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インド 砂漠のジプシーたち

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少し前にこのブログで紹介させていただいたDVD作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』を見た。これは、映像作家のこいでみのるさんが、約一ヶ月間にわたってインドのジプシー(ロマ?)たちを追いかけて撮った作品で、彼らの歌と踊りの映像から構成されている。

というわけで、上の写真も、こいでさんからお借りしたものだ。

さて、その感想を書こうと思ったのだが、硬い文章になるとまるで解説のようになってしまいそうだし、思ったままを気軽に書きたい。

この作品には、珍しい集団の映像もあるようなので、最初、これは記録映像かな、と思ったが、見てみるとそんな感じではない。こいでさんは、たいていは至近距離から、ひとつのカメラで、これを自在に動かしながら、一曲ごとに切れ目のない映像に仕上げている。歌っている人の顔や踊っている人の手や指の表情、楽器の奇妙な動き、そして音楽にあわせて、何かを食べながらリズムをとるジプシーの少女、などなど。

大きな音を出せないので僕はこれをイヤホンで聞いているのだが、演奏者の背後から聞こえてくる誰かの話声や雑音に、ふと耳をすましてしまう。よくは知らないが、こいでさんは自分で音楽もするそうなので、当然、音にはこだわっている。

映像は、ラジャスタンの華やかさを強調したものではなく、逆に、色の彩度を少し落としたようなしぶい色合い。これが20年前とか30年前に作られたと言われても、たぶん、疑問を抱くことはない。僕もこのあたりのジプシーを少し知っているが、彼らの生活は何十年も前から、そんなには変わっていない(ジプシーが携帯を使うシーンで、あれっ、と思うかもしれないが…)。彼らからは土の臭いがするし、こいでさんの作品からは、それをさらに感じる。

感想がたくさんあるのでうまくはまとめられないが、この作品は、正座して聞くような世界ではないと思う。ジプシーの家にいって、胡坐をかいて、飯を食わしてもらいながら音楽を聞いたり、ひどいときには、横になって聞いたりしたこともあるが、これもそんな感じだ。砂漠の夢にひたりながら、ぼんやりと見て、聞くのが楽しそうだ。機材もアナログと撮ったものなので、ハイビジョンテレビではなく、少し画面がざらつく古いアナログテレビが向いているのかもしれない。

作品とは関係のない話になるが、10年ほど前に砂漠の村で10日間過ごしたことがある。電気もない村だったが、夜、食事をしていると、家の主人が闇の中から入ってきて、となりで同じように食事を始めた。しかし、中身が違う。なにか、めちゃくちゃに硬いパン(チャパティー)にかじりついている。

「ピタジー(お父さん)、やわらかいチャパティーもあるよ」と声をかけたが、
「いや~、ワシは子供の頃からこれしか食ってないのでこれがいい」といって、これに野菜汁を適当にかけて、手でパンをぐちゃぐちゃにして、口に放り込んで、あっというまに、懐中電灯も持たずにまた闇の中に消えていった。

なにか、泥でも食ってるんじゃないかと思ったが、これが砂漠の民の普通の姿だ。それで、強風の吹く大地で、器用にマッチを擦り、独特の仕草でタバコ(葉巻)を吸う。サドゥもそうだが、これがまた、なんとも言えずかっこいいのだが、僕らが真似ても様にならない。

こいでさんの作品にも葉巻を吸う男が登場するが、これがまたいい。また、作品の最後に登場するグループはそれまでとは毛色の変わった人たちだったが、これが僕には、盗賊の集団のように思えておもしろかった。まあ、砂漠に盗賊の話は欠かせない。音楽を弾くかたわらで盗賊稼業にも手を染める、なんて世界がちょっと前までは(もしかしたら今でも)、普通に行われていたんじゃないかと思ってしまう。

いずれにしても砂漠にはいろんな人たちがいて、今も自由に旅を続けている。そんな彼らの傍らで、ただカメラを握り締めて、その姿を追いかけるこいでさんの姿が目に浮かんだ。

こいでさんのホームページです。
http://www.spruce-bamboo.com/

また、こいでさんのブログでは 『ザ・ラジャスタン』音楽紀行を連載中です。
http://sisyphe.blog90.fc2.com/blog-category-2.html

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シヴァ神

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(写真をクリックすると拡大します)

