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ガンジス川源流への旅3(サドゥーになる理由)

2005india04sadhu前回のブログで、次回はナガサドゥーの珍芸を、と書いたが、二回連続して同じ人の写真もどうかと思い、別の人の写真にした。といっても、今回の写真は前回のサドゥーのチェーラ、つまり弟子であり、彼も当然ナガサドゥーである。師匠(グル)のほうは、酸いも甘いも知った裏社会の親分みたいな存在だったが、弟子のほうは飄々とした立ち居振る舞いがちょっと変わっていて、もしかするとかなりの変人かもしれない。ただ、ナガサドゥーという存在自体がすでに変人の領域にあるわけで、彼らに常識を求めるほうがよほどおかしい。
ところで、どうして人はサドゥーになるのだろう?教科書的な説明では、リタイアした人が余生を真理の探究に捧げるため、などとあるが、見たところそうした人はむしろ少ない。サドゥーに過去を聞くのは軽いタブーなのでほとんど聞かなかったが、ある若いサドゥーの答えは明快だった。というのは、彼のお母さんが、彼がまだ5歳ぐらいのときに、あるサドゥーへ譲り渡したのだという。彼はそれを、「ギフト」と言った。どうして自分の子供を「ギフト」にしたのかは分からない。信仰心、とも考えられるが、むしろ、貧しさから、と考えるほうが自然だ。子供を作りすぎてしまう夫婦などインドでは珍しくないだろう。
また、多くのサドゥーが不可殖民出身であることも知られている。そうした人々の多くもまた、貧しさから抜け出すためにサドゥーになったのだろう。貧しさ以外の理由で有力なのは体の障害である。ガンゴートリーで知り合ったあるサドゥーがそうであったし、他にもそういったサドゥーを多く目にした。いずれにしても、豊かな階層のインド人が若いうちにサドゥーになるようなことはほとんどない。サドゥーはサドゥーになる以前から、社会のはみ出し者であった。もちろんサドゥーになってもそれは変わらない。ただ、変わらないにしても、それは昔のままではない。どう変わったのか、というのがとても興味深いのだが、それは「ガンジス川源流への旅」シリーズを通して書いていきたい。サドゥー、サドゥーといったところで、皆が一緒というわけではないだろうから。
「ガンジス川源流への旅」は第三回にしてすでに二回、サドゥーが登場してしまった。ちょっと多すぎる気もするが、今回の旅は彼らとの付き合いがメインだったのだから仕方がない。どうしてサドゥーだったのか、いろいろな理由が考えられるが、一番大きな理由は僕が彼らに親しみを抱いているからだ。10年以上もインドを歩いてきたのもじつはサドゥーという存在があったからかもしれない、と最近になって思い知った。

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ガンジス川源流への旅2(もう一つの岸辺)

