« 2004年11月 | トップページ | 2005年1月 »

東京散歩写真5(雪の大晦日)

DSC_0033ssDSC_0008ssDSC_0013ssDSC_0032ssDSC_0063ss大晦日が雪というのはあまり記憶にない。昔、大雪の中を、父方の実家である敦賀へ帰ったのを思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京散歩写真4(雪の新宿)

DSC_0065aaDSC_0031aaDSC_0023aaDSC_0010aaDSC_0041aa


雪の降る新宿を歩いた。雪は降り止まないし、寒いしで、あまり楽しい散歩ではなかったが、意外とおもしろい写真が撮れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

津波のよる被害 スリランカ、インド…

津波による死者は、スリランカで10000人以上、インドで5000人以上となったが、まだまだ増えるだろうと想像される。スリランカでは100万人の人が家を失い避難民となったという。これは全人口の5パーセントにあたる数だ。

昨日のブログでも書いたが、つい数ヶ月前に歩き回っていた場所が大きな被害を受けており、他人事に思えない。とくにスリランカ東海岸にあるトリンコマリーが大きな被害を受けている。海外ニュースで写真を見たが、悲惨である。いつも散歩していた海沿いのタミル人難民キャンプはどうなったか、…でも状況からいってかなり厳しいように思う。ようやく長い内戦が終結し、「これからだね」と明るく話していただけに、なんと言えばいいのか分からない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インド、スリランカなどで大津波

今さっき、インド洋で津波による大きな被害が出ている、というニュースを見つけた。とくにスリランカ、そしてインドではそれぞれ2000人を超える死者がでているということだが、正直いって、まだまだ被害が大きくなりそうな気がする。今日は日曜日でなので、チェンナイやマハーバリプラムなどのビーチにも多くの観光客が詰め掛けていたのでは。

僕は今年の夏に、スリランカの東海岸トリンコマリーの海辺で何日かを過ごしたが、そのとなりにはタミル人の大きな難民キャンプがあり、海から300メートルくらいのところにバラックの家が100以上ひしめきあっていた。また、周辺の海辺もほとんどすべてが漁村であり、状況はそれほど違わない。どうなったのか、非常に心配である。

それにしても、どうしてテレビではこのニュースをほとんどしないのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ネパールの少女

nepalaa_1nepalaa2ネパールの村を歩いていたのはもう10年以上昔のことだ。今は懐かしさで、その記憶はほとんど夢のように、ある地点で止まってしまっている。そのまま、永遠にとどめおくのも悪くはないが、僕としては、また歩きたい、という思いが強まっている。
ネパールでは、少女の写真ばかり撮っていた。他のものはほとんど撮らなかったし、撮る必要は全然なかった。雑念がなかったんだね。僕は少女との一瞬の出会いに賭けていた。
またあんな旅が出来るといいけど、もうあの頃のようには若くない。
違った旅であってもいいのかな…(?)

ネパールのほかの写真、こちら(chaichai)から是非見てくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

冬のヨーロッパ

crithaa11crith_aa10クリスマスといってもあまり関係ないが、今年はふとヨーロッパの旅を思い出した。ちょうど冬だったので、毎日がクリスマスのような雰囲気…。写真は、左がポルトガルのエボラ、右がスペインのバリャドリッド。寒いなかを三脚持ってよく歩いた。でも、冬のヨーロッパは文句なしに美しかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京散歩写真3(冬の空)

DSC_0014aaDSC_0161aa
昨日は「風水散歩」について書いた。それで今日は散歩したいなあ、と思ったが無理だったので、このあいだ撮った写真を二枚。一枚は上野、もう一枚は近所。それにしても、日本の冬は寒くて、寂しいな…。十年ぐらい日本の冬は経験していなかったので、ここのところ、とても辛い。来年こそは、冬はインドかどこかに避冬(?)しなければ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

風水について その三(風水散歩)

DSC_0075aa師走の街というのは、ある意味で美しく、そして悲しいものでもある。最近はどこに行ってもクリスマスのイルミネーションが輝いているが、一歩離れると、寒々とした路地が闇につづいている。普段はあまり気にならないものが、奇妙に見えすぎるような感じがする。そこに見えるのは、もしかすると自分自身の姿なのかもしれない…。

という訳で、今日は「風水について その三」である。今回もまず書いておきたいのは、僕は風水についてはまったくの素人であるということ。本一冊ちゃんと読んでいない。でも、街を歩き、感じることは出来るはずで、だから無責任を承知で、今回も思ったままに書いてみたい。今回のテーマは「風水散歩」である。

街をぶらぶらするのが好きだが場所はどこでもいいほうだ。繁華街もおもしろいが、むしろ住宅街みたいな場所に興味がある。昼間も歩くが、夕暮れから夜にかけてもおもしろい。

