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ガンガーのほとりで

varanasigirlvaranasibaramonヴァラナシ、ガンガー(ガンジス川)ほとりの二つの光景を紹介したい。まず左の少女。精霊流しのための花の皿を作っている。ここに火を点し、夕暮れのガンガーへ解き放つのがヴァラナシの古くからの風習である。それはともかく、おもしろいのは少女の座り姿、人間というよりまるで鳥である。止まり木の上でバランスをとるかのような少女の姿は、どことなくヨーガのポーズのようでもある。このような座り方は北インドでは普通で、僕もよくするが、南インドではあまり一般的ではなく、それは下層民のポーズだ、と注意を受けたこともある。まあ、下層民でも鳥でも何でもかまわないが、僕としてはこうしたポーズでいることによって、大切な被写体である下層民の心を掴みたい、といった狙いもある。すべての始まりは物まねから、ということで、インド人もやはり、鳥への変身願望でもあるのかもしれない。出来れば一緒に鳥にしてほしいところだが、さて次は右の写真。
パンツ一枚のおじいさんは、歯磨きしながら足を洗っている。口にくわえているのはただの歯ブラシではなく、ニームという木の枝であり、古代から歯磨き棒として使われているものだそうだ。田舎ではまだまだこれが一般的、何かの作業をしながら木の枝でガシガシやっているのが何となく原始的だ。それにしても、おじさんの頭、髪の毛の残りぐらいがちょっと奇妙…。すべてはあるがままに、ということか。インドでは、鼻毛や耳毛がぶわぶわ出ている人なんかもいてはじめは驚くが、慣れてくるとそれはそれかな、と思えてくる。もちろん、みんながそういうわけではない。他人がやっていることをあまり気にかけないのがインド風。勝手にやってくれ、といった放任主義が横行している。それでも最近は、経済急成長のお陰でちょっと小うるさい人間が増えたような気もする。とはいえ、10億の民のなかではそれも少数派。ところで、写真のおじいさんはこれでもバラモンだ。肩にまいている聖紐がその証である。

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インド旅写真

varanasiyoruvaranasiasa相変わらず、ちょっと外したような写真をちょこちょこ探しては、ブログで発表している。ブログだからこの程度の写真を、という意味ではなく、そんな写真の中にこそ、忘れられた旅の断片が埋もれているのではないか、という期待からである。何となく撮った写真というのは、逆に言うと、何かしらの内面的な理由があるのかもしれない。でも、それは本来、言葉には還元出来ないもの。もやもやとしたものが色と形になってあらわれてくるのが魔法のようでたまらない。
一応写真の説明を。両方ともヴァラナシである。左は夜のバザール。バザールの賑わいはいろいろあるが、ヴァラナシの賑わいは一種独特、言い知れない空気がただよっている。次に右の写真。これは早朝のガンガー(ガンジス川)のボート屋さん。インド人の顔というのは人にもよるが、何というか、見ていてほっとさせられる。一緒にいても、僕は何も構えない。自然な気持ちでいられる。彼らが格好をつけないから、こっちも自然体でいられる。…おじさんの顔を見ていて、そんな考えがよぎっていったところをふと写真に撮った。

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たった2ルピーの贅沢

varanasichaiこんなさりげない写真が結構好きです。市井の人々、といった感じかな。ところはヴァラナシの路地裏にある小さなチャイ屋、ちょっと小便臭いが、こんなところでちょこっと座り、素焼きのカップに入ったチャイを飲むのがちょっとした楽しみになっている。一杯2ルピー、日本円で約5円。これぐらいだと、地元の人にとってもたいした贅沢ではないだろう。日本でいえば、ドトールで一服、という感じかもしれないが、狭い室内で周囲に気を使いながらコーヒーをすするよりも、こっちのほうがのんびりできる。路地を行き交う人や動物を眺めながら人々の会話に耳をかたむけよう。たった2ルピーの最高の贅沢だね。思い出していると気分が良くなったので、さらに写真をもう一枚!

varanasichai20ちょっと分かりにくいが、これはシヴァリンガ。同じくヴァラナシの路地裏である。葉っぱや花、それに赤い色粉で飾られた姿がさりげなく美しい。こうした神様の世話は、そのへんに住む人々がめいめいするわけだが、彩りがあるものだから、世話をする人間もまた、ちょっとした幸せな気分になれそうだ。

