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サドゥか、サドゥーか、サードゥーか

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(写真はハリドワールのシヴァ像です。ちなみにサドゥ本には登場しません)

前回の記事「サドゥの本を作っています」で、これまで、ホームページ、ブログで「サドゥー」と表記していたのを「サドゥ」に変えた。変えた理由は簡単だ。今、作っている本で、「サドゥ」という表記を使用しようかと検討しているからで、とりあえずそれに合わせてみた。

サドゥには、「サドゥ」と「サドゥー」以外に、「サードゥー」と表記する例がある。いったいどれが正しいのかよく分からない。ちょっと調べてみると、これは言葉自体の問題というより、カタカナ表記に関するルールの複雑さなどに原因があるらしい。

そのあたりのことは煩雑になるのでここでは書かない。「カタカナ 長音」などで検索するとたくさん出てくる。

さて「サドゥ」に関してだが、どうもよく分からない。よく分からない、といえば、インドの地名なんかもよく分からない。たとえばインド最大の聖地ヴァラナシ。「地球の歩き方」の表記を見ると、「ヴァーラーナスィー」となっているが、まじめに発音してもまず通じない。「頭おかしいんじゃない?」と思われて終わりだ。

(注)ちなみに「ヴァラナシ」を「バラナシ」と書く人も多いが、「バ」と「ヴァ」はインドではまったく違うので、なるべく「ヴァ」と発音したほうがよい。

その他の地名、たとえば「カジュラーホー」とか「コナーラク」なんかもよく分からない。chaichaiの「インドの歴史遺産」を作るときにそう表記したが、どうも違うんじゃないかと、今でも思う。たとえば「カジュラーホー」は、少なくとも僕が現地で発音するときは「カジュラホ」である。「コナーラク」も、まあ「コナラク」でもいい。「マナーリー」は「マナリ」になり、「アーグラー」は「アグラ」になる。つまり、伸ばさないでいいところは極力伸ばさない。伸ばさない理由はよく分からないが、実際、早口のインド人とやりあうならそっちのほうがずっといい。

サドゥに関してだが、伸ばさないのが一番というなら「サドゥー」ではなく「サドゥ」がいい。実際、現地での発音もおそらく「サドゥ」に近い。でも、僕は「サドゥー」でもかまわない。どうしてかというと、少なくとも日本人相手に話すときはずっと「サドゥー」と発音していたし、なんとなく愛着がある。だからといって「サドゥ」だとイヤ、というわけでもなく、結局は体裁のいいほうをとればいいと思っているのである。

サドゥの本を作るわりにはずいぶんいいかげんな、と思われるかもしれないが、仕方ない事情もある。じつはサドゥという言葉自体、インドで使うことはあまりない。サドゥの写真を毎日撮っていても、「サドゥ」といわない。じゃあなんていうのかと言うと、「ババ」であり、敬称をつけた「ババジ」である。

「ババ」「ババジ」は発音の感じが素朴でかわいくもあり、サドゥに非常によく似合う。土臭いインドの雰囲気がそのまま言葉になったという印象があり、好ましい。

サドゥに向かって呼びかける場合だが、「ババジ!」と叫ぶ場合もあるが、通の世界になると「マハラジ!」が普通だ。「マハラジ」というのは、「マハラジャ」と同じで、偉い人、という意味。「マハラジ!マハラジ!」と親しみを込めて呼ぶと、サドゥも人の子であるから、それなりに気分がよくなったりするのである。

「サドゥ」を意味する言葉はほかにもある。ヨーガの達人を意味する「ヨギ」、仙人(聖仙)を意味する「リシ」、世捨て人を意味する「サンニャーシン」。ちなみにサドゥは、「正しい人」という意味らしい。

それらの言葉はすべて二千年以上の歴史があるが、それぞれの言葉が指す対象は、じつはかなり違う。たとえば「ヨギ」というならまずヨーガが出来なくては話にならないし、「リシ」といえば、聖仙と言うぐらいだからもっと範囲はせまくなる。サドゥはそのまんまでいいが、「ババ」というのは逆に範囲がぐっと広くなる。たとえば先住民のシャーマンを「ババ」と読んでいるのを聞いたこともあるし、その他、さまざまな使い方がある。思いっきり範囲を広げて考えるなら、ヒゲを生やしてちょっと変わったオヤジはみんな「ババ」である。

