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ガンジス川源流への旅2(もう一つの岸辺)

2005india03sadhuハリドワールには二つの顔があった。二つの顔は、ガンジス川をはさんで対照的な表情を見せていた。ハリドワールの名物であるアラティー(夕暮れの礼拝)はいわゆる表の世界を代表するもので、これが行われるガート沿いの岸辺に街が広がっている。反対に、ガンジス川をはさんだ対岸にはたいしたものはほとんどない。簡素なガートがあり、薄汚い緑地が少しあるだけ。少し下流にホテルが一軒あった記憶があるが、食堂は一軒もなかった。寺やアシュラムといった宗教施設も見当たらない。これがシーズンオフなら何の記憶にも残らなかったかもしれないが、5月から6月にかけては事情が違ってくる。この対岸の岸辺は、怪しげな人々の憩いの場としての強い存在感を漂わせる。
この岸辺に集まってくる人々というのは、その多くがサドゥー、流浪者、乞食、大道芸人、そしてその他もろもろの得体の知れない連中であった。なかには緑地に簡単な小屋掛けをして、小さな畑まで作って長期滞在を決め込む集団さえあった。全体的に人相はあまりよろしくないが、かといってここは特に危険な場所でもないし、誰かが威張っているといった雰囲気もまるでない。逆にどんな人であっても受け入れてもらえそうな自由な空気すら感じる。とはいっても場の中心となる存在がいないわけではない。なかでもナガサドゥーと呼ばれる人々の存在感が圧倒的だ。
ふんどし一枚の裸体に灰を塗りたくった姿はかなり迫力がある。しかも彼らはヨーガの奥義を極めている。大物だと、周囲に世話を焼く付け人やチェーラ(弟子)、信奉者などが集まってきている。写真のナガサドゥーもその一人で、「Sadhu」という有名な写真集の表紙にもなっている。僕も何となくそれを記憶していて、会ったときに、あれっと思ったぐらいだ。親分肌だがとてもいい人で、「ちょっと見せてやる」といって、夕暮れのガンジス川を背景にいろいろなヨーガをしてくれた。ちょっと危ない珍芸も見せてもらえたので、その写真は次回にでも紹介したい。
今回の写真だが、ご覧のとおり大麻を吸っている。大麻はインドでも一応禁止されているが、サドゥーの世界は治外法権、まるで問題にはならない(長くなったので続きは次回ということで…)。

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