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そろそろ引越し

Ie003Ie004あと10日で引越しすると書いてから一週間、何かとあわただしく、気付けば引越しまであと3日。そんなに遠くに引っ越すわけではないので、特にどうってことはないが、いちおう四年住んだ家である。といっても、うちまるまる一年くらいは旅行生活、ここもやはり仮の宿りであった。特に最近一年ちょっとのあいだは一ヶ月以上の旅行が五回、いくら旅行好きでもちょっと多すぎる。第一、東京で何かをしているという気分がまったくないのには困った。

まあ、そういう次第で東京はいまだ異国である。つまり、馴染んでいない。インドに住みたいとはべつに思っていないが、現状では東京よりインドを歩いているときのほうが明らかに違和感がない。インドから東京に帰ってきて、食事があわずに腹をこわしたりしているのである(ちなみに、インド人が飲んでいる水ぐらいなら、現在はすべて飲んでいるような状況です)。

新しい引越し先では、現地になるべく馴染めるようにと半ば本気で考えたりしています(笑)。というより、まず日本人に馴染む必要があるのかもしれない。ただし、夏にまたちょっと出かける予定(インドではない)があるから、いろいろやってみるのは帰国後に…。とりあえず、少しでも行動範囲を広げるために、まずは自転車でも買おうかな。

ところで、写真は一年前あたりに撮ったある日の夕暮れ。激しい雨のあと、風景全体、空気全体が真っ赤(真黄色?)になった。

6月30日追記
引越し、および、パソコンの交換にともない、3日ほど、メール等の確認が出来ないと思います。ご了承ください。

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インド牛

Usi01Usi02引越しを10日後に控え、なんだかあわただしいです。こういうときは、牛のような気分でのんびりいきたいものですね。それに梅雨でじめじめしているので、明るい写真にしてみました。
左は標高3000メートル、バドリナートの牛。右はヨーガの故郷リシケシの牛。一緒に記念写真を、といっているわりには、男たちがちょっとへっぴり腰なのがかわいいです。

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元祖チャパティー

Chapathi01Chapathi02Chapathi03サドゥーの小屋で食事をいただいた。チャパティーとカレーが一品。カレーは小麦粉を使った「肉もどき」の具を使ったもの。なかなかおいしかったが、写真は元祖チャパティーである。かなり肉厚であるが、これもおいしかった。大地の香りがほのかにただようのは別に気分の問題だけではなく、最後の仕上げにあるのだろう。

アタ(強力粉のようなもの)と水をぐいぐいこねて団子を作り、丸く伸ばして厚手のフライパンで焼くのは通常のとおりだが、八割がた火の通ったチャパティーを、灰に直接置いたり、焼けた木に置き、残り火でじっくりと焼き上げる。これが食堂であったら、一気に直火で焦げ目をつけてしまうのだが、こうして最後に時間をかけることで、世にも香ばしいチャパティーが出来上がる。焦げ具合なんかも絶妙である。

ちなみに、サドゥーの小屋の多くは、その中心に四角い竈を持っている。当然、調理もそこで行われるのだが、そこに燃え盛る炎は神聖なものであり、例えばタバコの灰などを投げ捨てたりすることは絶対にない。竈の火は、とくに使用しない場合にも、静かにくすぶる程度に制御され、長期不在などの場合をのぞけば、夜も昼も燃えつづける。そして出来上がった白い灰はサドゥー自身が体に擦り付けたり、ときおり訪れる客人に下されたりする。写真のチャパティーは、じつはそんな場所で作られたものである。まさに「仙人の食卓」と呼ぶにふさわしい。

ちなみに、サドゥーの小屋で食事をいただき、小屋をあとにする場合には喜捨(ドネーション)を置くのがマナーである。喜捨であるから値段は自由だが、例えば、そんなに裕福でない普通のインド人がチャイだけを飲んで帰るような場合、観察したところでは10ルピーから20ルピー程度の札を置くようである。チャイを普通に飲むと、高くて5ルピーが相場だから、これはなかなかいい金額である。つまり、サドゥーの小屋というのは高級チャイ屋だと考えて間違いない。しかも、こういうところで食事までいただくと、差し出す金額にふと悩んでしまう。例えは悪いかもしれないが、まるでメニューのない高級寿司屋といった趣もあるし、あるいは中世日本の竹林の茶室のようなものだとも想像できる。僕は何度も同じ小屋を訪れる場合は、例えば手土産に果物持参で訪れたりもした。そして最初と最後の訪問の折りにはやはりお金を置くわけである。いくら置いたのか、といったことは秘密である。もちろん、小屋によって、サドゥーによって、金額は同じではない。

話があらぬ方向へ逸れてしまった。いや、別に他に書くこともないかな。一つ付け加えれば、食事やチャイを作るのは主人の役割だが、食べた食器は基本的には食べた人が洗うことになっている。

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ヒマラヤの空

Sora066_1今年のヒマラヤは天気が悪かった。前半二週間はちらほら雨に降られる程度だったが、その後は結構雨つづきだった。雨天や曇天も決して嫌いではないけど、長引くとやはり辛い。出発が二週間遅れたら、結構きつかったかな~、と思う。

雨はきつかったけど、良かったこともたくさんある。とくに印象的だったのは、空を流れていく雲の移り変わりだ。毎日、同じ時間に同じ場所から同じように眺めていても、決して飽きることのない遠い空の世界。白い雲と黒い雲が交差してゆく様子や、ときには雲がクルクルと形を変えて、ふとヒンドゥーの聖なる「オーム」の形を成すこともあった。こうした雲の不可思議な動きは、雨季間近の気流の不規則な流れに加えて、ヒマラヤ高峰の尾根や谷の複雑な地形の影響もある。気流は山々にぶつかるたびに劇的に流れを変えて、思わぬ方向へと散っていく。そうした複雑怪奇な大気の流れはそれぞれ影響を与え合い、あらたな流れを生み出し、止むことがない。