「サンニャーシン」については非常にややこしいので省略しておこう。

サドゥ、サドゥといってもじつはいろいろある、ということが分かっていただけただろうか。ちなみに、僕がわざわざ撮るサドゥというのは、パワーあふれる「小さなシヴァたち」、つまり「ヨギ」「リシ」の系統で、普通の世捨て人は、少なくとも本のなかでは除外している。

いろいろ書いてみたが、まだまだ足りない。というより、インドははっきり言って伏魔殿のような世界で、分かっていることは氷山の一角といってよいだろう。そういう世界で、「サドゥ」か「サドゥー」かを論じていても仕方ない。好きなほうを使えばいんじゃないの、というのが僕の考え方である。

長文になってしまったが、サドゥ本ではこういうややこしいことは省略している。写真中心なので紙面に余裕がないのも大きな要因だが、なんといっても写真が主役だから、ビジュアルからサドゥの魅力を発見してほしい、という思いをこめている。

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サドゥの本を作っています

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インド関係の仕事をしていると書いていましたが、正体はサドゥ本です。出版が来年1月の予定なので、告知はまだ早いと思っていましたが、編集デザインを担当していただいている作家の草下シンヤさんのブログに登場してしまいましたので、こちらでも紹介します。ちなみに上の写真は仮の表紙です。

本の内容はだいたい完成しています。写真集に近い内容ですが、テキストもおりまぜ、サドゥの世にも珍しい世界を紹介します。

ドキュメンタリーとは思ってないので、変に泥臭い内容ではなく、美しく格好いい(?)サドゥが数多く登場します。というか、格好いいサドゥを探し求めてインド中を歩いたわけなんですけどね。とはいえ、変人サドゥも数多く登場します(サドゥは基本的にはすべて変人ですが)。今年はじめに撮影したクンブメーラ、サドゥの大行進ももちろん登場します。これはむちゃくちゃ迫力あります。

サドゥの印象は、一般的には放浪修行者、あるいはヨーガ行者、世捨て人、といったところだと思いますが、じっさいはそのはるか上を行く、すごくて変な人たちです。どんな風にすごいのかはサドゥ本の中で楽しんでいただければ、と思ってます。まだまだ先が長いですが。

ちなみに写真のほとんどは未発表作品です。このブログやホームページの写真はほとんど登場しません。サドゥ本に関してまた進展などがあれば、このブログに書いていきます。


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デカン高原の田舎カレー

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「インドに行きたい病」になってしまったが、やっている作業もインドものだから別に辛くはない。写真を見ているかぎりは気分もいい。9月からはじめた「広河原の秋」シリーズがすっかり中断しているが、どうせブログを書くんだったらやっぱりインド、という気分だから、こればかりは仕方ない。

今日の写真はデカン高原奥地の村。一番上の写真は宿泊したババジ(サドゥーですね)の小屋で食べたカレーだ。ババジみずから作った。

ババジの名前はガンガーラーム。村から請われてここに長く逗留している。というのは、村にはバラモンなどがいないので、宗教儀礼がはかどらない。その師範役に抜擢されたらしい。

上のカレーだが、なかなかおいしかった。味はシンプルだが優しい。カレーは一種類なので、そのなかに豆も野菜も入っている。ババジなのでもちろん肉なしである。

あとの写真はその近所。子供たちが学校から出てきたので写真をパチリ。みんな先住民の子供だ。

ちなみにこの周辺は90パーセント以上が先住民の村々。下の写真も先住民の一家。外人を見るなんてほとんどはじめてだろう。このあたりに外国人が来たのは二度目か三度目とか、そんな話だ。