散歩していると、歩く先々でいろんな空気を感じるものだ。居心地のいい場所もあるが、以外とそうではない場所が多い。極端にいえば、角を一つ曲がるたびに「気」の性質が違うのだ。

そういう意味で、東京は興味深い街である。どうしてかというと、坂が多い。「こんなところにこんな坂が…」、と驚くことが多いが、「気」を観察しながら歩く人間にとっては好都合だ。平坦な街というのは「気」もまた平坦であったりするから、つまらない。反対に、坂道が多い、地形の変化が大きな街は、「気」の変化も大きい。

例えば夜道を歩いていたりして、不意に、まるで奈落の底へ落ちるような坂を見ると、ちょっと寒気がする。また、どこまでもつづいている長い坂道もまた、なんとなくシュールである。歩いていくうちにふと別世界に入ってしまいそうな…。

坂と並んで興味深いのが辻、つまり分かれ道である。繁華街の大きな交差点なんかも、ちょっと離れてみていると、抒情もあるし見飽きない。辻というのも、風水的には特別の意味を持つ。何しろ人や物の「気」がそこに集中し、ときには淀み、そして火花を散らしている。いらいらして事故も起こりやすい。

インドあたりで辻に立つと、あらゆるパワーがガンガンうるさいほどに迫ってくるが、そこはお国柄で、日本は表面上は結構静かだ。でもそれは建前のようなもの、静かに耳をすますとさまざまな声が聞こえてくる。楽しい声もあるが、それだけではない。怒り、怨念、嫉妬などなど、…生霊と死霊が飛び交うまるで魔界のような世界だ。

辻といえば、辻占というのもある。交差点などで目をつぶり、最初(三番目?)に聞こえてきた言葉が、あなたの悩みに対するお告げである、というわけだ(辻占はなんとチベットにもあるらしい)。でも、とくに辻占でなくても占い師というのは結構辻にいるもの、…例えば上野公園では、ちょうど公園から歩道へ出る階段あたり(坂)に、何人かの占い師がいたような記憶がある。辻に渦巻いている人間のさまざまな感情を拾い上げて世相を占う、というのは考えてみればあたりまえのことでもある。

インドでもそうだが、だだっ広い道というのは疲れるだけだ。つまり刺激がない。坂道、辻、その他にも、例えば神社、寺、路地、鉄道駅、線路、高架下、大きな木、陸橋、…そんなものがあると散歩も飽きない。道を歩いていて、ふっととなりを走り去るバスの乗客を見るだけでも、そそられるものがある。

それにしても風水的な目で街を見ていると、本当にこの世は不思議だ、と思うばかりだ。僕たちは一人一人がもっと自我を持ち、理性にしたがって生きているように思っていたが、本当はそうではないのかもしれない。「気」によって生かされている。いや生きるも死ぬも、「気」次第である。「場の空気が読めない人」という表現があるが、たったそれだけのことで何も悪くない人が悪口を言われ、その挙句、ときにはリストラの対象にされてしまうかもしれない。切なく悲しい話である。

ところで、僕が風水に興味を持ち始めてのは、もしかすると小学校時代のことかもしれない。もちろん風水という言葉はまだ知るはずもなかった。ただ、あの当時、僕は突然地図の魅力にはまり、勉強そっちのけで白地図を描いては空想の旅に遊んでいた。僕は等高線を慎重に確認しながら地図の中で山を伝い、川を下った。そんなとき、もっとも大切なのが「気」の流れ、それが読めなければ地図なんてつまらないものだ。

結局、地図しか勉強しなかったので、すっかり世間の事情に疎くなってしまったが、旅行者としては役立っている。あの頃、地図勉強の成果を試したくて、いろいろ暗い谷間とかを実際に歩いていたのが今は夢のようだが、考えて見ると、あの頃の夢をまだ捨て去ったわけもない。写真をやっていなかったら、羅盤を抱えて山や谷をふらつく風水師になっていたかもしれない。

だから考えてみれば、「風水散歩」は今に始まったことではない。子供の頃から、知らない街を歩くたびになんとなく「気」を観察しながら歩いていたのだ。それが大人になり、東京、バンコック、そしてインド、ネパール、スペインへとつづいている。そしてこれからも…。そう「風水写真家…」というのも悪くないな。

-------------

(追記)
辻占についてはこちらのサイトに詳細がありました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

インド不思議絵

hindumadurai今日はインドの不思議絵について。これは南インドの古都マドゥライの寺で撮ったものだが、さて何に見えるでしょう?ってべつにたいしたものでもないのだが、インド人は親切だから、わざわざ待ち構えていて丁寧に教えてくれる。えー、今日はこれだけです。あわただしい季節ですからねえ。

