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ガンジス川源流への旅12(源流へひとっ飛び)

trek12aab最近、あまり記事を書いていない。じつは来週からまた旅行に出るため、その準備などもあったが、もう一つ、サドゥーの話題をブログですることに対する迷いがあった。
サドゥーはいうまでもなく非社会的存在である。働かないし家もないし家族もない。じゃあ熱心に信仰の道を歩いているのかというと、じつはそうでもないかもしれない。ちゃんとヨーガをしているサドゥーもいるが、何もしていないサドゥーはもっと多い。では一体なんなんだ、と思われるかもしれないが、じつは大方のインド人もまたそう思っている。サドゥーを尊敬している一般インド人はほとんどいない。サドゥーにたいする一般的な認識は「なまけもの」あるいは「奇人」「クレイジー」といったところ。実際のところ、サドゥーをもてはやすのは西洋人を中心とした一握りの外人だけだ。しかし、そんな外人たちもまた、修行をちゃんとしていてヨーガに熟練しているサドゥーだけが本物、あとはニセモノといった論法でサドゥーを二分している。
では僕はサドゥーをどう思っているのかというと、少なくとも今回は、いわゆる本物もニセモノも関係なかった。一緒に旅行した二人のサドゥーも、うち一人は10年以上の修行経験を持つが、もう一人はいわゆる支度僧、つまり勝手に袈裟を着込んで、ハイ、サドゥーです、の類であった。当然ヨーガも出来ないし、難しいマントラを唱えたりする訳ではない。じゃあ彼はサドゥーではないかというとそんなことはない。彼はサドゥーとして35年、インド中を旅行してきたし、チベットのカイラスへの巡礼さえしている。その旅行歴でほかの若いサドゥーから尊敬すらされていたが、彼の魅力はそれだけでなかった。普段は隠していたが、彼は優しかったし信仰心もあった。それに人徳のようなものもあった。それがどういうものかは簡単には書けないから書かないが、彼はそれをやっぱりどこかで隠していた。
隠していたことを強調したのは、じつはそれは彼だけではなく、ほかのサドゥーもまた、何かを隠しているような気がするからだ。サドゥーが奇人として扱われるのも、じつは彼らがそう思われるように仕向けている。仕向けている、といってもそれは個人個人のレベルではなく、サドゥーとしての長い伝統の上に続く秘密主義であり、集団としての意思でもあるようだ。ただ、集団といっても特にまとまったものを持っているわけでもないから、それはサドゥー文化の底流を流れる深層心理のようなものだと思う。
サドゥーの話題をブログですることに迷いがあると最初に書いた。ブログというのは一般的に日記やリポートなどに使われることが多く、僕自身も気軽な話題をする場であると思っている。そこにサドゥーが隠し持つ世界観の話をするのはやはり似合わないような気がする。それにサドゥーの生活に踏み込むと、僕自身の考えや生活をぐちゃぐちゃ書かなければいけなくなる。サドゥーではないが、僕もいろいろ隠しておきたいことがある(笑)。
というわけで、「ガンジス川源流への旅」シリーズは、非常に中途半端だが、ここで終わりにしようかと思っています。踏み込んだものではなく、ちょこちょこと話題にすることはあるとは思いますが…。

最初の写真について、ガンゴートリーから一日歩いたボジバーサという場所のアシュラム前。アシュラム内はタバコおよび大麻禁止なので、サドゥー連中はゲートの前に集まり、夕暮れの神秘的な時間を静かに過ごしていた。右手前、黒い服のおじさんと、左奥、石段の上に腰を下ろしている男が一緒に旅をしたサドゥー。この地点から3キロ先がガンジス川源流になる。そうだ、源流の写真ぐらいは掲載しておこう。
gomk01モンスーンの雨雲が光をさえぎり、なんだか恐ろしい雰囲気。神が住むというより悪魔が住むといった感じだ。正面の岩はじつはすべて氷河。ちょっと昔はこの地点から源流が見えたが、今は氷河が崩れ落ち、さらに右に回りこんだ場所に源流の穴がある。温暖化の影響もあるらしく、現在は年々後退している。崖の背後に光る雪山はバギーラタ連峰(6860メートル)。バギーラタとは、ガンジス川が宇宙から降りてきてくれるように願い、苦行した聖人の名前にちなんだもの。この山が牛の顔に似ていて、その口からガンジス川が流れ出ているように見えるところから、ガンジス川源流のことを、牛の口を意味するゴームク、と呼んでいる。なお、ガンゴートリーから先の山中には寺らしきものは何もない。サドゥーたちの話によると、この自然の景観こそが、神々が住まう本物の神殿なのだという。

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コメント

>僕自身の考えや生活をぐちゃぐちゃ書かなければいけなくなる。
いつか読んでみたいものです(笑)
サドゥーはいいですよね、ハートの柔らかささえあれば、言葉はいらないことを、あるサドゥーから学びました。
来週から旅行ですか、インド以外の地ですか? 気をつけて。いってらっしゃい!

投稿: 南方シコオ | 2005.09.28 00:25

いつかは考えや生活をぐちゃぐちゃ書くときもあるのかな…(笑)
でもどちらかというと、写真でそんなものを表現できたら、と思っています。サドゥーもたいしたことは言いませんね。シヴァの伝説ばかりしゃべっていました。
次の行き先はネパールなんです。旧街道を歩く旅です。それでは行ってきます!

投稿: 柴田 | 2005.09.28 02:40

「ガンジス河でバタフライ」はしませんでしたが、頭のてっぺんまで潜った後、3日後には頭のてっぺんから足の先まで全身に細かい発疹が噴出し、インドの病院に運ばれたことを思い出しました。信仰厚いヒンドゥーのインテリから水質講義をされ「二度とするな」と沐浴を叱られ、驚いたっけ・・・。柴田さんの写真はどうしてこんなに透明感があるのでしょうか。

投稿: sansar.m | 2007.10.06 00:57

病院に運ばれるって、かなりですね。ガンジスの水は腐らないはずなのに(笑)

昔、何度かヴァラナシで泳ぎました。最初のぬるっとした感触が微妙な感じでしたね~。一応、大丈夫だったようです。

昨日「ガンジス河でバタフライ」見ました。時代が変わっても、みんな初めてのインドで同じような目にあうんですね。結構おもしろかったです。

投稿: 柴田 | 2007.10.06 13:20

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