出発前は、ガイドが「年に数回は外人と行くよ」などと話していたが、これはみんな嘘…。こういう嘘にはかなり慣れていて、ネパールなんかでもよくあること。でも別に問題ない。たいした嘘でもないし、どうせ現地でばれてしまう。

「お前、じつははじめてだろう?」
「いや、たしか二回目かな~」
「嘘言わんでいいよ。こんな山奥で。いまさらクビにも出来んし…」
といった感じの会話を、ネパールで二回した記憶がある。ただしこれはネパールの話で、これがインド人ガイドだと「いや何度も来てる」「そんな話をした記憶がない」などと、あくまでしらばっくれる。

え~と、話は村に戻る。このあたりの先住民は非常にシャイ。相手が外人だから、というだけではなく、ほんとにおとなしい。村も静かだ。やはり森に囲まれているせいだろうか。

一番下の写真。田園風景の向こうに山並みが見え、さらにその奥から少し見えている山頂が、「デカンのカイラス」チョーラガル山。「デカンのカイラス」というのは僕が勝手に呼んでいるだけだが、形も欲似ているし、実際、この地方の聖なる山だ。もちろんシヴァが祭られている。詳しくは「シヴァの山へ」で…。

デカンの田舎はほんといいとこ。地酒もあるし、風景も奥が深いし、人もあたたかい。もちろん、それだけではなく、神秘的な話もいっぱい、動物もいっぱい、サドゥーもいっぱいで決して退屈しない。

ちなみに上の写真は去年の12月撮影です。

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夜中なのにカレーが食べたい

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ただいま夜中の四時過ぎ。こんな時間なのに、なぜかインドカレーが食べたくなった。

先日、久しぶりにインド料理屋に行く機会があってマトンカレーセットを食べた。さらっとしたカレーで、まあ、悪く言えば安食堂の味だったが、久しぶりの香辛料があとをひいている。

インド料理屋といってもパキスタン人経営ということで、一緒に行った人の話によると、行くたびに味が微妙に変わるという。まあ、適当に料理してるのだろうが、僕はもちろん気にならない。インドカレーは基本的に小麦粉を使用しないので、とろみがつきにくい。昔、よく挑戦したが、やはりさらっとした汁カレーになってしまう。でも今から思うと、あれでよかったのだ。香辛料さえ適度に効かせてやれば、日々の飯としてはむしろ食べやすいし、飽きもこない。

久しぶりに自分でインドカレーでも作ろかな…。香辛料さえうまく使えれば、意外と簡単かもしれない。美食から遠ざかっているので、むしろ安食堂の味のほうがうまいくらいだ。

上の写真は春にコヴァラムビーチで食べた魚カレー。別に高くはないけど味は安物のカレーだ。外人用なので香辛料が足りていなかった。ケーララのカレーは、安食堂だと今度は辛すぎて、どちらかといえば苦手。先日のマトンカレーがきっかけになったので、今はノンベジカレーが食べたいかな。たとえばハイデラバードビリヤーニとか…。


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インド、インド!

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年越しインド、という話を聞くたびに、いいな~という気持ちを抑えられない。しょっちゅう行ってる僕が言うのも贅沢だが。

今年はもう行けない。来年も未定。希望では春から夏にかけて行きたいところだが、どうなることやら。

今はちょっとインド関係の重要な仕事があって、すべてはそれ次第。結局のところ、日本にいてもインドのことで頭がいっぱいだ。今日はその仕事がとても良い感じだったので、一杯やりたいような気分。というわけで上の写真をアップした。

場所はデカン高原の聖地アマルカンタク。マルマダ川源流の聖地では、朝から晩まで「マルマデ・ハール!」の挨拶が聞かれる。ナルマダ川万歳、といった意味。地元の人も「ナルマデ・ハール」だが、巡礼たちの場合は両手をあげて喜びを全身で表現する。

それにしてもなんて無邪気な顔なんだろう。
大の大人が、こんなにもかわいい、というのはたぶんインドだけだろう。


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インドの安食堂で飯が食いたい

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秋だというのに少々インド病気味である。
ここ最近(だけではないが)、毎日インド関係の作業に没頭しているからだろう。夢にまでインドが登場する。
たとえばレストランなんかに行っても、すぐにインドの安食堂を思い出す。
あの適当な雰囲気のなか、適当な人に囲まれ適当な食べ物を食べたいな~と思ってしまう。

