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ドリーミング-記憶への旅-

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写真はお釈迦様が悟りを開いた仏教の聖地ブッダガヤ。夕暮れの光を眺めながらゲストハウスへの道を歩いていたときの写真。夕暮れの光が限りなく懐かしいと思った。

最初にブッダガヤを訪れたのは18年前。はじめての海外旅行で、いろいろひどい目にあいながら、荒野を越えてようやくブッダガヤに到着した夕暮れのことはよく覚えている。ただ、覚えているには覚えているが、なんだかそれは夢の中の出来事のような不思議な記憶でもある。…そして上の写真、これは4年前。じつに14年ぶりの再訪だった。街はだいぶ変わったようだが、歩けば歩くほど、いろいろなものがフラッシュバックのように蘇ってきて、不思議な気分が続いていた。同じようなことは、ブッダガヤの北、ラージギールでも感じた。

前回、アボリジニのドリーミングについて少し書いたが、アボリジニの本を読んだのは、このインド旅行の少しあとだったと記憶している(勘違いしているかもしれない)。難解な本だったが、すぐに引き込まれた。そして、一度しか読んでいないのに、印象が強い。座右の書にしたいとまで思った。それはなぜだろう。はっきりは分からないが、アボリジニの本を読みながら、僕は何度となく、インドの旅と夕暮れを思い出していたような気がするが、それは自分の旅の記憶、というだけではなく、インドで無数に繰り返されてきた夕暮れ全てが懐かしいとさえ思った。見たこともないのに…。

アボリジニのドリーミングは、世界の創世神話への旅である。そのために、実際に平原を越えて長い旅にも出るという。過去への旅だ。どのような旅なのかはよく分からないが、彼らは旅の道中、自然のさまざまな痕跡、たとえばその日の夕陽などを手がかりに、数万年、数十万年の昔へと帰っていくような気がする。気がする、というのは、僕自身の旅が、なんだかそんな旅だから。サドゥもそうだし、今撮り歩いている写真もそうだ。懐かしい、という感覚が、写真を撮る大きな理由になっている。そういえば、15年前にはじめて雑誌(キャパ誌)でグラビアページをもらったとき、ネパールの写真に、「遠い記憶」というタイトルをつけた。昔から、過去へばかりさかのぼっていたということか。

そろそろ春がやってくる。すでに春一番が吹いて、その日も写真を撮っていたが、春になると、いろいろな記憶が過剰にフラッシュバックしそうで、写真を撮るのがちょっと怖いぐらい。とはいえ可能なら、日本の創世神話にまでさかのぼってみたい。

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