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空の向こう(今日のサドゥ4)

Tabi003

旅についていろいろ書こうかと思ったが、考えがまとまらないのでやめておく。最近はこんなことの繰り返しだ。頭の中にいろんな考えが浮かんでくるのに、掴み取ろうとすると逃げていく。まるで空気のようだ。

そういえば、昔、般若心経を覚えたことがあった。

「色即是空、空即是色」が有名だが、その後、ないないないない、なんにもない、とさんざん否定しまくり、最後に、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」で終わる。

なんか訳分からん、と思って適当に唱えていると急に魅力的に思えてくる。まるでサドゥのように不思議なお経だ。

さて今日の写真は、ガンガー源流付近を歩くスワヤンブナートババ(サンブナートババ)。サドゥ本にも一点登場した。

サドゥ本にも書いたが、「サドゥにとって大切なことは何か?」といった質問をしたら、「何もしないこと」と答えた。それでは、何もしないはずのサドゥがなぜヒマラヤを歩いているかというと、これは僕は無理やり源流旅行へと誘ったからである。途中、何度も「しんどいので帰る」と言ったが、拝み倒して連れて行った。

源流からの帰り道では、「まあ、よかったよ」と言ってくれたから、こちらもよかった。

(写真をクリックすると拡大します)

それから「般若心経」の全文はこちらから。

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コメント

サンブナートは裁縫だけしてればいい気がしますね そのうち自分もそうなりそうですがww
とりあえず彼のもとに裁縫修行に出ます 
それが今年の旅

来週からカメラ始動します この前はありがとう 

投稿: kanako | 2009.02.05 07:19

裁縫だけとか、火の番だけとか、なにかひとつだけ、というのがいいですね。
早く写真だけの旅に出たいな。

サンブナートババの写真はおまかせします(笑)

投稿: 柴田 | 2009.02.06 00:16

実家には昔から仏壇がありまして、朝、顔を洗うと食事の前には必ずお線香を立て『般若心経』をあげていました。母達があげるのをずっと聞いていたので自然に憶えてしまったようです。その習慣も中学生の頃になるといつの間にか無くなりましたが、今でも『摩訶般若波羅蜜多心経・・・』とはじまると空で読むことができます。まるでラジオ体操のようです。あの音楽が流れると自然に体が動いてしまいます。昔と違うのは、痛さを感じることで体の何処にどのように効いているか解るということです。
『般若心経』は、昔読めなかった漢字を見ることによって、または、わずかではあるものの、自分の経験値によって、改めてその意味を呑み込むことができるような気がします。答え合わせをしているような気持ちです。

投稿: chin | 2009.02.07 17:47

コメントを拝見し、一瞬、般若心経が、「体の何処にどのように効いているのか」が解るのかと思ってしまいました(笑)
そんなこともありえるのかなあと。

般若心経を覚えたのは、10年近く前だったような気がしますが、今、あらためて読んでみると、当時よりも、なんとなくですが、理解できるような気がします。とはいえ、なんとなくなので、言葉では表現できませんが、とても惹かれます。
最後の、「羯諦羯諦波羅羯諦…」で気分が奇妙に高揚するような気がしますね。真言の力なんでしょうか。

投稿: 柴田 | 2009.02.08 02:34

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