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ちょっと一息ついて…

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整理した多摩川写真のプリントに、先週の雪と今週の初春の写真を加えてあらためて眺めてみる。なんとかここまでたどりついたかな、という感じだ。これは自分だけのオリジナルの多摩川だ、と言えるだろう。新緑か梅雨前ぐらいまでは続けるが、残りはあと少し。

多摩川を撮っていて、なにより戸惑ったのは、被写体が人ではなく、風景だったことだと思う。撮っているときはいい感じでも、あとで見ると分からなくなる。風景にどうやって自分の気持ちを込めていいかが分からない。インド、ネパールでずっと人を撮っていてそれに慣れているから、風景だけを撮るというのはとてもしんどかった。人と違って相手は何も反応してくれない。それで躍起になって神経を張り詰めたところで、結局は自分の一人相撲になってしまう。最初は三脚も持たずに、感性だけで撮ってやろう、などと思っていたが、やはり基本は無視できず、今は三脚にカメラを固定しっぱなしで歩いている。

今後も風景は撮り続けたい。多摩川以降のことも近場でいろいろ思案中。でも、久しぶりに人の写真も撮りたい。それにインドにも行きたい。インドに行ったら、人の写真だけじゃなくて、たとえば気に入った遺跡、小さくてもいいからこれだと思う遺跡を見つけたら、一日中張り付いて撮ってみたいし、夕暮れのチャイ屋から街に向かってずっとシャッターを切り続けてもいい。今はいろんなことをやりたい気分だし、いろんな写真が撮れそうな気がする。

上の写真はデカン高原のとある村。この子は、散歩のたびに見かけて、訴えてくるものが強かった。デカン高原は人も自然も遺跡も何もかもが気に入っている。デカン高原かヒマラヤ、またこんなことで悩んでみたい。

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春夜の道草

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先週まで雪が降っていたかと思うと、今日は一転して春。夕暮れになっても温かい。温かくなるといろんな匂いが香るし、河原ではたくさんの虫が舞っていた。こういう日は道草をしたくなる。

川を撮り終わって、寒いときはまっすぐ駅を目指すが、今日は三脚をたたまずに、橋の下の草むらをうろうろ。昼間見たときから気になっていた。何本もある橋脚の壁面に、迫力のある巨大な落書きがちょっと見ただけでも10個以上はある。橋の照明に照らされあやしく光る様子は、ライトアップされた廃墟神殿のようだ。

落書きと言っては失礼かもしれない。絵のことは分からないが、上手いか下手かと言われればやはり上手いと思うし、しかも、魂の叫び、みたいなものまで感じてしまう。ロケーションのよさはもちろんある。ほぼ無人の荒野で、頭上では、絶えず行きかう車の振動と流れる光。ときには米軍機が暗い空を低空飛行で通り過ぎていく。これで爆撃音が響いていたらピカソのゲルニカだ。

壁画を描いている人たちというのは、やはり真夜中に描くのだろう。そして描き捨てる。橋脚の壁は不定期に清掃されるから、絵はいつまでも残るわけではない。描くことだけに価値がある、ということだろうか。

ところで、こういう絵を描くのは、季節的に言えばやっぱり春の夜ではないかと、なんとなく思っている。なんの根拠もない話だが…。

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東京はまだ冬

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多摩川の写真を百数十点プリントしたものを、昨日、はじめて他人に見せる機会があった。相手は写真をやっている友人二人。評判は思いのほか良くて、とりあえず一安心。一年かけて撮っているものだから、つまらないと言われたらかなり落ち込んだだろう。

二人とはちょっとした作戦会議という名目で集まったのだが、僕は次の日の天気が気になり、早々に、「今日は酒は控えめにする」と宣言しておく。

夜10時、料理屋を出ると、高田馬場の街には、雪とも雨ともよく分からないようなものがちらほらしていて、ちょっとがっかり。これは平地は無理そうだな。というわけで、あくる日のつまり今日、奥多摩に出かけた。朝一番に行ったので、そこそこ雪国気分が味わえた。多摩川二回目の雪景色。これでとりあえず今年は見納めかな、と思っていたら、どうやら明日はもっと本格的に積もるらしい。さてどこに行こう。

前回、前々回と、いろいろ苛立っているようなことを書いたが、今も別に変わらない。というか、考えてみれば、2年前から(あるいはその前から)ずっとそういう気分は続いている。ただ、写真を撮る立場からすれば、これがなければとても続けられないから、なんら悪いことはない。写真を続ける原動力のようなものだと思っている。寒さも気にならない。あと半年冬が続いても大丈夫。

ところで、最近この人の歌をよく聴いている。いろいろあるが、とりあえず雪の歌。

http://www.youtube.com/watch?v=ssT5HEYS0ls&feature=related
(要注意 音が出ます)

「蒸留反応」森田童子 

柴田はどうせインド音楽かレゲエしか聴かないんだろう、と思っている人いるようだが、日本の歌ももちろん聴く。ただ、なんとなく書きにくいのでこれまでは書かなかった。

写真をやり始めた頃、写真屋のアルバイト先の有線から流れていた「ぼくたちの失敗」を何度となく聴き、いい歌だなあ、と思っていたが、何も調べないたちなので、曲名はもちろん森田童子という名前さえ知らなかった。

http://www.youtube.com/watch?v=7H5555py7OA

「ぼくたちの失敗」


(追記)

