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インドの牛飼い

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(写真をクリックすると大きくなります)

昔々、日本にもこんな風景があったのかな。

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ヒマラヤマントラ

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昨日はシヴァラットリー、シヴァの夜だったが、帰宅したらすでに日付が変わっていて、仕方なく、ユーチューブでシヴァマントラをいくつか聞いて寝た。シヴァラットリーを現地で迎えられたのは、5年前のパチマリが最後。寂しい限りだ。

最近は仏教系のマントラをよく聞いている。というか、ユーチューブでマントラと検索すると、10曲セレクトしたものがあり、聞いてみると、全部よい。最初の曲Prajna-paramita Hrdaya Sutramがとくにお気に入り。これは般若心経を原音で歌ったものだが、聞きなれた般若心経とはまったく趣が異なり、聞いていると、ヒマラヤの様々な風景が走馬灯のように流れていく。それでも、最後の羯諦羯諦波羅羯諦…(ガーテ ガーテ パーラガテー…) に入っていくところで、少し勇ましくなるのが楽しい。

…なんて調子で、ヒマラヤ系マントラばかり聞いているから、今はヒマラヤのことばかり思い出す。しかも思い出すのは、15年ぐらい前の旅ばかり。そんな昔を思い出すようでは、もう年だな。

そんな訳で、今回は久しぶりに昔のポジを引っ張り出してスキャンしてみた。場所はネパール、アンナプルナ。膝まで積もった雪の山を歩いて、シヴァと仏教の聖地ムクティナートを、二週間かけて往復した。さらに二ヵ月後、反対側の谷間から5500メートルの峠を越えて、再びムクティナートへ。

今でもあれぐらいの峠は越えられると思うが、とはいえ、同じような気持ちで越えられるわけではない。15年前といえば大昔だ。自分も変わったし、そして時代も変わった。当時のインド、ネパール旅行は、アジア旅行ブームの直前ぐらいの時期で、大げさに言えば、何もかもが輝いていた。それに引き換え今の日本では、アジア旅行全般が完全に斜陽(海外全般か…)。貧乏旅行なんて言葉もすでに死語と化した。

愚痴めいた話になったが、こんなことを書けるのも、逆にいえば、ようやくどん底まで来たかな、となんとなくだが思えるからである。どん底までやってくればあとは登ればいいだけ。よくは分からないが、以前とは違う道から、またヒマラヤ目指して登っていこうかな、という気持ちが強くなっている。スタート地点が重要だが、たぶん、多摩川の河原になりそうな予感がする。

それにしても、ほんとインドが好きだなあ、と自分でも呆れてしまう。前世で何があったのか。


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夢は枯野を…

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来る日も来る日も旅のことを考える。旅の病である。たぶん、一生治らないだろう。

旅の病というのはめずらしい病気ではない。昔からそんな人はたくさんいた。旅のことばかり考えていたらふいに芭蕉のことが気になり、「奥の細道」の序文を読み返してみた。こんなくだりがあった。

そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。

…まったく同じ気分だ。「心をくるはせ」の部分は、昔読んだときはとくに何も思わなかったが、今読むと心に響く。

芭蕉は、自分が旅の病に冒されていたことをもちろん知っていた。辞世の句である。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

夢の中ではないが、僕も先日、枯野を走り回ってしまった。日没後に道に迷って少し焦った。

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ドリーミング-記憶への旅-

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写真はお釈迦様が悟りを開いた仏教の聖地ブッダガヤ。夕暮れの光を眺めながらゲストハウスへの道を歩いていたときの写真。夕暮れの光が限りなく懐かしいと思った。

最初にブッダガヤを訪れたのは18年前。はじめての海外旅行で、いろいろひどい目にあいながら、荒野を越えてようやくブッダガヤに到着した夕暮れのことはよく覚えている。ただ、覚えているには覚えているが、なんだかそれは夢の中の出来事のような不思議な記憶でもある。…そして上の写真、これは4年前。じつに14年ぶりの再訪だった。街はだいぶ変わったようだが、歩けば歩くほど、いろいろなものがフラッシュバックのように蘇ってきて、不思議な気分が続いていた。同じようなことは、ブッダガヤの北、ラージギールでも感じた。