適当、適当といっても飯自体が不味い訳ではない。僕は味にうるさいほうの人間である。とはいえ、上の写真程度の清潔さがある場所では、まずひどい飯は出てこない。なんといっても、毎日飽きもせず、プリー(揚げパン、下の写真)ばかり作っているようなオヤジがやっているのだ。目隠ししても失敗しないだろう。

それにしても毎日インド、インド~で我ながら困ったものだと呆れてしまう。
インドを思い出さない日はほとんどない。あるとすればインド以外の国を旅しているときぐらいだ(やっぱり旅はいいね)。それでも、ちょっと気に食わないことがあると、インドでは、とつい愚痴をこぼす。

一番インドを痛切に感じたのがマレーシア、あの国は国民の何割かがインド人だが、マレー人や中国系に押されてインド人らしい元気が感じられない。そんなマレーシアでインド映画の知っている曲などを聴くと、つい感傷的な気分になる。マレーシアは10日しかいなかった。ほんとは一ヶ月ぐらいいる予定だったが、10日で10回以上インド食堂に通うことになってさすがにバカバカしくなってしまった。インドの影がない国に行こう…。

美食の街香港でも、重慶大厦(チョンキンマンション)に通って、インド料理屋やネパール料理屋に通った。ちゃんとした料理なのに中華屋台より安かった。安くてうまいものを食べるのは旅の常道。香港だから中華を食べなければいけないなんて理由はどこにもない。

ネパール料理屋で片言のネパール語を話すとひどく喜んでくれた。経営するのはグルン族の家族。なんだか遠い異国の地で、同郷の人に出会ったような喜びがあった。というのも、僕はネパールに行くたびに「お前はグルン族そっくりだ」と言われ続けてきたのである。

次にインドに行けるのはいつだろう?ネパールでもいいけどね。グルン族の村もめぐりたいな。

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ブッダガヤ

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広河原シリーズがちょっと中断しているが、紅葉にはまだ早いし、何かインドが気になってしまうので、またインド。

前回、「ガンジス河でバタフライ」の感想を書いた。ドラマではブッダガヤも登場したので、今回はブッダガヤの写真。ブッダガヤの写真は「写真で見るインド」にもあるので、そちらも見ていただけたらと思う。今回の写真はなんてことのない平凡な写真だが、インドが懐かしい、と思うときは、僕はこんな風な写真を眺めたくなる。

今回の写真は二年半前に撮ったものだが、初めてブッダガヤに行ったのは1991年。なんと16年前のことだ。そのときのことは以前こちらに書いた。泊まったホテルがめちゃくちゃだったが、あの頃はあまり苦にならなかった。その前に移動がひどかったので、ともかく落ち着けたことにホットしていた。まあ、若かったんだな~

ところで最近、インド以外の国への関心が急速に衰えている。

たとえば、インドの次に行きたい国はネパールだが、その次はパキスタン、次はバングラデシュ、さらにブータン、それにどちらでもいいのだが、スリランカかな~といった感じで、インドかその周辺国ばっかり、と自分でもあきれる。

数年前までは、インド以外で、たとえば南米、中米、アラブ、などといろいろ次の舞台を考えていたが、気がつくとみんな白紙になっていた。むしろインド(周辺国も)以外だったら日本がいいかな。あとはちょっと中国、チベット、でも行かないだろうな。

何でそんなにインドがいいのだろう。たぶんだが、やはり、はじめての海外だったからだと思っている。何も知らなかった人間が、インドで、これでもか、というぐらい刺激を受けて、マインドコントロールされてしまったのだろう。旅はこういうものだ、と知らないうちにインドから植え付けられてしまった。だから「ガンジス河でバタフライ」を見ながら、インドの街と風景と人々が映るたびに、ちょっと泣ける、ぐらいの感動が勝手にやってくる。