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インド乞食道(こじきみち)

kojiki01気がつくと、ブログが薄気味悪いくらいに静まり返っている。インドのブログとは思えない。ここ三回ほどインド人の顔が全然登場していないのが原因だ。シャンティー(静けさの意)もたまにはいいが、そればかり続いては極めて退屈。というわけで、今回は一転、乞食の話題、しかも写真は三点掲載!
プリーの街をぶらついていると、一人の乞食の子供が「バクシーシ、バクシーシ(金、金)!」とまとわりついてきた。僕は子供には一切お金を渡さない主義だから、まずは無視するつもりだったが、子供のふてぶてしい目付きに惹かれ、ふとした弾みで写真を撮ってしまった。問題はそのあとで、さてお金はどうしたものかと一瞬考えていると、この様子を見ていた仲間の子供たちがワラワラと集まってきてしまった。おっとこれはまずい、と逃げようと思ったが、すでに取り囲まれて身動きできない。しかし、子供たちの要求というのは、予想に反して、ただ「フォト、フォト!」ということで、さらに記念写真を撮る羽目になった。

kojiki02子供たちを整列させていると、後ろから一人のおじさんが。彼もまた乞食である。街の真ん中で乞食の記念写真を撮るというのはさすがに体裁は悪いが、周囲が気にしている様子はあまりない。子供たちは、さっきまで、「お腹が空いて、死にそうだ~」と演技していたのをすっかり忘れ、生き生きとしている。みんなで記念撮影、なんていうことは、初めてに違いない。でも、インドほど乞食が街中ではしゃいでいる国というのは、ほかにないだろうな。

kojiki03何とか記念写真を撮り終え街をぶらついていると、またさっきの子供に出会った。はっきり言って、インドの乞食は疲れ知らずで、むちゃくちゃしつこい。だから子供の乞食にはお金を渡さないのだが、今回はすでに写真も撮った訳だし、あまり知らん顔も出来ないな、と一枚だけ、と写真を撮っていると、右端からまた一人、子供が飛び出してきた。結局、最後は「マネー、マネー」としつこく迫られ、逃げ切るのに5分を要してしまった。まあ自業自得である。
しかしあとで写真を見ると、どれも悪い出来ではない。子供の後ろから野良牛が迫りくる様子など、インド以外ではまず見られない。まさに野良天国、同じ野良仲間である旅行者にとってもたまらない世界ですね。
(この記事は、乞食を揶揄するために書いたのではないことをご理解ください。僕にとっては金持ちも乞食もたいして変わるものではない。どちらも魅力的でおもしろい、ということです)

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プリーの浜辺

puri05今回のインド旅行で一番気に入ったのがプリー。15年前、初めての海外旅行、そして初めてのインド旅行でも、言い知れない安らぎを感じた場所でもあった。
プリーの魅力はやはり広大な砂浜。砂漠と勘違いするような砂場が、何キロも何キロも続いている。東側には巨大な漁村が広がり、西側はインド人用の保養地となっているが、いくら人が押し寄せたところでなんということもないぐらいにだだっ広い。絶えず吹き抜ける風が砂を巻き上げ、風景全体を、何となく黄色い色に染まっているのが幻想的だ。漁村近くの浜辺にピンクハウスという雰囲気のいいレストランがあるので、そこでひたすら座り続けるのもいいかもしれない。雰囲気のいい音楽が流れているし、ふとそれが止まると、今度は潮騒の音が聞こえてくる。プリーはとてもいいところ、また来たいな…。
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chaichaiのトップページにもプリーの写真を採用しました。こちらは漁村の真っ只中。

