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荒野と密教仏

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ラダックには2回訪れて延べにして約3ヶ月滞在した。滞在中は、誰かしらと一緒にいることが多かったため、楽しい記憶がほとんどだが、ずっと一人だったらどうだっただろう、とふと考える。

滞在中のあるとき、ジープから降りて、荒野にある小さな食堂(ほんとに小さな食堂)で食事をしていたら、なんだかひどく野性的な坊さんが中に入ってきた。目が異様に鋭い。しばらくして話しかけると、食堂のある荒野からしばらく丘を登った洞窟のような場所で、たった一人で修行しているという。食堂に来たのは何かの野暮用らしい。

坊さんの修行の場に行きたかったが、ジープツアーの最中なのでそうもいかず、そのまま別れたが、食堂から外へ出て、丘のほうを見上げながら、ちょっと寒気がした。ちょうど曇り空だったのでなおさらだが、荒野の風景がひたすら寒々しい。

正直言えば、こんなところで修行しようという人の気が知れない。

あの坊さんも、やはり寂しかったのだろうか。だから野暮用だといって食堂に下りてくるのかもしれないが、そうだとしても、修行がなってない、なんて誰が言うだろう。

修行の目的とは矛盾するのかもしれないが、誰にも知られず修行するというのは、いったいどんな意味があるのだろう?意味がないと言うのではなく、ともかく僕には想像もつかない。

同じ修行といっても、たとえばの話、デカン高原のジャングルで人知れず修行するサドゥがいたとしても、森に住む動物たちは彼のことをよく知っているはずだし、植物だってあふれている。植物にも気持ちがあるらしいから、一流のサドゥなら意思疎通も出来るかもしれない。環境がラダックとは全然違う。ラダックは砂漠、石と砂だけの鉱物の世界だ。石や砂とはさすがに意思疎通は出来ないだろう。

今回の写真はティンモスガンという村周辺の風景と村にあるゴンパ(密教寺院)の巨大な仏像。

村はそこそこ大きいが、昼間でも人の姿はあまり見ない。村から外れて小さな谷間を歩くと、ただ、荒地に道が続くだけの不毛の世界。そういうラダックにあって、ゴンパの密教空間は原色とバター油が絡みつく、なんとも濃厚な世界で、ゴンパこそが極楽というのはよく分かる。

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