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シヴァ神

Sivatemple001

(写真をクリックすると拡大します)

地球の歩き方インド編の08~09が出た、といっても少し前だが、その扉(中扉と言ったかな)の写真について。ただし上の写真は別カットの横位置写真だ。

これは去年撮った写真だが、シヴァ神である。気に入っていた写真なので、こういう目立つところに使われるのはうれしいものだ。

撮影場所はラジャスタンのチットールガル。ウダイプルからの日帰り取材。泊まってもよかったが、3月終わりで、すでに猛暑に入っていて、いずれウダイプルに帰ってこなくてはならなかったので日帰りにする。宿のマネージャーに、昼からオープンだぞ~、と言われ(これは誤情報であったが…)、チットールガルにちょうど真昼に到着。オートリキシャーを雇って城内に入るが、すでに気温は40度超え。

リキシャーを走らせ、遺跡があれば、降りて、歩いて、写真を撮るが、脳天直下の太陽光が強烈で、長くは外にいられない。「あちちちち~」とか言いながら、リキシャーに何度も舞い戻る。夕方撮ればいいわけだが、そんなことをやっているとウダイプルに戻るのは夜中になる。

とりあえず有名な遺跡を、と思って車中から外を眺めていると、ちょっと奥まったところに古びた遺跡が見える。「あれは?」「シヴァ寺院。でも、たいして重要じゃない」「重要じゃなくてもシヴァ寺院なら行くよ」というわけで、リクシャーを止める。

何かの遺跡を抜けて、その奥にシヴァ寺院はあった。観光客はいない。外観はまあ、普通。それで内部に入っていくと、おばちゃんが一人座っている。地元民だろう。「おばちゃん、管理人?」「私はパンデット(バラモン)。門のすぐ外に家がある」などと話しながら内陣をのぞくと、写真のようなシヴァが鎮座している。

「おお~これは…」
「シヴァじゃ」
「お参りさせてもらいます。それと写真もぜひ」
「ノープロブレム」

それで三拝して写真を撮っていると、

「奥まで入って写真撮ってもいいよ」とおばちゃん。
「しかし内陣は…(パンデット以外は入れないのでは)?」
「あんたはかまへん」

というわけでシヴァ神のすぐ近くで写真を撮らせてもらった。

それにしても、いつもながら、こういうシヴァ寺院は非常に落ち着く。我が家に帰ってきたみたいだ。時間があれば一泊したいぐらい。そしてシヴァ派の、こういう裏寂れたところにいる人とはなぜか相性がよい。インドに行くかぎり、こういう場所を探し求めて歩くことになるだろう。

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コメント

とてもプリミティブで魅力的なシヴァですね。これはいつごろ創られたものなのですか?古い物なのでしょうか?

投稿: skyfish | 2008.08.23 09:06

建物自体は500年ぐらい前のものですが、このシヴァはどうなんでしょう。インドでは、今でも一部の人はこういう原始アートのような神様像を作ってしまいますからね。

投稿: 柴田 | 2008.08.24 01:49

すごいーすごいパワーですthunder
びっくりして鼻血が出そうです。
やっぱりシヴァってすごいですね。こんな寺院行ってみたいです。
今日はスサノオノミコトとシヴァについて
考えていたので、なんだかうれしいです。

投稿: いつめ | 2008.08.24 21:21

原始アートのような神様像を創っている一部の人はどのような人たちですか?
またどういう理由で原始アートのような神様を創っていると思われますか。

投稿: skyfish | 2008.08.25 00:04

>いつめさん

こんな原始的なシヴァもいいものですね。
茫洋としていて、大きくて、不思議なものを感じます。
スサノオノミコトは詳しくは知りませんが、やはり日本のシヴァでしょうか。エピソードを聞くと、そんな気がしますね。

>skyfishさん

原始アートのような神像を聖地のはずれでよく見かけます。作っているのは、たぶん、普通の巡礼ではなく、流れ者とかのアウトサイダーだと思います。一部のサドゥも作ります。

「どういう理由で」というのは、これは簡単にお答えするのは非常に難しいですね。もちろん人それぞれ違いますし…。

今回の写真ですが、チットールガルは廃墟だった時期があるのですが、たとえばの話、その時期に、ちょっと変わった人たちがここにやってきて、廃墟にこもって自分たちのシヴァ像を作り上げたのでは、という想像もできます。

こういう神様像は、社会のはずれでよく見かけます。それは反対に言えば、より自然に近い場所、ということでしょうか。ちょっと変わった人たちにとって、それはとても大切な問題です。

原始アートは今も先住民によって、その村落で作られていることもありますが、そうした先住民や流れ者、あるいはサドゥと少し付き合った感想としては、彼らには、神様の姿がこういう風に見えているのではないか、ということです。少なくとも、原始アートを作っている、という意識は彼らにはないでしょうね。

skyfishさんの質問は、僕個人の活動の、一番重要な部分に重なってくるものなので、コメントが長くなりました。

投稿: 柴田 | 2008.08.25 17:18

とても、納得できるお答えをいただきました。このようなスタイルの神像を見るたび、創った人はどんな人だったのか、また、何を感じ何を考えていたのか感情移入するのがとても楽しいのです。もちろんこのようなプリミティブな造形物にも本物と駄目なものがあると思います。
本物は作った人の言葉にならない意識が反映されているような気がします。それも、本人が意識しないうちに造形物に刻みこまれるのでしょう。それはシヴァへの想いかもしれませんし、アウトサイダーの悲哀かもしれません。あるいはもっと大きなものかもしれません。そして、私たちはそれを言葉ではないもっと直接的な何かとして、極めて感覚的に受け取っているように思います。(エネルギーとかバイブレーションとか言われているものに近いのかもしれません。)人間の潜在意識は果てしなく大きいですね。
私にとってもこれは、大切なことなので長いコメントになってしまいました。ありがとうございました。

投稿: skyfish | 2008.08.25 21:06

> アウトサイダーの悲哀

それもありますね。インドのアウトサイダーたちは、多くがそれを乗り越えているようにも見えますが。

僕は、彼らの側にいて、世界を見たいな、といつも思っています。

投稿: 柴田 | 2008.08.26 20:19

誤解があってはいけないので、もう少し書きます。アウトサイダーの悲哀が感じられるような神像じゃ確かにつまらないでしょうね。あなたの写真のシバやデカン高原の壁画は本当につきぬけていますね。私は、人と物との関係みたいなことを書いてしまい、少し解りにくいコメントになってしまったようです。あなたのようにじかにサドゥーに接することができたらもっと面白いでしょうね。生にかなうものはありません。

投稿: skysish | 2008.08.27 01:46

>デカン高原の壁画

パチマリですね。最初に訪れたときは4日間ほどの滞在だったのですが、あの旅から急に何かが変わってきました。とりたてて何があったというわけでもないのに、不思議です。ジャングルのなかに壁画があって、洞窟があって、先住民が住んでいて、…書くとそれだけのことなんですが、あの旅のあとは、どこへ行ってもより自然に近い方へと勝手に足が向きます。その途上であらためてサドゥと出会いました。

アウトサイダーの悲哀のことですが、たしかに彼らは悲哀を超えているようですが、それでも、彼らは好んで暗い道を旅し続けるようです。原始アートのような神様像もたいていはそんな場所にあります。

投稿: 柴田 | 2008.08.28 00:00

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