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市電の走る街カルカッタ

tram01カルカッタの夜は暗い。赤い色の街灯が、ポツリポツリとあるだけで、あとは店の明かりだけ。別に治安は悪くはないが、何となく怪しい空気がただよう。街のそこかしこには乞食や浮浪者の姿、…そして野良犬が暗い路地を走っていく。小さな明かりを点して、客と話し込む占い師の姿、公園の隅には大きなドブネズミ。いい街だね~、と旅情に浸っていると、となりを、市電がガタガタいいながら走ってきた。カルカッタの乗り物としてはあまり込んでいない車内から、インド人の大きな目がいくつも覗いていて、やがて通り過ぎていく。
市電の走る街カルカッタ、インドの中では特別に抒情あふれる不思議な街だ。特に夕暮れから夜がいいが、じつは早朝も捨てがたい。空港から街へ向かうタクシーからの眺めもなかなかショッキングで、インドがはじめての人には特におすすめ。忘れられない旅になるだろう。
ちなみに、僕はムンバイー(当時のボンベイ)が最初だった。あの街は空港のすぐそばに巨大なスラムがあり、空港バスも、そのすぐそばを走っていく。あのときはちょうど早朝のトイレタイムで、男たちが斜面に腰を下ろし、走る車をにらみながら、大便をしている様が恐かった。このときは海外旅行自体が初めてで、これはとんでもない世界に来たものだと、ひどく後悔した記憶が…。

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ナイトオンザプラネット in india

kolkata1以前、「ナイトオンザプラネット」という映画をビデオで見た記憶がある。世界のいくつかの町のタクシードライバーを主役に、夜の街のふとした情景を描いたもので、なかなか良かった。
タクシーに乗る、という行為はどこか非現実めいていて、不思議な気分がする。旅行先でも、旅の最後、空港へ向かうときなどは、ちょっと贅沢をしてでもタクシーを使いたい。夜の街を流れていく無数のライトを見ながら異国の街を走っていると、ふと自分が夢の世界を旅していたような気分になる。見慣れた外国の風景が、また遠ざかっていくような錯覚を覚えるときでもある。
ところでインドのタクシーについてだが、思わぬ失敗をすることがある。というのは、ドライバーがものすごくおしゃべりであったりして、雰囲気をぶち壊してしまうのだ。これはこれでインドらしいともいえるが、旅の最後ぐらいは、旅情に浸らしてほしい。
写真の風景はカルカッタである。オリッサから夜行列車で夜明け時のハウラー駅に到着し、タクシーをつかまえて街へ向かうところ。目の前に見えるのはフーグリー川を結ぶ巨大なハウラー橋だ。刻々と変わる空の色を見ながら、車のほとんどいない早朝のカルカッタを走るのは気持ちいい。ちなみにこのときのドライバーはターバンを巻いたシク教徒の若者で、ぽつぽつと話す様子がなかなか良かった。
話の内容も面白かった。彼は以前車に乗せた日本人のある女の子に一目惚れしてしまったそうで、忘れられない、と繰り返していた。それは一度きりの出会いであり、その後は日本人を見るたびに思い出の中に沈むのだそうだ。まさに「ナイトオンザプラネット in india」…。

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盗賊たちは山を越えてやってくる

rajgil01rajgil02前回につづいてラージギールの写真です。
ラージギールの危険については前回書いた。トラブルの多くは山中に点在するブッダゆかりの場所で起こるようだが、犯人はラージギールの人ではないらしい。ある人の話によると、盗賊たちはラージギールを取り囲む山々の向こうからやってくる。犯罪はたいてい早朝に行われるから、盗賊たちは、夜を徹して山を越え、居合わした観光客を襲って、早々と自分たちの住処へと帰っていくのだろう。インドには、今も盗賊の村、とされる場所がいくつも存在するようだから、ここへやってくる人々もそうした連中なのかもしれない。そう思って見ていると、ラージギールの山々が、さらにまた神秘的な様相を帯びてくる。なんだか、はるか昔の戦国時代を旅しているようだ。
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ちなみに、一枚目の写真は、バザール近くから南西方面にそびえる山、二枚目の写真は、ブッダが説法をしたという霊鷲山(グリッダクータ)へ向かう途中にあるゲート。

