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新緑の森は…

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家の近くに小さな森がある。駅への近道になっているので、朝や昼はもちろん、真夜中もここを通る。100メートルほどの距離なので通り抜ける時間はわずか2分ほどだが、森をくぐると生き返ったような気分になる。ただ、新緑の季節になって、森の中が日に日に暗くなりつつある。街灯もないから夜はほとんど道が見えない。さらに緑が濃くなると、完全な闇になりそうだ。懐中電灯が必要かな。


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ブッダの旅の風景

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またあてどのない旅に出ようとしている友達がいる。この世にはそんな懲りない人がたくさんいるんだろうな。もちろん自分も含めて…。今は日々数時間の旅を続けるだけだが、これがないと冗談じゃなく死んでしまう。

写真はブッダが長く滞在したビハール州ラージギール。山賊がうろうろしそうな(実際にうろうろしている…?)険しい山がいくつかあり、殺伐として砂漠のような平原が続くだけの別に観光名所というほどの場所ではないが、ここはいろんな人にとっての旅の原点かも、と思わせるような風景が随所にある。そういう風景を見ると、なぜブッダがここに長く滞在したのか、という理由がちょっと分かるような気がする。

ブッダは死ぬ直前、ここから故郷を目指す旅に出て、その途中で死んだ。やはりブッダも旅の人だった。

長くヒンドゥーの世界を撮ってきたが、ブッダの旅を撮ることにも興味はある。でも仏教は漠然としていて、とりとめがない。まだ早いかな。10年後ぐらいか。

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だだっ広くて何もないところ(今日のサドゥ7)

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桜を写真を整理しながら、あいも変わらずルーツレゲエを聴き、そしてインドのことを考える。頭の中がめちゃくちゃである。最近は、多摩川がガンガーに見えたりする。サドゥとラスタマンの違いさえ分からなくなってきた。

今日の音楽はこれか。AUGUSTUS PABLO JAVA LIVE 1986(注意!音が出ます)

ときどきジャマイカにも行きたくなるが、これは空想だけ。本物のラスタマンというのはサドゥと同じでジャマイカの中でも完全に異端者あつかいらしい。しかも山の中なんかにひっそりと暮らしているようだから、ラスタマンと出会うまでに強盗に襲われてしまう。ジャマイカの治安はかなり悪いらしいから…。

今回の写真はガンガー最下流の聖地ガンガーサガール。だだっ広くて何もなくて、いいところだった。サドゥ撮影はこういうところが多かったから、最近はだだっ広いところがすっかりお気に入りになってしまった。ババジもうれしそうだ。後ろからは、怪しいインド人がなんかビデオ撮影しているが、これはサドゥではなく、怪しいサドゥを撮影している怪しい日本人を撮っているのだろう。

サドゥ本を出版して一年以上たって、どうしてサドゥを撮りはじめたんだろう、とふと思ったりもする。理由はいろいろあると思うが、そういえば、サドゥを撮りはじめたとき、「サドゥを撮らないとインドは終われない」、となんとなく考えていたような気がする。実際、インドに二年以上行かずになんとか我慢できるのはサドゥをある程度、撮ったから、という満足感があるからだが、じゃあインドは終わり、という気分にはとてもなれない。

サドゥを撮ってよかったことは、自分が好きなものがある程度はっきりしたことだろう。だだっ広くて何もないところ、だけではないが(別に森の中でもいいし…)、なんかそういうところで、川の流れや不思議な空や夕暮れなどを眺めていたい。隣にサドゥやラスタマンがいればなおいいし、ヒマラヤの峠の茶屋でチャイや地酒、というのもまた天国。まあ、東京の旅ではそこまでの贅沢は言わないが、多摩川を登りつめていけばそのうち天竺が見えてくることだろう。

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桜並木を歩いていると、誰かが、「桜は待ってくれないから」と話しているのが聞こえた。たしかになあ…。桜だけでなく、季節の移り変わりは本当に早い。季節をめぐりながら写真を撮っていると、いつも、「ちょっと待ってくれ~」と言いたくなる。

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春らしいインドの写真を探してみた。

これのどこが春なのか、と言われるかもしれないが…、説明とかは今回はやめておこう。

春はとても不思議な季節だといつも思う。

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旅の中継地点

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写真はガンガー源流への中継地点ウッタルカーシー。二度の旅のなかで四度訪れた。

ヨーガのふるさとリシケシから聖地ガンゴートリーまでの直行便バスというのはほとんどなくて、往復とも、必然的にウッタルカーシー泊まりとなる。

ウッタルカーシーは旅の目的地ではなく、どこまでいっても中継地点でしかないが、この街で過ごしていた時間というのは意外に貴重だった、と今になって思うことがある。これから源流に行くぞ、と思って街を歩いているときもあれば、巡礼を終えて、ようやく平地が近づいてきた安心感に包まれ、山をぼんやり眺めているときもあったが、それはこの街に宿泊する他の巡礼たちも同じで、ウッタルカーシーには、そんな巡礼たちのさまざまな気が忙しく交錯していて、それがこの街の魅力にもなっていた。

昨日、ある人からメールをもらった。ガンガー源流近くで、サドゥ本にも登場した片足のサドゥ、サントスナートババと出会った、ということで、彼の写真も添付してあった。久しぶりに見るサントスナートババは、髪やひげに白いものがずいぶんと増えていて、彼のその後の旅を考え、ちょっと切ない気分にもなった。いろいろと苦労があったのだろうか。サントスナートババは、その後、一人で仙境タポヴァンへ向かった、ということであったが、大丈夫だったのだろうか。

三年半前のタポヴァンへの旅では、サントスナートババはあんなに満ち足りた表情をしていたはずだが、想像するに、彼のそういう気分は、そんなに長続きはしなかった。サントスナートババが相棒アマルナートババと離れたことは次の年に知ったが、それによって、サントスナートババは再び孤独な旅暮らしに舞い戻ってしまうのではないか、という気がしていたが、実際、そうなのかもしれない。一人でタポヴァン、というのがとても気になる。孤独な苦行者サドゥにとってはそれは当たり前のことだから、心配するのもおかしいが、また会いに行きたいな、と思う。そのときは、彼と一緒に、どこかのヒマラヤをふらついているはずのアマルナートババ捜索の旅、というのもいいかもしれない。サドゥといえども人間。相棒の一人ぐらいはいていいはずだ(違う気持ちもも少しあるが…)。

旅の中継地点のことを書こうと思ったが、話が少し逸れてしまった。いや、これもこれも中継地点の話か。

サントスナートババの話が長くなったので、写真もアップしておこう。右がサントスナートババ、左がアマルナートババ。場所はタポヴァンまであと一時間のアマルガンガー沿い。

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