これは完全に病気だな。どこかの危ない新興宗教と同じフラッシュバック現象である。

今、少し思っているのは、やっぱり動画はいいな~ということである。もちろんドラマも動画である。次回はコンデジを持っていって、暇なときは動画撮影をしてみたい。

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ドラマ「ガンジス河でバタフライ」を見た

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ドラマ「ガンジス河でバタフライ」を見た。
原作を読んでないし、正直言ってとくに期待していなかったけど、意外なほどおもしろかった。できればもっと長い時間をかけてインドの風景を見たかった。

おもしろかった理由はいろいろある。エキストラのインド人たちによる名(迷)演技がまずよかった。おおげさかで、ありえない設定もたくさんあったが、一つの旅をぎゅっと縮めると、インドはたしかにあんな感じだ。本場インド映画でも、インド人のどたばた劇は誇張して描かれるが、客引きなどに追いかけられてパニックとなった人間の心理からすれば、それも不自然ではない。

主人公のテルコがハイテンションなのもインドではよくあることだ。旅の初心者はインドという訳の分からん世界を前にして、一種の躁状態になる。ずいぶん昔のことだが、僕にもちょっと覚えがある。

インドという厳しい環境を旅するなかで、ふとしたきっかけから心が開放される場面もいい。単純だけど、インドでは誰もが経験することだし、そんな開放があるから旅は強い印象となって記憶に残る。また、そのときに見た風景も忘れられない。

ヴァラナシではなつかしのビシュヌレストハウスが登場した。10年以上昔だが、あそこのドミトリーで長居した経験が何度かある。あまりに暑いので、床にバケツの水をまいたり、猿があらわれたので、オレンジを投げつけて戦ったりと、思い返せばめちゃくちゃな日々だった。ガンジス河で泳いだのもビシュヌレストハウスに泊まっていた頃のこと。

ヴァラナシはドキュメンタリーなどでも紹介されるが、そういった映像が逆に嘘臭かったりする場合がある。それはいったい誰の視点なのかと質問したくなる(僕も一時期、旅の倦怠期にはいって、つまらない写真ばかり撮っていた)。旅行者は客引きに追いかけられたり子供たちと遊んだりしながらガンジス川を眺め、旅を満喫する。主人公を通してインドを見ながら、旅はいいな、インドはいいな、とあらためて感じた。

そしてインドの定番、ガンジス川の彼方からのぼる朝日。何度も見た風景だが、見飽きることはない。上の写真は二年半前のものだが、一年半前にも朝日は見た。それなのにすでに懐かしく、ドラマを見ながら普通に感動してしまった。

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石仏と彼岸花

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ちょっと以前から、気になっていた古い石仏群があったので、散歩がてら写真を撮りにいった。といっても、暗い場所なので三脚持参。

今日はちょっと暑かったためか、蚊に悩まされたが、なかなか楽しい時間をすごせた。本堂の裏手で古びた石仏をずっと眺めていると、なんだか京都に帰ってきたような気分。久しぶりに京都の寺巡りもやりたいが、今年の秋はちょっとむずかしい。いや、ちょっとならできるかな。秋の終わりに…。

彼岸花も寺の境内にあったもの。すでにさかりをすぎているが、寂れていく感じが秋らしくてよい。

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ようやく秋かな(広河原の秋その16)

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(写真はクリックすると大きくなります)(2000年秋撮影)

ようやく涼しくなった。もう大丈夫かな。

ブログのほうでも、しばらく忘れていた「広河原の秋」シリーズを再開。でも、これだけだとおもしろくないような気もするので、インド記事なども、あれば混ぜていきます。

今日の写真は、北岳から下山してふたたび広河原。10月になって秋の気配が強くなってきた。

真ん中の花の写真は個人的に結構好きな感じ。広河原は谷間なので、午後になるとすぐに影になる。そのなかに、青く浮かび上がった花々を撮った。

三枚目の写真、夕方近い時間に眺める、ちょっと濃い感じの秋空も印象的。下界で見る空とはやはり違う。

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