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聖地ラージギールの印象

indosyokudouビハール州、ラージギールのバザールにある裏寂れた食堂。裏寂れた、といっても、町中、裏寂れていないところを探すほうが難しいくらい、素朴な街だ。ブッダが長いあいだ暮らしていた場所として知られるが、今はインドでもっとも貧しい地域の中にある。治安もあまり良くない。日本から来た巡礼グループが山の中で襲撃されたこともあったそうだ。襲われたお坊さんは、仏教の聖地でこんなことになるなんて、と怒って、お参りもしないで帰ってしまったという。
とはいえ、この周辺は、インドでもっとも抒情的な場所の一つである。ボロを着た人々とともに平原を歩き、夕陽を眺めていると、ラージギールこそがインドのどん詰まりだ、という変な感動を覚える。じつは14年前にもここに来たことがあり、いろいろなことがあった街でもあるが、久しぶりに訪れても印象は色あせない。
写真の食堂では二度、夕食を食べた。簡単なターリーだけの店だが、味はおいしい。写真の子供は学校にも行かずに働いているようだが、驚くぐらいに素直な性格…。ビハールは、粗雑で横暴な人間がいっぱいいる一方で、じつはとても優しい人々が多く暮らす土地でもある。
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ところでこの写真、とても暗い場所だったのでデジタルカメラの感度を1600に設定して撮影した。かなりざらついているので紙印刷では苦しいが、ウェブならそれほど気にならない。フィルムを使っていた頃は、いちいち感度の違うフィルムに入れ替えるわけにはいかないので、あきらめていたような状況で、気軽にスナップが出来る。不便なところもまだまだあるが、とにかくいろんな状況を撮りたい、という人にはデジタルカメラは強い武器になる。あとは、周辺機器も含めて、ともかくもっと頑丈であってくれれば言うことはない。
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昔ラージギールを歩いたときのことはこちらに書きました。

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楽園ガルタで一休み

monkee02galtausiまたもや動物の写真です。デリーの西、砂漠の入口に位置するジャイプールの郊外に、ガルタという小さな谷間がある。古い寺がいくつか点在し、すぐ近くにまで岩山が迫っている。だいぶ以前に行ったことがあり、いいところだなあ、と思った記憶があった。
街から一度岩山を上り、そこから小さな谷間に下りてくると、そこは猿の楽園。お隣のウッタルプラデーシュ州とは違い、ラジャスターンの猿はおとなしいのでのんびりできる。カメラを向けても威嚇してこない…。
ガルタにはいくつも古い寺があり、そこでのんびりと神様の姿を拝むのも楽しい。宿坊もあるようだから、望めば日がな一日、浮世離れした生活も可能だ。近くには、かの有名な、ヴィパサナーの瞑想道場もあるらしい。ここの特色は、滞在期間中、決して誰とも話さしてはいけない、というルールがあることだ。滞在は最低10日からというから、僕にはまず不可能だが。体験した人の話を一度聞いたが、とても心がきれいになったそうだ(?)。
ヴィパサナーにかぎらず、インドには無数の瞑想道場や巡礼宿があるから、人生にちょっと疲れた人にはぴったりのところだ。巡礼路にはとくに動物の姿(恐いのもいるが…)も多いし、ときにはうるさいインド人も、考えようによっては、とてもフレンドリー、ということになるのかも。どこにいってもお金があまり必要ないのもいいところ。インド人と一緒に巡礼路を歩けば、宿も食事もバクシーシ(ドネーションつまり喜捨)、という世界がまだまだ結構ある。しかも寺の食事はレストランのものよりずっとおいしく健康的。僕自身はカメラ機材を持っての旅だから、巡礼宿には泊まらないが、食事は三食、(お金を出すから)寺で食べたい。
ガルタのことから、話は逸れてしまったが、もともとたいした話でもないので。ガルタはとてもいいところ、ジャイプールに来た折には是非時間を作って訪れてほしい。シャンティー(静か)な場所はどこもそうだが、夕方がおすすめだ。

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ガンガー対岸は夕暮れていく…

houseandc旅行中の写真を見ていたら、こんな写真がふと気になった。
ヴァラナシの街からガンガー(ガンジス川)を渡った対岸で見かけた馬と少年。馬の、ちょっとウルウルした瞳が魅力的だ。彼らの背景もとてもいい。人っ子一人いない広々とした河原がどこまでも続いていく。そして大地を包み込む夕暮れの光は、人のこわばった気持ちを自然と解きほぐしていくようだ。
少し離れたところでは、何人かの男たちがヒンドゥースクワットなどのトレーニングを黙々とやっていた。その隣では、何故か片足を上げ、一本足でたって瞑想している人がいる。夕方の光がヴァラナシの街の向こうへと沈んでいくのを見ながら、何人かの男たちがひっそりと祈りを捧げる。風にのって、夕方のラーガ(祈りの旋律)が聞こえてくるようだ。なんだかとても気分がいい。こんなところで朝日夕日を眺めるだけの人生も悪くないなあ、なんていう奇妙な気持ちになってくる…。