各記事の下になぜかtwitterを表示が出ていますが、してません(する予定もなし)。どうやって消すのかな…。


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もうすぐシヴァの夜

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シヴァラットリー祭まであと3日。今回はクンブメーラの年ということで、個人的にはいろんな想いが錯綜しているが、いつものごとく、僕はあまり素直に自分の気持ちを書けない。それにシヴァラットリーは当然シヴァの大切な一日でもあるからなおさらだ。サドゥ本の最後に、本書をサドゥと旅人の守護神シヴァに捧げる、ということを書いたとき、ちょっと大袈裟かな、という気もしたが、今、振り返れば、あれは外すことの出来ない言葉だったな、と思っている。書いたことであの本は僕の手から離れてシヴァの所有物になった。
Om Namah Shivaya。


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雪の日に…

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前回の記事「聖地の条件」で、聖地ギルナールの背後にはおそらくジャングルが続いているようだ、といったことを書いたが、実際に地図を見ると、そうではなかった。外輪山に囲まれたカルデラ地帯に突起した山が聳え立つ様は、日本では阿蘇山などに見られる地形だ。詳しくはまたいろいろ調べてみたい。

ところで一昨日は待望の雪が降った。前日から計画を立て、早朝5時過ぎの電車で奥多摩を目指したが、トラブルが発生してしまった。架線の凍結で電車が動かない。なんとか拝島まで行ったが、そこで停車し、「しばらくのあいだお待ちください」のアナウンスが何度も流れる。状況が分からないので改札まで行き駅員の人に状況を聞いた。

「架線が凍結していますので、太陽が出てですね、溶けるまでは動けませんね」

と、のんきな答え。それならさっさとそうアナウンスしろよ、と苛立ちながらも、すぐに時計を確認して停車時間を計算する。太陽が出るまであと20分、それからしばらくして架線の凍結が改善され、確認作業が行われたとして、電車が動き出すのは早くてあと1時間。答えはひとつ。僕はさっさと改札を抜け、そのまま雪道を小走りに多摩川を目指す。拝島の多摩川ならよく知っている。片一方は今工事中のはずだから、対岸に行けばいい。

拝島で降りたのは成功だった。普段でも素晴らしい河原が雪で真っ白になっていて、幻想的だ。人はいない。というか、いつもいない。ほとんど誰も行かない場所だから。

たくさん写真も撮った。手応えもあった。咄嗟の判断に対応できてよかった、と何度も思ったが、いつもの幸せな気分はなく、苛立ちは増すばかり。

いつもの場所までたどりついたところで朝の幻想的な雰囲気が消えた。さて戻らなければ、というわけで、40分ちょっとかけて、駅にたどりつく。すると改札は人であふれかえっていた。早朝乗ってきた電車はすでに出発した模様だが、次の電車はすぐに来た。そして青梅に到着し、乗り換えた電車はすぐに奥多摩に向けて出発する。出来すぎだ…。

電車で半分寝ながら降りる駅を考える。太陽が出てきたわけだから雪はどんどん溶けていくはず。とすると、なるべく標高の高いところを目指せばいいか。それで終点奥多摩まで行き、そこから歩いて奥多摩湖を目指す。途中、知ってる渓谷で谷間に降りたいが、可能かどうか。でもあっさり降りれた。周囲の森には、一段と雪が積もっていて、木々から雨のように雪が落ちてくるのが大変だったが、こんな雪国を旅するのはいったい何年ぶりだろう。最近では、どうも記憶にない。ということは、あのネパールか、と思ったとたんに、また気分が落ち込む。

トンネルを抜けてようやく奥多摩湖にたどりついた。気分展開に、一軒だけある食堂に入ってソバを食べる。それから夕暮れに向けてダムの上を歩いていると、雲間から太陽が出てきて雪山を美しく照らし出した。今日は夕陽も見れるかな、と期待したが、また雲が出てきてしまった。気分的にも今日はあまり暗くなるまでここにいたくない。と思ってバス停に戻ると、バスは行ったばかりで、なんと40分も待たなければいけない。まあ仕方ない。でも、暗いし寒いしで、またうんざりするような気分が舞い戻ってきそうだ。

結局帰宅したのは7時半。15時間の、いささか長めの旅になった。ところで、この日、苛立ったり、落ち込んだりしていたのは、やはりインドと旅が関係している。いつものことだが気分はいつも以上に最悪だ。ただ、最悪でも鬱になったりすることはない。どんな気分であっても、それを受け止めてくれる場所がある。じつはそれが書きたいが為に今回は長々と書いてきたのだが、すべて多摩川のおかげだ。多摩川のなかでも僕が好んで出かけるような場所はだいたいインドに似ているので、かえって焦燥感に駆られることも多いが、全長138キロのこの流れが僕にとっては非常に大きな存在になった。ありがたい話だ。オームナマッシヴァヤ。

(写真は、奥多摩行きの電車の中から)

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