------------------

(追記)
そう、昨日書いた文章のなかで、筒井康隆さんの小説を紹介したが、今日気になって探してみたら見つかった。、小説名は「二人の印度人」、角川文庫から出ている「幻想の未来」に収録されている。残念ながら、絶版になっている。昨日話したストーリーはちょっと違っていたが、幻想的なインドの雰囲気がよく出ていておもしろい。

それで思い出したが、谷崎潤一郎にも「ハッサン・カンの妖術」という神秘的な小説があった。またしてもストーリーは忘れたが、とてもおもしろかったのを覚えている。

僕個人としては、ただの旅行記(といってもいろいろあるが…)よりもこういう幻想的な本が好きである。子供の頃の夢を、いつまでも追いかけたいということなのかな…。インドというのはまだまだ不思議に満ちていて、望めばそれを見せてくれる。

という訳で、ずいぶん長い追記になってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

血液型で見るインド人の起源

血液型番組に対する批判がいろいろあったが、そんなものはどこ吹く風で、昨日も今日も血液型番組をやっていた。血液型云々もおもしろいが、どうして血液型番組がこれほど流行るのか、ということにも興味がある。

血液型による性格の違いはあると思う。血が違うというのはちょっと考えただけでも大きな問題に違いない。血管は体中の隅々まで流れているわけだから、それが人間のあらゆる面に影響するののでは、と考えるほうが普通と思うが。多分、否定したがる人というのは、人間はもっと個性的なんだと主張したいんだと思う。

インドなどに行くと、本当に瓜二つみたいな人間がいっぱい登場してくるのにいつも驚く。…筒井康隆さんのなんという小説だったか忘れたが、殺しても殺しても同じ顔のインド人が現れる、という場面があって印象に残っているが、あれは真実なんだということが、インドに行って納得できた。でも、本当に個性的な人種なんているのかな?

個性的でないことは悪いことではない。少なくとも、インド思想では、(普通の意味での)個性などは余計なものだと切り捨てているはずだ。その先にあるものが重要だと…。だからインド(の聖)人ならこう言うかもしれない。「血液型による差はある。でも、どれも良くない…?」

個人的に、血液型番組に反対する気持ちはとくにない。でも一つだけいえば、…一部の血液型が悪くいわれる理由ははっきりしている。それはたんに、その血液型が少数派であるからだ。違う国でやれば、また違った結果になるだろう。どこの国でも多数派の意見がいつのまにか常識になってしまう。だからそういう意味では、たしかに差別を助長する面はあると思う。

そう今日はそれを書こうと思ったわけではない。最近、chaichaiのほうでインド先住民のことを書いていて、それで彼らの起源がどこかを考えていたのだが、そこで血液型の問題がでてきた。

インド先住民の文化はインドのあらゆる部分に影響を及ぼしているから、まずこれを研究しないとインドは分からない。で、やはり定説どおりに彼らはオーストラロイドではないかとまず考えた。オーストラロイドというのは、オーストラリアのアボリジニなどに代表される人種だが、これが謎めいている。一説には、原白人種とも、あるいはネアンデルタール人系末裔とも言われるが、はっきりしたことは分からない。

ところでアボリジニは、この世を夢として認識しているそうだが、これはインド伝統の思想とよく似ている。インドでも、この世は幻想(マーヤー)だとして軽視する傾向がある。それに、アボリジニとインドの修行者サドゥーとは共通する部分が多いらしいと聞いたこともある。おっ、これはいけそうだ、と思っていろいろ資料を見ているうち、まず血液型でつまずいてしまった。

アボリジニはそのほとんどがO型であるが、インドはむしろB型が多く、O型の確率は30パーセント程度。詳しい資料に当たってみると、インドでも南に行けば行くほどO型が多くなりはじめ、スリランカでは完全に逆転現象がおきている。この資料がどれくらい正しいかは分からないが、思い当たるふしもある。とはいえ、おもに北インドに分布しているインド先住民を、アボリジニと関連付けるのは少し無理があるかもしれない。

ところで、B型の起源はどこなのだろう。中央アジアというのはよく聞く話だ。モンゴリアン世界ではモンゴルと中国北部にとくに多い。ヨーロッパは一般的にB型が少ないが、東ヨーロッパ、とくにロシアが多い。あと、ジプシーはヨーロッパ系としてはすごい確率(36パーセント)でB型である。よくB型は遊牧民(放浪系?)といわれるが、たしかにその傾向が強い。

遊牧系の血はインドのなかにも多く入っているようだが、インド先住民のほうは、残念ながら遊牧系とはいいがたい。そして、一般インド人の顔を見るかぎり、彼らの多くはむしろ先住民系に近い気がする。でも、血液型を見れば、やはりB型が40パーセント前後と、諸外国の遊牧系を上回ってしまう。とりあえず、今は分からないことだらけなのだ。