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インドの自然公園

animal10インドはじつは野生動物の宝庫である。デリーから数時間ぐらいバスで走れば、いくつも野生動物が見られる自然公園がある。その一つ、ケオラデオ・ガナ国立公園に行ってきた。
じつはこうした場所に来るのは初めてだった。なんとなくお金がかかりそうだ、というイメージがあったのと、何よりも動物を撮るだけの機材がなかったからだ。今回は取材目的だったから、来ないわけにはいかなかったのだが、これがなかなか良かった。
国立公園近くのゲストハウスに一泊して、次の朝、自転車に乗って、一番乗りで公園にはいった。人のいない大自然の中を、動物たちの気配がいくつもよぎっていく。ここは基本的に渡り鳥で有名な場所だが、いくつかの動物も身近で見られた。何故か牛が多いのはさすがにインドらしいが、狐や鹿の姿もあった。写真の動物は鹿の一種だろうか。鳥では、日本でも見られるが、カワセミの姿が印象的だった。ほかには鷹や白鷺、木々にはリスの姿…。田舎に行けば、バスからでも見られるような動物が多かったが、十分に楽しかった。時間が全然なかったのが残念だったが、もし許されるなら二、三日はうろうろしたいところだ。もし近くに来られる人がいたら、是非おすすめしたい。何より自転車でぶらっと回れるのが気軽でいいし、安上がりでもある。
これがきっかけ、という訳でもないのだが、最近、インドの自然に非常に惹かれるものがある。もし可能なら、どこかの辺境の自然公園で、日がな一日、動物写真でも撮りたいものだ。そしてたまには、近所の先住民の村や定期市、古代の寺院なんかをうろつくのが面白そうだ。デカン高原あたりなら、そういった欲求を満たす、いくつかの場所もあるようだから、実現不可能というわけではない。問題は機材調達ということになる訳だが、ささやかな夢としては悪くない。

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インドの街から牛がいなくなる…

puricow01写真はベンガル湾に面する街プリー、巨大なジャガンナート寺院の周りを、礼儀正しく時計回りに歩く牛と人々の姿である。インドのどこにでもある、ありふれた光景だが、もし仮に、こんな風景がインド中から消えてしまったら、と想像してみた。
じつは昨日だか一昨日だかに、朝のニュースで、ニューデリーの野良牛の話題を放送しているのを見てしまった。ニューデリーでは、増えすぎてしまった野良牛を一網打尽に捕獲するという行動に打って出たそうだ。捕獲した牛は競売にかけて、各地の農場に送り込むようだが、野良牛たちが何の役にたつのかは不明である。ヒンドゥー教徒の多いインドでは、たとえ牛が売れなかったとしても殺されるようなことはありえない。売れ残った牛たちが再び街に戻ってくる日があったら面白い。
まあ、インドにはインドの事情があるわけだから、僕にとってはどっちでもいいことだ。首都が牛だらけでは、ほかに顔向けできない、と考えるインド人だっていてもおかしくない。ただ、ニュースのアナウンサーが、甲高い声で「ゴミ場を荒らすようですから当然です!」と発言していたのは、ものすごく不快だった。いったいこの男、インドの何を知っているというのか?インドをゴミだらけにしているのはむしろ人間のほうである。もし捕獲するというなら、インド人の大多数を農場送りにする必要があるだろう。
世界にはいろんな価値観があるということを、このアナウンサーは理解していない。インドには、野良牛のあとをつけまわしてその糞を拾い、かまどの燃料やら家の壁やらに使用している人だっている。あるいは、野良牛の糞に火をつけ、その煙の中で祈りの時間(とき)を過ごす修行僧だっている。野良牛と人間の関係は決して一方的なものではない。それにこの大地は、人間のためだけにあるわけではない。牛には牛の自由がある。ホームページのほうでも書いたことだが、インドの神様は人間よりもときに動物を大切にしてきたという経緯がある。インドの神様は、と書いたが、その神様の性格を作り上げ、描き出していったのも、やはり人間自身ではなかったのか。
インド中の街から野良牛が消える日があるとしたら…、もはや地球を捨てて違う星に行くしかないな。
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「動物と神様とインド人」

