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アマゾン奥地で未知の部族民…

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ペルー国境に近いアマゾン川流域のブラジル北部アクレ州で今月、未知の部族とみられる人々の姿が空撮された。上空を通過する航空機に、弓矢のような武器で攻撃しようとしているように見える。(毎日新聞)

写真を見ると、赤くボディーペインティングしている男たちのなかに、なぜか真っ黒なボディーペインティングが見える。人間というより、原人のような感じで、おもしろい。彼だけちょっと違う職種なのかな、なんて想像をしてしまう。シャーマンかな…。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200805300041.html(写真はこちら)

ところで、インドにも未知の部族民がいるそうだ。あるサドゥは森の中で裸族に誘拐されたと言っていたが(最後は開放された)、また別のサドゥは、辺境の村のバザールで完全な裸族を見たらしい。

サドゥいわく。

「写真だってOKだよ。ただし、笑ってはいけない。笑うと猛烈に怒って殺しに来るらしい」

…よく分からない。挨拶もなしにバシャっと写真を撮ればいいのか?

が、笑いかけて殺されかけた人が実際にいるらしい。場所はデカン高原のやや東、インドの秘境チャッティースガル。森の中には、謎の先住民だけでなく、木の実ばっかり食べているような本格的なサドゥもいるらしい。一度行ってみたい。

今回の写真はチャッティースガル州の西となり、マディヤプラデシュ州の先住民。

朝、村を散歩していると、彼女が一人、焚き火をしていた。額に刺青が見える。寒いので、ちょっとだけ火に当たらせてもらった。それだけでも何か不思議な気分だ。

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地図にない旅…(ネパール山の旅11)

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外人のいないトレッキングコースを歩くのが趣味だが、そこには情報というものがほとんどない。あるのはネパール全土のアバウトな地図とガイドのいいかげんな記憶だけである。最辺境になってしまうと地図さえも役に立たない。道の情報も村の情報も、何もない。

2005年の旅では地図が重宝した。一応、街道とおおまかな村の名前を地図で確認できたし、「今日は谷間の道か」とか「今日はたぶん、約1000メートルの登りかな」ぐらいは判別できた。でもそれだけである。あとは村人からの適当な情報とガイドのつたない記憶だけ…。

まるで昔話のような世界だが、これが一般的なネパールの姿である。どんな風景と出会えるかは行ってみないことには分からない。どんな人が住んでいるのかも分からない。夢があるかといえば確かに夢はある。

上の風景写真だが、谷間の奥正面の、丘というか山みたいな場所から写真を撮っている場所までまっすぐ歩いて、たぶん三日ぐらい(村人の足で二日)。実際は、写真上、右手の山をうろつき、そこで病気をしたりしていたので、なんと一週間もかかってしまった。

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山村の飯(ネパール山の旅10)

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ネパール村めぐりは楽しいことばかりではない。辛いことも結構ある。峠の坂道を登るたびに、もう嫌だ!と思うのは毎度のことだし、有名なトレッキングコースを外れると、まずトイレというものがない。場所によっては全然問題ないが、夜などは非常に困る(一番怖いのは犬!)。
それから、昔、山を歩いたときは、寝袋に蚤が住み着き、眠れぬ夜を何日も過ごした。2005年の旅でも何度かやられた。
そして最後に、なんといっても飯が辛い。

飯が辛いといっても、歩くコースによってである。メインのトレッキングコースは何の問題もない。問題ないどころか、場所によっては普通にうまいパスタなんかも食べられる。有名なのがアンナプルナのジョムソン街道。別名アップルパイ街道と呼ばれ、カトマンドゥー、ポカラほどでないにしろ、たとえば、インド、ヴァラナシのツーリストレストランよりはうまい。

しかしながら、僕が好んで歩くような街道は外人がまずいないような辺境地帯であり、飯のレベルががっくりと落ちてしまう。基本的にはご飯とカレー一品、よくて二品で終わりである。それがうまければ構わないが、残念ながら、半分ぐらいは、「えっ」という味である。