前回、アボリジニのドリーミングについて少し書いたが、アボリジニの本を読んだのは、このインド旅行の少しあとだったと記憶している(勘違いしているかもしれない)。難解な本だったが、すぐに引き込まれた。そして、一度しか読んでいないのに、印象が強い。座右の書にしたいとまで思った。それはなぜだろう。はっきりは分からないが、アボリジニの本を読みながら、僕は何度となく、インドの旅と夕暮れを思い出していたような気がするが、それは自分の旅の記憶、というだけではなく、インドで無数に繰り返されてきた夕暮れ全てが懐かしいとさえ思った。見たこともないのに…。

アボリジニのドリーミングは、世界の創世神話への旅である。そのために、実際に平原を越えて長い旅にも出るという。過去への旅だ。どのような旅なのかはよく分からないが、彼らは旅の道中、自然のさまざまな痕跡、たとえばその日の夕陽などを手がかりに、数万年、数十万年の昔へと帰っていくような気がする。気がする、というのは、僕自身の旅が、なんだかそんな旅だから。サドゥもそうだし、今撮り歩いている写真もそうだ。懐かしい、という感覚が、写真を撮る大きな理由になっている。そういえば、15年前にはじめて雑誌(キャパ誌)でグラビアページをもらったとき、ネパールの写真に、「遠い記憶」というタイトルをつけた。昔から、過去へばかりさかのぼっていたということか。

そろそろ春がやってくる。すでに春一番が吹いて、その日も写真を撮っていたが、春になると、いろいろな記憶が過剰にフラッシュバックしそうで、写真を撮るのがちょっと怖いぐらい。とはいえ可能なら、日本の創世神話にまでさかのぼってみたい。

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ゴンドワナ・ドリーミング

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「GONDWANA DREAMING」というCDを聞く。オーストラリア先住民アボリジニの木管楽器ディジュリドゥのアルバムである。ジャケットの写真がお気に入りだ。ジャングルの中で巨大なディジュリドゥを口にするアボリジニの男。ネパールのCD屋で見つけて買った。

「GONDWANA DREAMING」にはディジュリドゥだけでなく、動物や鳥や虫の声がふんだんに入っていて、ジャングルにいるような気分になる。ただし、ひとつ、見落としていた音があった。イヤホンで聞くと、グワー、グワーといった、ちょっと異質な音が入っている。しばらく聞いているうちに正体が判明した。いびき、である。もしかすると、このいびきもまたディジュリドゥで弾いてしまっているのかもしれないが、とにかくいびきが混じっている。

いびき、と判明してすぐに考えたのが、アボリジニの神秘思想、ドリーミングのことである。これは夜見る夢ではなく、アボリジニの神話世界を指すものだが、夢は夢。ジャングルでの午睡の枕元を、彼らの祖先が列を成して通り過ぎていく(かもしれない)。

アボリジニに関しては、以前、「アボリジニの世界-ドリームタイムと始まりの日の声」(ロバート・ローラー著、長尾力訳、青土社)という、分厚い本を読んで非常に感動したことがある。感動した割には、あまり内容を覚えていないのはなんといっても内容が濃すぎるからだが、アボリジニとインドのサドゥ、あるいはドラヴィダ族やインド先住民には大きな共通点がある、という話はよく覚えている。写真を見ると、顔も似ている。アボリジニは黒人ではなく、オーストラロイドである。一説には、彼らの祖先は、遠い昔、南インドの海岸線から、スリランカを経て、ニューギニアや現在のオーストラリアへと移住していったという。

ところで、表題やCDのタイトルにもなっているゴンドワナ「GONDWANA」について。

大昔、世界中の大陸はローラシア大陸(現在のユーラシアに相当する部分)とゴンドワナ大陸(それ以外の部分)に分かれていたが、ゴンドワナ大陸のほうは、その後、西と東に分かれてしまった。西側は、現在の南北アメリカとアフリカ大陸、そして東側がインドとオーストラリアと南極大陸。インドとオーストラリアのふたつの大陸は、言ってみれば、兄弟みたいなものである。

