをつけたがるが、ふっとクリシュナの真似をするのも何だか怖い。インド屈指の神秘的な聖地で育った子供たち、写真をとるたびに神様が憑依するのかもしれない。インドに限らず、辺境の聖地ではよくあることなのかもしれない。日本人でもそんな人とあったことがある(その人は紀伊熊野周辺の出身だった)。
次回以降もアマルカンタクの紹介をすると思うが、アマルカンタクについては、あるサイトですでに詳しく紹介していて、僕もまた、そのサイトの情報を見て訪れたことを明記しておきたい。そのサイトというのは、chaichaiからもリンクしているバラティヤ・ダルシャン、アマルカンタクのほか、デカン高原の不思議な場所について紹介している素晴らしいサイトなので、特に紹介しておきたい。
最後に右の写真だが、別に意味はなく、アマルカンタクのある風景です。
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歯磨き男
写真をいろいろとチェックしていると、ふと変な写真が気になるものである。例えば、この写真。今回の旅でアマルカンタックに行ったときのものだ。アマルカンタクは重要な聖地であるにもかかわらず、ロンリープラネットにさえ載っていないちょっとした秘境、というかとんでもない田舎なんだが、人は当然素朴である。
写真は、土手を歩いていて出会った男たち。そのうちの一人が手に持っていたニームの木かなんかの枝で歯を磨き始めた。「おっ、それはかっこいいなあ。みんなでやってくれたら、もっと絵になる」とかなんとか適当に言ったら、みんなで歯を磨き始めた。
いや~、何と言うか、朴訥素朴でいいですね。ますます辺境に行きたくなった。ちなみに、このアマルカンタクはマディヤプラデーシュ州という、デカン高原北部に位置する州の東の端っこにある(ややこしい…)。そして、アマルカンタクから一歩東に歩き始めたら、デカン高原最奥の地、チャティスガル州である。アマルカンタクの一部はすでにチャティスガル州であり、今回の旅でちょこっと歩いた訳だが、いつかゆっくりと旅してみたいとあらためて思った。
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