(上の写真は、クリックすると1200×797のサイズに拡大表示します)
三日間、京都を歩いてきた。今回は帰省目的なので、写真はついでぐらいのつもりだったが、三脚にカメラをセットすると、ついでもなにもなくなってしまう。
京都で印象的だったのはやはり稲荷山(伏見稲荷)だった。
かつて20回ほど撮り歩いていたので今更という気もしていたが、何はともあれ京都で一番好きな場所であるのは稲荷山をおいてほかにはない。それに、3年間川の写真を撮って、今の自分に稲荷山がどんな風に見えるのかに興味があった。
伏見稲荷をわざわざ稲荷山と書いたのは、目的地が駅前の大社ではなく、その奥の院にあたるお山にあるからだ。お山はぐるりと一周して約2時間、あちこちうろつくと半日ぐらいのちょっとした登山コースになっている。この地で有名なのが赤い鳥居が密集してトンネル状になっている千本鳥居。大社すぐ裏手の風景が有名だが、実際には、稲荷山のいたるところに無数の鳥居が立ち並んでいて、壮観なんて言葉では言い尽くせないほどにある意味、不気味な光景である。そして要所、要所には、お塚と呼ばれる巨石がまるで墓石のように群在していて、その両側にはお狐さんが目を光らせている。
稲荷山で以前と違っていたのは、人の多さだ。とくに西洋からの外国人、それから若い人の姿が目立った。まだまだ寒い季節の平日だというのに、わき道のほうにまで人の姿があった。人が増えれば聖地としての雰囲気が乱されるが、このほど強烈な場所がこれまで注目をあまり受けてこなかったのはむしろ不思議なぐらい。僕自身も、10年ほど前にはじめてこの地を歩いて、それこそ狐に憑かれたんじゃないかと思ったぐらいに強い印象を受けた。だからこれまでの写真は、やはり赤い鳥居とお狐さんで埋め尽くされていた。でも今回、またしても同じような写真ではつまらない、ということで、メインルートをなるべく外れるような形で歩いてみた。
ところで、稲荷山にこれほど多くの鳥居が立ち並ぶようになったのは江戸時代以降のことらしい。神社としての起源は8世紀はじめ、聖地として一般化したのは平安時代以降だろうか。ただ、8世紀以前にも、土着民による原始宗教が根付いていたらしいが、そのあたりはまったく謎である。山中には小さな渓谷や滝も数多く、京都東山の突端にあたることを考えれば、縄文時代からの聖域であるような気がする。奥の院がこれほど発達した神社というのはあまり例がないだろうし、しかも、ここは稲荷信仰の本拠地である。歴史的な経緯だけでなく、何かの地理的な要因、場所自体の特別な存在感というようなものがあるのではないかと思ったりもする。
今回はたった半日の撮影で、何が分かったというようなことはないのだが、川を撮り歩いた経験から、少しでも稲荷山に近づける方法というのを考えてみた。方法と言ってもまったくおかしなやり方だが、たとえば、人間の目ではなく狐の目で稲荷山を見てみるとか、そこまでいかなくても、なるべく社会から離れた目線で、社会の外側から見てみるとか、山を歩いている最中はそんなことばかり大真面目に考えていた。原始時代のシャーマンも動物の真似をして踊っていたようだから、この方法もそれほど間違っていないような気もするし、肝心の写真も以前とは違ったものが撮れた。そして写真を眺めているうち、さらに稲荷山を奥深く撮り進めてみたいような欲望が湧いてきたりもするのだが、なにせ京都まで出かけなくてはいけないから、そこらへんはちょっと悩んでしまう。
京都ではほかに宇治川と下鴨神社の森を撮ったが、こちらはまあ普通。宇治川はふるさとの川だから思い入れは強いが、写真の対象としては(個人的には)多摩川にはとても及ばない。被写体との出会いは一目惚れみたいなもので、こればかりはどうしようもない。
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