2005india03sadhuハリドワールには二つの顔があった。二つの顔は、ガンジス川をはさんで対照的な表情を見せていた。ハリドワールの名物であるアラティー(夕暮れの礼拝)はいわゆる表の世界を代表するもので、これが行われるガート沿いの岸辺に街が広がっている。反対に、ガンジス川をはさんだ対岸にはたいしたものはほとんどない。簡素なガートがあり、薄汚い緑地が少しあるだけ。少し下流にホテルが一軒あった記憶があるが、食堂は一軒もなかった。寺やアシュラムといった宗教施設も見当たらない。これがシーズンオフなら何の記憶にも残らなかったかもしれないが、5月から6月にかけては事情が違ってくる。この対岸の岸辺は、怪しげな人々の憩いの場としての強い存在感を漂わせる。
この岸辺に集まってくる人々というのは、その多くがサドゥー、流浪者、乞食、大道芸人、そしてその他もろもろの得体の知れない連中であった。なかには緑地に簡単な小屋掛けをして、小さな畑まで作って長期滞在を決め込む集団さえあった。全体的に人相はあまりよろしくないが、かといってここは特に危険な場所でもないし、誰かが威張っているといった雰囲気もまるでない。逆にどんな人であっても受け入れてもらえそうな自由な空気すら感じる。とはいっても場の中心となる存在がいないわけではない。なかでもナガサドゥーと呼ばれる人々の存在感が圧倒的だ。
ふんどし一枚の裸体に灰を塗りたくった姿はかなり迫力がある。しかも彼らはヨーガの奥義を極めている。大物だと、周囲に世話を焼く付け人やチェーラ(弟子)、信奉者などが集まってきている。写真のナガサドゥーもその一人で、「Sadhu」という有名な写真集の表紙にもなっている。僕も何となくそれを記憶していて、会ったときに、あれっと思ったぐらいだ。親分肌だがとてもいい人で、「ちょっと見せてやる」といって、夕暮れのガンジス川を背景にいろいろなヨーガをしてくれた。ちょっと危ない珍芸も見せてもらえたので、その写真は次回にでも紹介したい。
今回の写真だが、ご覧のとおり大麻を吸っている。大麻はインドでも一応禁止されているが、サドゥーの世界は治外法権、まるで問題にはならない(長くなったので続きは次回ということで…)。

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ガンジス川源流への旅1(ハリドワール)

2005india02haridwarガンジス川(ガンガー)源流への旅の出発点はハリドワールである。外国人の多くはその少し上流のリシケシを目指すが、ハリドワールのパワーあふれる魅力はリシケシの比ではない。特に5月、6月は、インド中からあらゆる階層の巡礼たちがやってきて、街は異様な熱気に包まれる。ハリドワールのパワーはヴァラナシにもひけをとらない。ヴァラナシが「死の街」だとすれば、ハリドワールは「生きとし生ける人間の街」、その魅力については次回から書いていきたい。
ところで、ハリドワールとは「神の門」を意味している。ハリドワールの両側にある山がヒマラヤ山地の最前線というわけで、どちらにも女神がまつられている。ハリドワールの上流は「聖なる世界」、反対に下流は「俗なる世界」というわけだが、それではハリドワール自体は「聖なる世界」と「俗なる世界」のどちらなのか?
思うに、ハリドワールはそれら全ての混じりあう混沌とした世界なのだ。それは単に言葉の上だけでなくて、現実においてもそうだった。それを全身全霊で感じることが出来たことが、今回の旅の一番の収穫だったと言える。ハリドワールでの最初の四日間がなければ、そのあとの出会いもなかったかもしれない。
掲載した写真は葉っぱのお盆にのせた灯明をガンジス川に流そうとする家族。夕暮れのガートでは、こんな風景が数多く見られる。まるで日本の「お盆」のよう…。

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とりあえず、「2005年夏ガンジス川源流への旅」をはじめます。でも、これはかなり長くなりそうなので、近いうちに、これと平行して「2005年夏デカン高原の旅」もはじめようかと。少なくとも、今年はもうインドへは(ここを強調…)行きませんから、この二つのテーマでのんびりやっていけそうです。

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インドから帰国しました

2005india01usi牛様の国から昨日の夜に帰国しました。いつも思うのですが、この帰国の飛行機移動というのが意外と辛いですね。しかもデリーの空港では、手荷物検査をするだけで、何と一時間待ちの長蛇の列。確かに3時間前のチェックインは重要です。
ガンジス川源流の旅のあと、さんざん思い悩んだ挙句、デカン高原を旅してきました。オルチャとマンドゥー、どちらも静かな村に遺跡が点在するような場所です。シャンティーを求めて行ったのですが、それでおさまる国ではないですね。なんと水牛に襲われそうになりました。
旅は良かったです。雨で意外と涼しいし、なにより風景がきれいでツーリストも少ない、しかもマンゴーがうまいというおまけ付きです。写真はこれからまとめていくので、またゆっくりと、このブログで報告していく予定です。

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