僕は最近、雲がビュンビュン流れていくさまを、何か、今までとは違う目で眺められるようになった気がしないでもない。あるいは、それもサドゥーとの交流の副産物かもしれないが、副産物にしてはとても大きなものだ。サドゥーの写真を撮るんじゃなくて、サドゥーのような意識でそういう自然を捉えられないものか、と何度か思ったりもした。

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chaichaiトップパージの写真を変えました。標高3500メートルシヴァ神の聖地ケダルナートから少し歩いたところにあるベル寺院と、寺院の守り主スミルナート・ババです。スミルナート・ババは寺院のすぐ近くに庵を持ち、そこで一人、28年にわたって住んでいるサドゥーです(もちろん冬は麓まで下りますが…)。彼の庵を4.5回訪れただけですが、今回の旅ではもっとも印象に残る人でした。
あと、chaichaiのサブタイトルを変えました。sauth asian imageだったのをsauth asian soulにしました。たいした変更ではないです。soulは直訳すれば「魂」ですが、最近はインドの古い古い魂の部分を撮っているので、あえてそうしてみました。

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小さなマハトマ

Kedrnath001昨日インドから帰ってきました。すぐに写真のチェックをするのはいつものとおりで、それで一安心。その後、急に旅の疲れが出てきて今もぼんやりしています。心地良い疲れなので、しばらくはそれに浸っていてもいいかな~、なんて思っています。

今回はひたすらサドゥーでした。前回、前々回よりはるかに密着して彼らの写真を撮りました。どうしてサドゥーなのか?という質問を旅の中でも何度か受けましたが、それはまたいずれ書きます。長くなりますから。ただ、15年前に写真を始めたとき、頭の中にあったものはやはりサドゥーでした。でも、写真初心者、インド初心者にとってサドゥーのハードルは非常に高く、すぐに方向転換しました。ただし、自分のインドの写真には何かが欠けている、という意識はずっとどこかにありました。それがサドゥーだったわけです。

サドゥーの写真についてはこれで終わり、ということではないのですが、一応一区切り、ということです。コレクションをしているわけではないので、同じような撮り方では意味はないかな、と。むしろ、彼らとともに居た時間のなかで気付いたいくつかのヒントみたいなものを次の写真に生かしたい、という気持ちが強くなっています。

今回の写真ですが、ヒマラヤ山中、シヴァ神の聖地ケダルナートの寺院前での記念写真です。左端のサドゥーですが、今年の一月にガンガーサガール祭で、小屋に一泊させてくれたナンディーバルティー・ババです。NEUTRAL誌第七号のサドゥー特集にも登場していますし、このブログでも一回登場しました。偶然ここで出会いました。ただ、ガンガーサガールでは全身に灰を塗りたくっていたので、最初は全然分かりませんでした。「何でこいつは執拗に散歩に誘ってくるのだろう?」と不思議に思っていました。なんか、声に聞き覚えがあるな~、などと思いながら…。

左の二人の子供も正真正銘のサドゥーです。二人はそれぞれ別のグル(師匠)がいるのですが、ここで出会って遊び仲間になってしまったようです。こんなに小さなサドゥーはちょっと珍しいので、一部の金持ちインド人観光客たちも、「この子らは本当にマハトマ(サドゥーに対する尊称)なのか?」などと質問していました。彼らの意識の裏には、「学校にも行かせず、サドゥーにしていいのか?」みたいな意識が働いているようでしたが、学校に行かない、あるいは行けない子供なんてインドには珍しくないし、所詮は金持ちの思いつきの偽善、といったところでしょう。小さな二人の子供は、こうした大人たちにも容赦なく金を請求していました。将来はビック・サドゥーになりそうだ。

サドゥーの話は、正直言って尽きることがないぐらいあるのですが、今後のブログでは、過去のインド旅行について、あるいはそれ以外の話題なども取り混ぜて書いていくつもりです。サドゥーは良くも悪くもあくが非常に強いですから、ブログではどうかな~、といったところです。

さて、長くなってしまったので今回はこのへんで。

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ヒマラヤの旅を終えて

二週間強でヤムノートリーからガンゴートリー、ゴームク方面を巡り、再びリシケシに戻ってきました。今回は、旅行前からきつい旅行になりそうだな~、と思っていたので、今はともかくほっとしています。ぎゅうぎゅう詰めのバスでの長い道のりもこれで終わりです。でも、それよりほっとしているのは、さまざまなサドゥーたちとの交流が一段落したことです。

ガンゴートリーでは、昨年ともに旅をした二人のサドゥーが不在で、そのことをヤムノートリーで教えてくれたあるサドゥーを誘って、ゴームク(ガンジス川源流)へ旅をしました。旅ではさまざまなことがありましたが、また一歩、サドゥーの不思議で魅力的な世界に分け入った気がします。正直言って、まだ頭がぼ~っとします。ただ、はっきりと分かったのは、サドゥーの写真を撮って良かった、ということです。

村はずれなどにあるサドゥーの住む小屋(クティア)などから普通の巡礼が歩く雑踏に帰ってくると、心の底から安心するのですが、また一晩寝ると、気がつくと彼らの小屋に足が向いていました。そして疲れたら、山と空を眺めていました。そんな生活がほぼ一ヶ月続いたことになります。

リシケシで二泊、ハリドワールで一泊しますが、もうサドゥーとは付き合いません(笑)。夕方の礼拝(アラーティー)でものんびり眺めてすごそうかな、と思っています。帰国は14日の予定です。旅の詳細などはまた帰国後に。

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