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日暮れて旅に出る

Sadhu005

夕陽が沈んだあと、空が赤く燃えたりを繰り返して、その後、夜に向かって刻々と暗くなっていく、あの30分とか1時間の時間帯が好きで仕方ない。日によっては、風景全体が青みがかったような空気に包まれ、周辺がひっそりと静まり返る。まるで世界が瞑想しているような時間…。ちょうどそんな時間に、サンガムの河原で、巨大な荷物を担ぎ上げ、ちょうど旅を始めようとしているサドゥがいた。

僕はとりあえず横から何枚か写真を撮って、それから彼の歩いていく方向に回り込み、正面から無言でカメラを構えた。彼はどんな顔をするだろうか。と思ったら、ゆっくりと笑みを浮かべ、そのまま隣を通り過ぎて立ち去った。その後、どこへ行ったのかは知らない。広大なサンガムで、どこか寝場所を探しにいったのかもしれず、あるいは、突然、こんな時間に旅を始めてみる気になったのかもしれない(放浪系サドゥである彼には家はないはずだから家路につくわけではない)。

昼でも夜でもない、静まり返ったあの時間は、考えてみれば、一日のうちで一番ニュートラルな時間だと思う。そういう時間に旅を始めようと思う気持ちは、ちょっと不思議でもあり、なんとなく共感を感じたりもする。

ちなみに、ニュートラル(neutral)の意味だが、ネットで見てみると、

中立の、戦争に参加しない、中立国の、不偏不党の、えこひいきのない、はっきりしない、中間色の、くすんだ、灰色じみた、陰性でも陽性でもない中性の、酸性でもアルカリ性でもない中性の、あいまいな、雄雌別のない、

…となっている。

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ガンガー

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(写真をクリックすると拡大表示します)

写真はヴァラナシ、シータゲストハウスの屋上から望遠レンズで撮ったガンガーの対岸。朝の逆光に照らされた荒野を人が一人歩いている。たぶん、トイレだろう。

最近、川ばっかり歩いているので、何気にガンガーが気になる。グーグルマップでヴァラナシの上流下流を眺めると、あちこちに広大な荒野が点在している。さすが大河、というか、まさか多摩川と比べるわけにはいかない。いろいろ歩いて撮り歩きたいが、こればかりは叶わぬ夢だ。ガンガー流域の農村はガチガチのカースト社会。荒野に出るまでにおそらく無事ではいられない。それを考えると、ボートで気軽に行けるヴァラナシ対岸は、天国みたいな場所だ(犬さえ手なずければ…)。

そういえば、知り合いのカメラマンが、雨季のガンガーを撮りに行くとか言っていたが、行ったのかな。目的地はビハール州と言っていたが、ビハールはヴァラナシ周辺に輪をかけて治安の悪い場所。川沿いのスラムで殺されてなければいいが、と思って彼のブログを見てみると、なんとキリマンジャロにコーヒーを飲みにいっていた。無事でよかった。

多摩川の次はガンガーの風景写真を、と一瞬思ったが、これはやっぱり無理。

最後に写真をもう一枚。これはガイガー対岸です。

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東京の写真

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(写真をクリックすると拡大表示します)

去年の夏の終わりに東京を撮り始めたので、すでに一年が経過した。今年に入ってからはほぼ多摩川一色になってしまったが、一年間、継続して撮ってきたことの意味は、自分の中では大きい。

インドでのサドゥ写真は、まずはサドゥとの付き合いからはじまって、彼らの行動範囲内でしか写真が撮れなかったその反動から、東京では、感じたものを片っ端から撮ってやろうと思っていた。去年の秋には、一年間で10万枚撮れなかったら写真はやめよう、ぐらいに思っていた。結局数えていないからよく分からないが、たぶん、それぐらいは撮っている。下手な鉄砲…というのもあるが、結果的には、静かな熱狂、というのか、うまく表現できないが、新しい感覚が自分の中で芽生えたかな、という気がしている。そうなると、聴く音楽まで変わってくるのが不思議だ。

今回の写真は、去年の秋に撮った新宿。あの頃は都内によく通っていた。今年は、春から夏にかけて自然にどっぷり浸かっていたが、秋の風に吹かれて歩いていると、なんとなく街の写真も恋しい気分になる。といっても、今さら都心に戻ることはないが…。