ということで、話がこれで終わればなんということもないわけだが、ふたつの大陸にはさらに共通点がある。それぞれ似たような人たち、つまりオーストラロイドが住んでいて、しかも神秘的で思想的にも共通点が多い、ということで、そこから、一部の人たちが、独自の説を展開するようになった。極端なものになると、人類は、あるいは一部の人類(オーストラロイド)は、アフリカから発生したのではなく、オーストラリア大陸、あるいはインド大陸から発生したものだ、云々。「アボリジニの世界-ドリームタイムと始まりの日の声」の著者も同じようなことを書いていたような記憶がある。遺伝子学的には否定されているようだが、たしかに魅力的な説である。

(また別の説では、オーストラロイドはアフリカ大陸から他民族よりいち早く世界へと旅立った人たち、あるいは人類のルーツ、とも考えられている)

どの説が正しいかは不明だが、ひとつだけいえることがある。こういう説が生まれてきた理由は、やはり、現代文明に対する批判からだろう。自然とのバランスを保ちながら、伝説や夢の世界に生きるアボリジニやインド先住民の姿に、一部の人たちが強く感化を受けた。それは学者だけではなく、旅行者や冒険家、それからヒッピー、などなど、多くの人たちが彼らに惹きつけられてきた。まあ、僕自身もその一人である。本家chaichaiのほうには、インドの神々について数多く書いてきたが、これは、ヒンドゥー世界に対する僕なりのドリーミングのようなものだろうか。

話が長くなった。さて今回の写真。サドゥ本にも登場したデカン高原の聖地アマルカンタクだが、その周辺の地図を眺めていてひとつ、発見があった。すぐ近くに、ゴンドワナという地名が記載されてあった。アマルカンタクは、ゴンドワナの名にふさわしく、自然と先住民文化と神々にあふれていた。

(ひとつ付け加えておきたい。オーストラリアの南のタスマニア島には、タスマニアアボリジニが住んでいたが、こちらは白人に全滅させられた。昨日、テレビでタスマニアを特集していたが、アボリジニの話題が出ていながら、そのことにはまったく触れていなかった)


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望郷と自然回帰

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前回に続いてレゲエの話。

ボブ・マーリー、ピーター・トッシュを聞き、さらに昔の記憶をたどって、別のアーティストを探してみる。すぐに出てきたのが、Augustus Pablo。ボーカルはなく、メロディカ(ピアニカ)が中心。素朴な楽器だが、 Pabloにかかると心はあっというまに伝説のなか。霧におおわれたアフリカの大地が見え隠れし、緑の草いきれまで匂ってくる。

レゲエはただのダンスミュージックではなく、ラスタファリズムという宗教運動の象徴だ。詳しくは知らないが、彼らの第一の主張はなんといってもアフリカ回帰。レゲエには自然のリズムが色濃く表現されるが、あれはジャマイカの自然が半分、そしてもう半分は、見たこともない故郷アフリカの大地に鼓動するリズムではないかと想像する。

レゲエはインドでもよく聞く。ヒッピー旅行者はもちろんだが、インド人にとっても、レゲエはロックなどよりは馴染みやすい。それにあのドレッドも、インド人にとっては、「サドゥと同じ」で違和感はない。実際、ラスタはインドからの影響を受けているのでは、という説もある。ジャマイカには、相当数のインド移民が流入していたらしい。ラスタファリズムはヒンドゥーと同じく菜食が基本、それになんといっても、あのドレッド。レゲエのことを少し調べてみたくなった。

話が少し逸れた。レゲエの基本はアフリカ回帰と書いたが、これは自然回帰と通じあう。それからもうひとつは望郷の念だ。レゲエは、見たこともないアフリカの自然を思い描きながら、音楽を通じて、これと結びつこうとする。幻想的なメロディが主流となるのもそれが理由だろうか。

前回、最近はレゲエばかり聞いていると書いたが、その後、理由を考えてみた。答えはすぐに出た。すでに書いたとおりである。インドに行きたい。でも行けない。だからインドの自然を思い浮かべて多摩川の原野を歩き、写真を撮る。アフリカとインドの違いはあるが、ラスタとあまり変わらない。望郷と自然回帰。レゲエのうねるようなリズムが心に響く。

上の写真はデカン高原のマンドゥー。雨季の緑が瞼に染みわたる。犬はさかんに鳴いている。


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道中一服(今日のサドゥ5)