一日、二日なら別に問題ないが、これが一週間、二週間と続くと、結構キツイ。街道によっては美味い宿屋(茶屋)が続くこともあるが、2005年の旅ではハズレが多かった。

上の写真も、焼きすぎの卵がついているだけで、あとは……。卵ももちろん特注だから、普通はカレー汁一品でご飯を食べる。この街道は、アチャール(漬物)もほとんどなかった。

ある大きめの村でモモ屋を見つけた。モモとは、チベット風蒸餃子のこと。

「ここで夕飯を食いたい!」と主張したが、気の弱いガイド(というかポーター)に、「宿屋(…というか民家)の面子もあるので、宿屋で食べてください」と泣きつかれて、結局その日もカレー。

ちなみにネパールのカレー定食は現地名ダルバート。ダルは豆のカレー、バートはご飯。まったくそのままである。

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夕暮れの山村(ネパール山の旅9)

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写真を見て、今すぐここに行きたい、と思ってしまった。

こういう世界にあまりに長くいたから、こればかりはどうしようもない。ヒマラヤ界隈を延べ一年半以上うろついていたことは前にも書いたが、それ以外に、日本の山の中で、これまた、延べ二年以上住んでいた(働いていた)。山特有の、ちょっと青い夕暮れの感じがなんとも言えず懐かしい。

生まれも育ちも山のほうだし、これは郷愁ということか。

もう一つのブログ「ニルカンタ・カフェ」も、更新を再開しています。ぜひご覧ください。

http://chaichai.moe-nifty.com/chaiiberia/

それから、本家chaichaiの「インド旅の雑学」に「猿の神様ハヌマーン」を追加しました。興味のある方はぜひ。

http://chaichai.campur.com/indozatugaku/hanuman001.html


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ヒマラヤ…(ネパール山の旅8)

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久しぶりにネパールシリーズ。

どこの村だったか?名前は忘れたが、ここで一泊した。朝起きて、村を出ると、その背後にヒマラヤが輝いていた。遠くから見るヒマラヤもいいものだ。このときは、ヒマラヤから遠ざかるように歩いたが、だんだんと近づいていくのはもっと楽しい。

今、ヒマラヤに関する奇妙な本を読んでいる。これまでちょっと敬遠していた世界を描いた本だが、「ヒマラヤ」が舞台なので読み始めたら、意外なほどおもしろい。まだ読み終わっていないので、本の紹介はまたいずれ。

それにしても、ヒマラヤ行きたい。ちょっと離れてみて、あらためてヒマラヤが好きだということに気が付いた。いや、好きというだけではなく、これは運命だと思ったりもする。

イエティとユキヒョウを探しにヒマラヤへ

それと、ヒマラヤのふもとのジャングルで隠れ家を探したい…なんてことを昔から思っていた。たとえば、こんな感じの…

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ドゥルガーとサラスヴァティー

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本家chaichaiの「インド旅の雑学」ページに、ドゥルガー女神とサラスヴァティー女神のページをアップした。

http://chaichai.campur.com/indozatugaku/durga001.html
(ドゥルガー)

http://chaichai.campur.com/indozatugaku/sarasvathi001.html
(サラスヴァティー)

これでだいぶ神様ページが充実してきた。あとはビシュヌ、ハヌマーン、クリシュナといったところか。でもビシュヌ系は書きにくいな。その前に、やはりパールヴァティーか。

今回、サラスヴァティーの写真がどうしても見つからなかったが、神様写真というのは、非常にたくさんある。とりあえず、神像と見れば、反射的に撮ってしまう。ほとんど習慣と化している。

今回の神様写真は先住民の村で撮影したもの。名前はよく分からない。月(シヴァ)と太陽(ナラヤン、ビシュヌ)がシンボル。

サラスヴァティーのページを作りながら、ガヤトリーマントラというのをユーチューブで聞いていた。ガヤトリーは韻律の女神で、のちに芸術の女神であるサラスヴァティーと融合する。とまあ、そんな小難しいことはこの際どうでもいいことだが…