ところでインドについて。

ここ一年あまり、インドに行く努力をまったくといってしてこなかった。雑誌などにおける海外の写真がここ数年でびっくりするぐらいに斜陽化してしまって、なんだか思考自体が停止してしまっていた。でも、最近になっていろいろ考え、そして考えれば考えるほど、インドに行かない選択、というのはどう考えてもありえないな、というところまでは自分の気持ちを確認した。しばらくは多摩川があるから無理だが、なんとか来年中には旅に出たい、とは思っている。また行くと思っていれば、インドも現在進行形のものとして、このブログでも話題にしやすくなるし、インドは終わり、というのは、やっぱり悪夢でしかないような気がしてしまった(最近、悪夢ばっかり見てたしな…)。20年近くも行ってれば、こればかりはどうしようもない。腐れ縁、ではなくて、宿命、ということだと思いたい。

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恐竜の夢

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変な時間に寝ていたらやっぱり変な夢を見た。

誰かを連れて、どこかの泥道を歩いていた。草がいろいろ茂っていて、先が見えない。少し不安になりながらもなんとか歩いていくと、ようやく視界が開けた。眼下には川が見え、道らしきものが下までずっと続いている。やっぱり俺の目に狂いはないな、とちょっと得意気になったところで記憶があいまいになり、気が付くと、川を遠くに眺めるどこかのマンションにいた。

ガラス張りのマンションの部屋からずっと川を眺めていたら、なぜか恐竜(たぶんティラノサウルス)が現れゆっくりと街に向かって歩いてくる。…ありえない。なんかの間違いだろう、と思うが、恐竜はついに街に入って、破壊活動など行うことなく、あいかわらず、通りをのんびり歩いている。そしてついに、自分の目の前に巨大な顔が現れた。大人しいと分かっていても、相手はやはり恐竜。かなり身構えてしまう。しかし、恐竜はそのまま素通り。だいぶ先のほうに行ったところで、うわ~、写真撮るのを忘れた、とあわててカメラを探しにかかったところで、目が覚めた。

さて、夢占いのことなどまったく知らないが、この夢は何を意味しているのだろう。

ちなみに夢を見るのは嫌いではない。一日に二度も三度も生きたようなちょっと得した気分になる。それに幻想的でもある。でも、やめてほしい夢もある。最近は長旅をしなくなったからほとんど見ないが、写真(機材)関係の夢は最悪である。空港に到着したら、フィルムを忘れてきたとか、機材を崖から全部落としたとか、フィルム現像したら、全部真っ黒になって出てきたとか…。起きたときは、いつも憔悴しきっている。

今回の写真は早朝のヴァラナシ。冬のガンガーはいつも霧の中。

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ヤムナーの空

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タージマハールを裏側から見るために早朝のヤムナーを渡る。タージマハールも美しいが、ヤムナーの流れと森と空も気になる。分かりづらいが、鳥が列を作って飛んでいく。なんか食べに行くんだろうな。空を飛びながら、背後のタージマハールを振返って、きれいだな、なんて思うこともたまにはあるのだろうか。写真をやっているせいもあって、こういうところで鳥を見るとき、いたたまれない気分になる。人間は小鳥にもおよばない(?)。

この河原の一角に、兵士たちの駐屯地があった。ここで何をしているのかと訊いたら、タージマハールを攻撃するゲリラを見張っているのだという。こんなに広大で不毛の河原なら、ゲリラ部隊が夜中に移動していても全然おかしくない。インドは一歩裏手に入ればこんなものだ。ここから先はまったくの謎の世界。手ぶらでうろうろするわけにはいかない。二、三日であっというまに行方不明だ。サドゥの写真を撮ったといっても、僕なんかはその入り口にちょこっと立っただけの話である。

突然関係のない話になるが、少し前に、友達から屋久島の地酒をもらった。「三岳」という芋焼酎で、これがやたらうまかったのである。もちろん名酒だと思うが、自分の味覚、そしてもしかすると今の気分にぴったりだったというのもあるのかもしれない。「三岳」がすぐになくなったので、「いいちこ」を買ったが、まあ、芋焼酎と麦焼酎を比べること自体に無理がある。なので、「かのか」という芋焼酎を買って飲んでみたが、やはり、う~んという感じだ…。