地球の歩き方インド編の08~09が出た、といっても少し前だが、その扉(中扉と言ったかな)の写真について。ただし上の写真は別カットの横位置写真だ。

これは去年撮った写真だが、シヴァ神である。気に入っていた写真なので、こういう目立つところに使われるのはうれしいものだ。

撮影場所はラジャスタンのチットールガル。ウダイプルからの日帰り取材。泊まってもよかったが、3月終わりで、すでに猛暑に入っていて、いずれウダイプルに帰ってこなくてはならなかったので日帰りにする。宿のマネージャーに、昼からオープンだぞ~、と言われ(これは誤情報であったが…)、チットールガルにちょうど真昼に到着。オートリキシャーを雇って城内に入るが、すでに気温は40度超え。

リキシャーを走らせ、遺跡があれば、降りて、歩いて、写真を撮るが、脳天直下の太陽光が強烈で、長くは外にいられない。「あちちちち~」とか言いながら、リキシャーに何度も舞い戻る。夕方撮ればいいわけだが、そんなことをやっているとウダイプルに戻るのは夜中になる。

とりあえず有名な遺跡を、と思って車中から外を眺めていると、ちょっと奥まったところに古びた遺跡が見える。「あれは?」「シヴァ寺院。でも、たいして重要じゃない」「重要じゃなくてもシヴァ寺院なら行くよ」というわけで、リクシャーを止める。

何かの遺跡を抜けて、その奥にシヴァ寺院はあった。観光客はいない。外観はまあ、普通。それで内部に入っていくと、おばちゃんが一人座っている。地元民だろう。「おばちゃん、管理人?」「私はパンデット(バラモン)。門のすぐ外に家がある」などと話しながら内陣をのぞくと、写真のようなシヴァが鎮座している。

「おお~これは…」
「シヴァじゃ」
「お参りさせてもらいます。それと写真もぜひ」
「ノープロブレム」

それで三拝して写真を撮っていると、

「奥まで入って写真撮ってもいいよ」とおばちゃん。
「しかし内陣は…(パンデット以外は入れないのでは)?」
「あんたはかまへん」

というわけでシヴァ神のすぐ近くで写真を撮らせてもらった。

それにしても、いつもながら、こういうシヴァ寺院は非常に落ち着く。我が家に帰ってきたみたいだ。時間があれば一泊したいぐらい。そしてシヴァ派の、こういう裏寂れたところにいる人とはなぜか相性がよい。インドに行くかぎり、こういう場所を探し求めて歩くことになるだろう。

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サドゥの手相

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(写真はクリックすると大きくなります)

変わった手相をしている。

写真を撮ったときはそんなことには全然気が回らなかったが…、こうやって写真として記録に残しておけば、あとでいろいろ眺めては、いろんな発見があって、まったく飽きない。

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ネパールの日々

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(写真はクリックすると拡大します)

久しぶりにインド料理を食べる。といっても、そこはネパール人経営。

お盆休みの関係からか、ほとんど人がいない。というか、途中でインド人がテイクアウトで食べ物を持って帰っただけ。完全に貸し切り状態である。店の人とネパールの話をして、ネパールの映画ビデオを見て、気が付くと、ネパールにいるような気分。山村の旅からカトマンドゥーに戻ってきて、どこかのレストランで遊んでいるような錯覚を覚えてしまう。

というわけで無性にネパールが懐かしくなってしまった。

ネパールには3年前にも行ったが、思い出すのはやはり10年以上前の長期旅行時代。数週間、辺鄙な村を歩いては、カトマンドゥーに戻ってきて、夜は日本人旅行者とビール、そしてまたガイドと二人きりで山村の旅に出ては、真っ暗な夜を地元のロキシー(焼酎)とチャン(どぶろく)で過ごす。なければククリラム。そしてダニや蚤にやられて眠れない夜を過ごす。

そんな日々のなかで、ネパールフォークソングまで覚えてしまった。「シメシメパニマ」は今でも全部歌える。「レッサンピーリ」も半分歌える。「カンチャーメロナーウ」という当時のヒット作もサビは歌える。「マルシャンディーサーラーラーは…」なんてしゃべっていたら、「マルシャンディー川は見たでしょう。ベシサハールとゴルカの間の…」「あ~見た見た。あれか」なんて話をして、夜10時過ぎに店を出たら、そこは日本の街。なんだか夢から覚めたような気分…。