リンクを貼っておこう。

http://jp.youtube.com/watch?v=YW8IjcOWtlI

こうしたマントラでも聴きながら、うちの神様ページを眺めていただければ、なんて思ったりもする。

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水…

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上がガンガー、下が大阪のとある山寺の水。


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ガンガーを見下ろす茶屋

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新緑を眺めながら、今、一番行きたいところは、と考えていると、自然と山の風景が浮かんできてしまった。

山といえばやはりヒマラヤ。ネパールカトマンドゥーなども含めて、ヒマラヤ界隈をうろついていた期間というのは、軽く1年半を超えるから、よくよくヒマラヤに縁があるらしい。というかたぶん、純粋に好きなのだろう。

ヒマラヤの旅、といってもいろいろだが、今やりたいのは、ヒマラヤ山麓の旅。雪山(本当の意味でもヒマラヤ)を遠くに眺めながら、小さな街や村をバスや歩きでうろついてみたい。

ヒマラヤの街の薄汚い居酒屋で、トゥクパ(チベット麺)とかモモ(チベット蒸し餃子)をつまみながら、ロキシー(焼酎)やチャン(にごり酒)を飲むのもいいし、もちろん聖地でベジタリアン生活も悪くない。そのあたりは何でもいいが、出来ることなら、ヒマラヤ山麓を、たとえば西の端から東の端まで、半年ぐらいかけてぶらりと横断できれば最高だ。

ま、半年とは言わないから三ヶ月でも…。

今回の写真は、ガンガー源流からの帰り道、温泉の村ガンガナーニの茶屋、というか、ご当地風ドライブインの窓際特等席からガンガーを見下ろしているところ。目の前にいるのは、サドゥ本でも登場したサントスナートババ。このときは、たぶん、チョウメン(焼きそば)を食べたような記憶がある…。

チョウメンを好きになったのはヒマラヤ巡礼から。定食ターリーがうまくなかったりするので、機会があるごとにチョウメンを食べるようになった。その影響もあって、日本でもよく焼きそばを食べる。クミンなどの香辛料でもいいが、普通に七味唐辛子を多めに加えると、チョウメン風になってうまい。

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もう一つのブログ「ニルカンタ・カフェ」を続けるかどうか迷っていたが、とりあえず、もう少し続けることにした。本当に久しぶりだが、今日、写真二枚、アップした。

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「インド舞踊」のページを作成

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本家chaichaiのほうにインド舞踊に関するページを作った。全部で3ページ。

http://chaichai.campur.com/indozatugaku/indiandance001.html
(1ページ目、インド舞踊の概要について)

2ページ、3ページ目はバラタナティヤムについて。

今年のはじめに、舞踊家のバジパイ氏(インド舞踊のページにたくさん登場します…)と知り合うまで、ほとんど興味を持ったことがなかったので、テキストを書くのはちょっと苦労した。舞踊自体も、まだあまり見ていないから内容に関してもあまり自信がない。

いろいろ間違っていたらどうもすいません…

ところで今日の写真は、南インド西海岸ケーララ地方のカタカリ。これは4回ぐらい見た。写真を撮ったときはなんとオールナイト。ダンサーが全部で10人ぐらい登場して、なかなか豪華だった。とはいえ、最後のほうはさすがに飽きて、芝生で寝ていたが…。

日本でも野外オールナイト公演とかあればおもしろいのだが、騒音問題などがあるから難しいかな。どこかの山寺主催とかなら可能か。

それとインド、バリ舞踊の公演に関するお知らせ。もちろんバジパイ氏も登場する。

http://tokyo.kijiji.co.jp/c-Events-events-general--W0QQAdIdZ47905345

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海外旅行者は減少傾向…

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海外旅行が減少傾向にあるという。

FujiSankei Business i」によると、

海外旅行者は2000年の約1782万人をピークに、米中枢同時テロや新型肺炎(SARS)の流行などで03年は約1330万人まで落ち込んだ。その後やや持ち直していたが07年にまた減少に転じた。

さらに特徴的なのは20代の海外離れが急激に進んでいるらしく、

20代前半で19・8%から17・1%に、同後半は25・7%から21・1%へと落ち込んだ。

としている。理由の一つにネットの情報過多などをあげているが、理由は経済的不安など、いろいろありそうだ。それはともかくとして、インドの旅行者事情はどうだろう?