屋久島は行ったことはないが、少し思い出がある。17年前、二回目のインド旅行を前にして、インドか屋久島かで本気で悩んでいた。テントを持っていって、屋久島を何ヶ月も歩きまわりたい、と突然思いついてしまったのある。結局インドに行ったが、あのとき、屋久島に行ってたらどうなっていたのだろう。屋久島の話は今回、二人(のインド好き)から聞いたが、どうもインドのようなところらしい(ホントか…?)。

屋久島も一度は行ってみたいが、最近、インドの写真を見ながら、パプアニューギニア、イリアンジャヤの谷間が頭の中にちらついて仕方ない。行ったことはないし、何も調べていないが、ここはたぶん、インドの源境のようなところだと勝手に想像している。小動物のようにかわいい子供たちが、白い歯を輝かせながら森からゾロゾロ登場してくるはずである。そして森の中には、妖怪がいっぱい住んでいそうだ。

インド、屋久島、イリアンジャヤ、あと、多摩川の河原、…なんとなくだが、どこもよく似ている。みんなインドっぽい。

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ネパールのモノクロ写真

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あいかわらずインド写真の整理。そろそろ終わりが見えてきた。今日はプリントをはじめた。久しぶりにプリンターを動かすときはいつも心配だが、とりあえずまともに動いてくれて一安心。

7月終わりから、時間を作ってはずっとこんなことをやっているが、そのあいだはココロは完全に過去に埋没している。写真をやっている限りはこれの繰り返し。なので、とくにインドに関しては、過去20年の旅について、どこからどこへ移動して何日ぐらい滞在、というのをだいたい全部覚えている。

でも、記憶があいまいな旅もある。ネパールは、村めぐりのあいだは、同じような道を旅して同じような村に泊まっていたのでよく分からなくなっている(日記をつける習慣はまったくないし…)。とくにモノクロで撮っていた旅は、プリントしたもの以外は、過去の写真を見る機会が少ない。それと、じつは、一部のネガを紛失している。セレクトしたものはだいたい無事だが、それは当時のセレクト。今見ればセレクトも変わってくる。いつかモノクロネガだけ持ってネパールを旅したい、とこれまでも何度か書いてきたのは、そういう心残りがずっと影響しているせいかもしれない。

モノクロ写真を見ていて、変なことが気になった。カラー写真はパソコン上でいくらでもモノクロに変換できるが、モノクロはずっとモノクロのままだ。それは当たり前のことなのだが…。

ネパールのモノクロは、トライXというフィルムを使用している。感度が400で、ざらついた描写が魅力だった。このフィルムは今もあるようだが、乳剤が変わったとかいう話を聞いた記憶がある。描写がこざっぱりしたのかもしれない。こざっぱりとした描写はざらつかせることも出来るが、反対は無理。ネパールモノクロ写真は、自分にとっては化石のような存在だ。

なんでこんなことを書こうとしたのか。9月になって、涼しくなってきたからかな…。

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明るくなった

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夏も終わりだというのに、今日はなぜか気分が明るい。民主党大勝利がうれしいわけでも全然ないのに、おかしいなあ、としばらく考えていて、あっ、そうか、部屋の蛍光灯を取り替えたんだ、と思い出した。

これまで、まっすぐの蛍光灯が三本並んでいるタイプの蛍光灯だったが、いつだったかに一本切れた。取り替えようとして、ちょっと驚く。蛍光灯を支えるプラスチック製の止め具が、なんとボロボロと崩れ落ちてしまった。他の止め具も相当あやしい(プラスチック疲労というやつなのか…)。さわらぬ神に祟りなし、ということで放置しておいたら、一ヶ月前にまた一本、蛍光灯が切れてしまった。これで最後の一本が切れたら真っ暗である。それで仕方なく不動産屋に頼んで交換を頼んだが、その後一ヶ月音沙汰なし。僕としても、旅行暮らしが長いせいもあって、暗くてもあまり気にならないのでやはり放置していて、それでもようやく先々週に連絡があって、先週水曜日に交換ということになったが、当日、先方が約束を忘れていてまた一週間延期。それでようやく今日交換となった。

新しく来た蛍光灯は丸型二本付き。世界はこんなに明るかったのかと驚くぐらいに明るい。暗い部屋で幻想的に暮らすのも悪くないが、最近、なぜか眠いことが多かったのは、やっぱり暗かったせいだろうか。

というわけで、どうでもいいことを書いてしまった。写真はスイス。適当にフォルダを開いて出てきた写真。昔のことなので地名も忘れた。登山電車で高いところまで登ったところ。

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