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デカン高原以来

Decan001

(写真をクリックすると拡大します)

写真はデカン高原のマンドゥー。このときは、ヒマラヤを一ヶ月旅して、残り二週間を雨季のデカン高原で過ごした。

雨季のインドははじめてだった。雨ばっかりだったら嫌だなあ、と心配していたが、それは杞憂であった。鮮やかな緑に覆われたデカン高原はびっくりするぐらいに美しかった。以来、雨季のデカン高原、というのが頭から離れない。その後、二度、デカンに行ったが(冬に)、そのたびに、「雨季はいいぞ」と地元民に言われて、さらに想いがつのっている。しかし、一方でヒマラヤにも行きたいから、悩むところだ。

雨季のデカン高原を眺めて以来、自然への想いも非常に強くなっている。最近は河原三昧だ。ちょっとおかしいぐらいに自然に熱狂している。もう少し山のほうに入りたいが、さてどうしよう。

自然への接し方は人それぞれだが、僕の場合は花鳥風月ではなく、もっと前のめりにのめりこんでいく感じだ。そして、河原を歩いていると、こんな音楽がどこからともなく聞こえてくる。前にも紹介したAugustus PabloのPipers of Zion。ジャマイカのサドゥ(ラスタマン)たちによる自然賛歌、シャーマニズム。演奏が佳境に入っていくところで、キーボード奏者が突然画面から消え、そして興奮のあまり踊りだす。一瞬、歓喜のクンブメーラかと思って、笑えた。

最近はすっかりこういう世界に馴染んでしまったな。


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コメント

こんなに美しいのに、ありきたりの言葉しか思い浮かびません。大きいナァ。きれいだなぁ。いいなぁ。でも、やっぱり全部の気持ちを言い切れたとは思えません。
昨日、高層ビルに上ることがあって、高みから東京を見下ろしました。いつも感じることは、緑がないということ。低層の空はガスでくすんでいました。夜になると感動の景色も見せてくれるけれど、種明かしのような日中は、剥がれることのないかさぶたのように見えます。
大自然の風景を見て感じる想いの中には、どこか申し訳なさみたいなものも混じっているのかも知れません。

投稿: chin | 2009.03.21 13:36

> こんなに美しいのに、ありきたりの
> 言葉しか思い浮かびません。

たしかにそうですね。最近はいろいろ見て歩いて、いろんなことを感じているのに、うまく言葉にならないです。撮影から離れて、少し距離を置いたほうがいろいろ書けるような気がしますが、風景を見ていた感動そのままではないですね。

高層ビルの話を聞いて、たまにはそんな場所に行ってみたいな、と思ってしまいました。でもすぐに自然が恋しくなりそうです。ただ、新宿西口のビル街は好きですね。人が少なくて、空が広いからかな、と思っています。

投稿: 柴田 | 2009.03.22 02:31

デカン ヒマラヤ デカン ヒマラヤ
まんとらになりそうですねww
雨季の山も森も好きですね 
デカン高原の写真 匂うはずのない雨季の大地の匂いがする気がします

最近玉川上水にあやしげな木々を発見しました 写真撮りたいと思っています

投稿: kanako | 2009.03.25 22:15

次はデカンかヒマラヤか、なんてことばっかり書いているような気がします(笑)。どちらも行けばすむのですが、どちらかに、どっぷりと浸かってみたいような気がしています。
雨季のデカンは、はまると抜け出せないような雰囲気がありますが。神秘的すぎて。
でもその前に日本。玉川上水、おもしろそうですね。


投稿: 柴田 | 2009.03.26 04:14

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