15年ぶりにマルシャンディー川を見たいな~。まあ、数年内のうちに。

次にネパールを行くときのルートはすでに頭の中にしっかりとある。15年前は18日間かけて歩いたルート。もちろんマルシャンディー川も渡って。

今回の写真は15年前ではなくて14年前。ってなんだかややこしいが、14年前はモノクロで写真を撮っていた。

一部の写真は本家chaichaiのほうにアップしている。

http://chaichai.campur.com/gallerymonocrom/monocrom.html

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無為自然

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「サドゥって普段、なにしてるんですか?」
「今は、…暑いのでヒマラヤですね」(行かない人もたくさんいる)
「……」
「……」
「ヒマラヤで修行ですかね?」
「いやあ~、どうなんでしょう。なにもしてないんじゃないですかね~」

先日もこんな会話をしたが、「なにもしていない」というのは、話題としてはなんとも微妙だ。それで慌てて、

「まあ、大麻吸ったり、チャイ飲んだり、飯を食ったりはしてますが…」

と、付け加えるが…、これまた微妙だ。

サドゥの説明をするのは大変だなあ、と思って、それで、というわけではないが、ぶらりと本屋に行くと、「老子」が目に飛び込んできた。道教の始祖「老子」だが、読んでいると、まるでサドゥが話しているかのようで心地よい。「老子」の説明をするのもまた大変なので遠慮しておくが、その思想は簡単に言えば、「無為自然」というのに尽きてしまう。

「自然の流れにまかせてなにもしないこと」

まさにサドゥだ。

今回の写真は、サドゥ本に何度も登場したナンディバルティババ。庵のある山の向こうの村から、数日歩いて、聖地ケダルナートに避暑にやってきた。

ケダルナートに到着してしまえば、あとはやっぱりなにもしない。鳥のように座っているだけで、僕の顔を見つけると、「チャイ、チャイ!」と言って、近づいてくる。それで二人してチャイ屋に行って、チャイを片手にヒマラヤを眺める。

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夢のような…

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(写真をクリックすると大きくなります)

暑くて寝苦しいのか、最近、よく夢を見る。

何日か前にはサドゥが出てきた。たしかバスから見ていたような記憶があるが、風格のある裸のサドゥが二人、すぐとなりを通り過ぎていった。長いドレッドが腰より下まで伸びていた。

でも気になったのは、風景がインドではない。どこか分からないが、もっと平凡で、もしかしたら日本か、あるいは未来のインドかもしれないが、どちらにしても、なんだかこれが最後のサドゥだ、と思えて悲しかった。二人のサドゥは、林の向こうに消えていった。

その後、何かの聖地といわれている小さな池を誰かと見に行った。すでに夜だったような気がする。池が少し寂れていて、しかもその向こうに、近代的な町が輝いていて、がっかりする。

その後も、いくつも夢を見て、朝、起きて、夢だったことにほっとする。とはいえ、どんな夢であっても、夢を見るのは嫌いではない。

今回の写真だが、2年半前のヴァラナシ。毎朝のように霧が発生して不思議な風景が続いていた。ときには朝の10時ぐらいまで霧の中。こうなると、一日の半分ぐらいを夢の中で暮らしているような気分になる。

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放浪者たちの夏休み

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日本の写真が二回続いたら、またしてもインドが強烈に懐かしくなってしまった。

ということで、いつものようにハリドワールの対岸へ。放浪者たちの楽園だ。そして放浪者といえばババジ(サドゥ)。

写真の男たち、ただの浮浪者のようでもあるが、少なくとも一番手前と、後ろからいたずらしている男は正真正銘のサドゥ。いたずらしているのはネパール人サドゥで手前はたぶんパンジャーブのサドゥだが、宗派は同じだ。耳に耳輪をしている。ナートサドゥである。

ナートサドゥは、今、一番気になっているサドゥ。彼らは酒も飲むし肉も食う。でもサドゥだ。しかもちょっと黒魔術師系…。

ハリドワールは肉食も飲酒も禁止されているが、ナートサドゥが裏手でゴソゴソ肉食飲酒をやっていたとしたらどうなんだろう。見て見ぬふりなんだろうな。どうせ対岸(聖地の対岸はインドでは「あの世」)だし…。

ところで表題「放浪者たちの夏休み」だが、放浪者、ことにババジたちは毎日が夏休み状態。でも、ハリドワールの夏休みは彼らにとっても格別なものらしい。

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ひぐらしが鳴く森

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(写真はクリックすると大きくなります)

夏になると、ひぐらしの声が耳についてしまう。

近所の小さな森でもずっとひぐらしが鳴いている。それで、ひぐらしの鳴く森のイメージで写真を撮ろうと思って、近所ではなく、そこから10分ほど歩いた、ちょっとした丘の上の森で、夕暮れ時、30分ほど過ごして写真を撮った。

なんか、お盆のようなあやしいイメージになってしまった…


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