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東京写真の整理を今も続けている。なかなか終わらない。イヤホンで音楽を聴きながらの作業。日本の写真なので、基本的には邦楽を聞く。しかし、ときどき非常に眠くなって困る。

さて、眠気覚ましには何がいいかなあ、とユーチューブをめぐってたどり着いたのがボブ・マーリー。昔、よく聞いていた。Natural Mysticが最高だ。多摩川の夕暮れはまさにこの世界。そしてときどきは、ウェイラーズ時代の相棒、ピータートッシュを聞きにいく。マリファナを吸いながら歌う姿が圧巻。彼らの音楽からは自然のエネルギーを感じる。

今日の写真はヒマラヤ、ガンガー源流の少し上。一緒の旅したアマルナートババがチャラス(大麻樹脂)で一服していたら、見知らぬサドゥがやってきた。こういうとき、たいがいのサドゥは、「お疲れさん、一服どう?」といった感じで、チャラスをまわす。日本風に言えば、「まあ一杯どうだ?」といった話だ。

酒は自然のスピリット。マリファナも同様。聖なる草にして、シヴァ神からの贈り物。もちろん、これはインドやジャマイカでの話だが…。ちなみにマリファナの別名ガンジャは、ガン(草)ジャー(神)という意味で、これはジャマイカの言葉。

(インドでも大麻は禁止されているが、これはインドが経済自由化を模索していた89年当時の先進諸国からの圧力によるものらしい。だから逮捕されるのも外国人がほとんど。また一部の州では公に認められているし、サドゥ世界においても、ビジネスにしない限りはほぼ黙認、ということらしい)

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空の向こう(今日のサドゥ4)

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旅についていろいろ書こうかと思ったが、考えがまとまらないのでやめておく。最近はこんなことの繰り返しだ。頭の中にいろんな考えが浮かんでくるのに、掴み取ろうとすると逃げていく。まるで空気のようだ。

そういえば、昔、般若心経を覚えたことがあった。

「色即是空、空即是色」が有名だが、その後、ないないないない、なんにもない、とさんざん否定しまくり、最後に、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」で終わる。

なんか訳分からん、と思って適当に唱えていると急に魅力的に思えてくる。まるでサドゥのように不思議なお経だ。

さて今日の写真は、ガンガー源流付近を歩くスワヤンブナートババ(サンブナートババ)。サドゥ本にも一点登場した。

サドゥ本にも書いたが、「サドゥにとって大切なことは何か?」といった質問をしたら、「何もしないこと」と答えた。それでは、何もしないはずのサドゥがなぜヒマラヤを歩いているかというと、これは僕は無理やり源流旅行へと誘ったからである。途中、何度も「しんどいので帰る」と言ったが、拝み倒して連れて行った。

源流からの帰り道では、「まあ、よかったよ」と言ってくれたから、こちらもよかった。

(写真をクリックすると拡大します)

それから「般若心経」の全文はこちらから。

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今日はラダックの朝

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またしても更新が少し滞ってしまった。最近は写真散歩を一休みして写真の整理にあたっている。数が膨大なので、写真を撮るよりも大変だ。家に閉じこもって整理に明け暮れていると、散歩に出たい衝動に駆られてしまうが、外は寒いし、たまにはこんな時間も悪くないか。それにいろいろ発見もある。

今回の写真は17年前に撮ったラダック。村の民家に泊まったとき、入り口からのぞきこむ子供たちと外の光を撮ったもの。どこの村かはなんとなく覚えているが、村の名前などは忘れてしまった。なにしろ17年前のことだ。

急にラダックの写真を出してみたのは、今日(完全に昨日だが…)の朝、駅でふと、「今日はラダックの空気だなあ」と思って懐かしくなったからである。

旅したときのラダックより東京の今はずっと寒いが、空気が乾燥しているし、風も強かった。さらに、どこかで木を燃やすような匂いがしていた。もう少し湿気ていればネパールの村かもしれないが、今日は間違いなくラダック。…さて、どこのオアシスだったか、と少し考えているうちに電車がやってきて、ラダックの空気はあっというまに消えてしまった。

(写真をクリックすると拡大します)

ラダックのモノクロ写真ギャラリーへ

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