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十四年ぶり

senavillage15b写真は、お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤ、子供の背後、からからに乾いた川の向こうに大塔が見える。この地を訪れたのは、じつに十四年ぶり二回目ということになる。十四年前、というと、もうひと昔前のような気がするが、実際、当時のことはあまり覚えていない。日本語を話すうっとうしいインド人が多かったこと、前正覚山という、平原のはるか彼方にある山のふもとまで歩いたこと、それと、信じられないくらいのボロ宿に泊まっていたことなどが思い出される。
宿泊していた安宿は、当時のお金でたったの10ルピーであった。日本円でざっと70円といったところだが、何とシングルルームであった。とはいえ、その実態は、土の床、南京虫の這うベットが一つ、鉄格子がはめられ、ガラスのない窓が一つあるだけ。共同バスルームには巨大なドラム缶が一つあり、中にちょっとぬるっとした感触の水が入っていた。宿は美しい林の中にあったのだが、問題は大量に発生する蚊であった。ガラスのはめられていない窓は何の役にもたたない。結局、持っていた蚊取り線香をいくつにも折り、全部に火をつけ、大量の煙で何とかしのごうとしたのだが、蚊取り線香は一時間ともたないから、夜中に何度も起きては、また火をつけた。今から考えると、どうしてこんな宿を選んだのかと思う。でも、当時の僕の気持ちとしては、インドには冒険に来たのであり、これくらいは当然と思っていたようである。
十四年ぶりのブッダガヤはなかなか穏やかだった。悪徳インド人はむしろ減ってしまったのかもしれない。十四年前に泊まっていた安宿は見つからなかった。それらしき建物はあったが、確信はもてなかった。あんなひどい建物に泊まるような旅行者はもういないだろう。インド人も、そして旅行者も、ずいぶんと変わったような気がする。何しろ十四年もたつわけだから、まあ当然といえば当然ですね。でも懐かしかった。

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謎の神様

nearjagannath19sインドは本当に不思議な国である。諸外国の人間から見れば、まるで悪魔教を想像させるようなミステリアスな神様がいくつもまつられ、妄信的な多数の信者を今も抱えている。崇拝者たちの心の内は不明だが、彼らには神々の姿がまさに現実のものとして映し出されているに違いない。それは日本人には、決して理解できない世界なのだと思う。急激な経済発展の傍らで、今も土にまみれて暮らす何億もの人々がいる。広くインドを旅してみれば、むしろそれが普通のインドなんだとすぐに気がつくのだが、そこから先、土俗的で伝説的なインド世界に分け入るのは簡単な事ではない。例えは悪いが、それはまるで、終わりのないお化け屋敷をたどるようなものかもしれない。
今回の写真は、東インド最大の聖地であるプリーのジャガンナート寺院近くで撮影したものだ。ジャガンナート寺院自体は外国人の侵入を厳しく制限しているので、当然中に入ることは出来ない。寺院の周囲は活気のあるバザールになっている。その一角、というより寺院の外壁を利用し、道路側に開けたお堂内に、その神様はいた。本尊でもないのに、大きさは3メートルを超える。朱色に塗られた神様が、暗い堂内に浮かび上がる。怪しげな姿に圧倒されて聞き忘れてしまったが、これは多分、猿の神様ハヌマーンではないかと思う。この神像の役割は、おそらくは魔除けであるのだろう。確かに、こんな怪しげな神様に守られていたら安心である。
ところで、神様を朱色で塗りたくってしまうのはインドでは珍しいことではない。とくに北インドのいたるところで目にする光景である。何故、朱色なのか?想像だが、これは血を意味している。神様への捧げものとして、動物などをほふって、その血を神像に塗りたくったことに由来しているのではないだろうか。額につけるティカもその意味は変わらないだろう。こうした慣習は、どれもこれも、インドの先史時代から続いてきたものだ。インド以外の多くの国では一部を残して消え去るのが常だが、インドではそれが宗教世界の主流となって今も生き残っている。とても不思議で、心惹かれるものがある。

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