JALのデリー便は、昨年の秋から、それまでの週4便から週7便(毎日)へと便数を増やした。こうした需要を見ると、一見、旅行者は増えているような気もするが、その多くはビジネス客。旅行者、とくに自由旅行者に関して言えば、おそらく、かなりの減少傾向にあるのでは、というのが個人的な感想である。

インド旅行者の数も、海外旅行全体と同様、2000年頃がピークだったような気がする。当時は、とくに春休み時期などにヴァラナシを歩くと、角を曲がるたびに日本人の姿を見かけた。しかし2年前(2006年)にヴァラナシを訪れたときは、角を曲がるたびに韓国人の姿を見かけるようになった。さらに1年後には、「韓国人でヴァラナシの宿がいっぱいになっている」というメールをある人からもらった。

ただし、韓国人によるインド、ヴァラナシブームもおそらくそう長くは続かないだろう。流行が大きければ大きいほど、衰退するのも早い。日本人のインドブームもそれに近いものだったのか。

アジア人の極度の飽き性に比べると、欧米人旅行者は、たとえば僕がはじめてインドを訪れた1991年当時から見ても、それほど大きな変化がないようにも見える。彼らのインドブームは60年代からずっと続いているわけだ。その一角に、少数だが日本人もいる。旅行者の雰囲気に多少の変化はあるが、その底流を流れるのはヒッピーの系譜である。彼らのインド通いが続いたのは、たぶん彼らが、インドで非常にいい思いをしたからだろう。

一度味わった幸福はやはり忘れられないのだ。それがどんなものであったかは一概には言えないと思うが、彼らが未知への好奇心を常に燃やし続けていたことだけは確かだろう。地図やガイドブックに描かれていない世界が本当の旅の舞台であった。

ところで今回の写真、タージマハールである。インドでもっとも有名な建築物だが、僕がはじめてタージマハールを見たのは5度目のインド旅行だった。それまでなぜ敬遠していたかと言うと、当時の貧乏旅行者の一部が、「実際見ても写真とおんなじで、あんまり見る価値はないなあ」と言っているのを、真に受けてしまったからだ。それでも5回目のインド旅行でようやく見ることになって、その感想はといえば、…きれいだけど、やっぱり写真と一緒…?、というありきたりなものだった。

その6年後、またタージマハールを見る機会があった。それでどうだったかというと、こんなに美しい建築だったのか、というのが率直な感想である。とくに早朝、ほとんど誰もいない対岸から眺めたタージマハールは夢のように美しかった。

今回アップした写真はさらに2年後のもの。なんとまた訪れたのである。写真は、対岸に渡る前の河原から撮ったもの。朝日が昇る20分前。この時間帯のタージマハールは、どこから見ても、ため息が出るほど幻想的だ。

海外旅行者減少の話題から話が逸れた。というか、まあ、流行とは常に距離を置く人間にとっては、旅行者の増減は結局のところ、あまり関係がない。タージマハールの入場口が人であふれていたとしても、横道を抜けて対岸に出れば、人はほとんどいないわけだし、旅は所詮、自分で作っていくもの。そこでいい思いをすれば、人はまた旅に出るし、この先、たとえばタージマハールの対岸が人で埋まるようなことになったら、また新たな場所を探しに行けばいいだけのことか。

http://chaichai.campur.com/architecture/agra01.html
タージマハールの裏表。

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