今まで行った国は11ヶ国である。少ないとはいえないまでも多くはない。しかも旅行していた期間はのべにして約5年だから、それにしてはやはり少ない。
その内訳は、5年のうち、約3年はインドで、1年がネパール、その他、9ヶ国で1年といった感じだ。9ヶ国のなかでは、インドへ行く途中に何度となく出入りしているタイが一番長く、たぶん三ヶ月あまり、あとはスペイン、ポルトガル、エジプト、スリランカがそれぞれ1ヶ月半ぐらい。
ヨーロッパの冬を3ヶ月旅したときは、スペイン、ポルトガルのほかにモロッコぐらいは行こうかと思ったが、結局行かずじまい。普通3ヶ月旅するとしたら、フランス、イタリアなども含めて、最低5,6ヶ国は行くと思うが、なぜかすぐ隣の小さな街などが気になって、なかなか距離が稼げない。
たくさんの国に行けないもう一つの理由は、同じ場所にまた行きたくなってしまうからだろう。
ある所に行って、数年するとまたそこに行きたくなる。懐かしくなるのもあるし、また行ったら、今度は違った写真を撮れるんじゃないかと考える。たとえば、今はネパールの村に行きたいし、そのほかでも、先日、ケーララの写真を見ていたら、このジャングルのさらに奥に行ってみたいな、とふと思ったりした。もちろんデカン高原にもまた行きたいし、インドヒマラヤのふもとや奥地もさらに歩いてみたい。また何よりサドゥが旅するガンガー源流への思いは、たぶん一生消えることがない。
インド、ネパールだけでも永遠に旅が続いてしまいそうだ。とてもじゃないが、アフリカや南米などには足が向かない。
ところで今回の写真、ラオスである。6年か7年前に二週間ほど旅をした。写真を公開するのははじめだと思う。
期間は短かったが、村めぐりが強烈で、印象が非常に強い。北部の山あいの街(規模的には村)からガイドを雇って、ミャンマー国境沿いのアカ族の村を巡った。たぶん、外国人の立ち入りは禁止されていると思うが、チェックポストがあるわけでもなし、軍人も警官もいないような場所で、しかもガイドというのがじつは村専門の薬売りであり、外人のガイドはなんとはじめてだという。さらに英語はほとんどといっていいほどしゃべれない。意思疎通は身振り手振りと、あとは筆談ならぬ絵談である。
当たり前だが案内もめちゃくちゃで、次の村まで一時間だよ、と言えばかならず二時間かかるし、二時間と言えば四時間、といった調子で、ペットボトルの水もすぐなくなり、そこらへんにたまっている泥水まで飲んで必死で山を歩いた。これまでヒマラヤを100日以上歩いているが、こんなにきついのははじめてだった。
泊まる村にたどりつくのはいつも夜。日程を延長すればよかったのだが、ムアンシンに一ヶ所しかなかった旅行会社で足元を見られ、ガイド料金を1日につき45ドル払っていたから、金銭的に延長はきつかった(ガイド自身にはその半分も入っていないとあとで判明した)。
そんな旅だったから、村めぐり四日目の最終日に、突然スイカ畑が登場したときの感動は忘れられない。一番デカそうなスイカを一個買って、ガイドと半分ずつ、一気に食べた。これまでの人生のなかで一番うまかったのは、あのスイカである。
ムアンシンまで帰ってきて、宿のおばさんに「いったいどこに行ってきたの?」と聞かれて、「歩いてメコン川まで」と答えると、「クレージー!」と返された。
そんな無茶な旅だったが、印象が強烈な分だけ旅としてはおもしろかった。また行きたいかと聞かれれば、まあ、そうかな、と思う。というか、メコン川沿いに一つ気になる村があって、夜に到着して倒れるように寝て、また早朝出発したからほとんど幻のようなものだが、ぼんやりと光るメコンと、村のいくつかの光景がその後もしばらく夢のように頭をめぐった。そんな辺境の村にまた行ってみたいような気はする。
ちなみに今回の写真はアカ族の子供たち。気になる村というのは、また違う部族であったが、名前などは覚えていない。
ラオスの話が長くなったが、万事そんな調子なので、インド、ネパール以外といえば、たとえば東南アジアのどこかの辺境とか、海沿いの寂れた田舎町かな、といったところで、これではアフリカ、南米なんてとても無理だ。来世に行くことにしよう。
ところで、この記事を書く前に、ネットで前世占いなるものがあったから生年月日を入力してみると、僕の前世は、「旅する者」であった。この分でいくと、来世は「旅する者=サドゥ」となるのかな。
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