まったくの当て推量でいうと、遊牧民とは違う系統の、やはりB型が多数を占める人種がインドか、あるいは違う大陸のどこかにいて、それが遊牧系とまじりあい、現在のインド人になった…。などと適当なことで誤魔化してしまったが…。それにしてもインド人はどこから来たのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

インド病

kerala03今日は朝からつらかった。インド病だ。その病気は「今すぐにインドに行きたい」といういらいら感とうつ症状が特徴的だ。僕の場合、一ヶ月に一度程度で発病するが、とくに寒い冬の日、どんよりした曇り空などの日に、とくに起こりやすい。もちろん、嫌なことがあるとさらに病状は悪化する。

対応策はあまりない(インドに行ったらすぐ直る…)。普段は楽しめるインド音楽などもかえって良くない。でも、今日はとりあえず、夜の町を一時間半ほど歩いたら、意外と簡単に直ってしまった。気持ちもいつもより暖かいくらいだ。逆療法ということだろうか?

という訳で、今日はインド、ケーララ州の写真。椰子の木に囲まれた村に滞在したときの、美しい風景は忘れられない。これは朝の写真。ともかくきれいで、すべての嫌なことを忘れる。刻々と変わる空の色もため息が出るばかり。ケーララ州の写真はそのうちchaichaiのほうでもアップする予定です。ご期待ください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

風水について その二(虫の宿)

風水について、今日はある具体的な経験を書いてみる。僕は以前、ある山小屋で長いあいだ働いていたが、そこでひどい目にあったことがある。

その山小屋は正確には国民宿舎で、標高1500メートルの山の中にあった。もう営業を中止したから名前を出してもいいのかもしれないが…。とりあえず匿名にする。なかなかいいところで山小屋の周囲は深い森におおわれ、ちょっと屋久島の原生林を思わせる。直径2メートル以上の太い幹を持つ大木がいくつもあり、神秘的な雰囲気もある。

山小屋の客室は二十三部屋、細長い造りで、長い廊下の向こうにまで部屋が続いている。建物の長さは多分、50メートルはあるだろうか。場所を考えれば立派な建物だったが、虫が多いのが欠点だった。とくに蛾が多いが、僕はとくに嫌いではない。それよりも問題なのが、かまど馬である。

かまど馬、知っていますか?別名、便所こおろぎともいう。簡単に説明すると、ぷりっとした胴体に虎の縞縞が入っている。色は黒に近く、足が異様に長い。とくに長い後ろ足でぴょんぴょん跳ねるのがなんともいえず不気味だ。しかも、尻に角を持っている。

かまど馬にしろ蛾にしろ、そういった虫が大量にいるのは、山小屋近辺が非常に湿気ていたからだ。一階の奥まったいくつかの部屋がとくにひどかった。一番奥とその手前の部屋には、大きな染みが壁に広がっていてすごかった。幽霊が出るという話もあった。

その後、それらの部屋は形だけ改装し、きれいにはなった。それでちょっと安心したのが間違いの始まりだったのだ。ある年、僕は夏のあいだだけ、ということで、奥から二番目の部屋を使うことになった。山小屋で働き始めて7年目のシーズンである。

異変はその部屋に入って十日ほどたった頃から始まった。なんとなく体が疲れやすい。おかしいな、と思いつつも仕事は休めなかった。ちょうど忙しい時期であったし、僕はいくつかの仕事の責任者でもあった。ま、やり慣れている仕事なので何とかなるか、と思っていたが、それが裏目に出た。それはちょうどお盆が終わり、ちょっと一息ついたかな、というある晩にやってきた。胃痛である。しかも、異常な痛みだ。すぐに緊急に救急車を呼んでそのまま入院、病名は十二指腸潰瘍、すでに小さな穴が開いてしまい、すぐに手術となった。

入院生活は約三週間、その後一週間ほど休んで山小屋に戻ったが、災難だった。ま、それはともかく、病気の原因は何だったのか?理由は一つではないにしろ、僕にはちょっと思い当たることがあった。あの部屋のことだ。

それから僕は次の年も含めて山小屋の周囲を何度も歩き回った。そのときにちょっと風水の本も読んだりしたのが、興味を持つきっかけになった。それでいろいろ分かってきたことがある。そのうち、もっとも問題だったのは水だ。どうやら、あの部屋の下には水が流れているようなのだ。あるいは、地面中が湿っているといってもいい。。ちょうど裏手には、ほとんどあるかないかの細い谷があり、建物の手前数十メートルで消滅していた。でも、水は完全に消えたわけではなく、部屋の下をじわりじわりと流れているようだった。

風水ではとくに水に気を配る。だからトイレはどの方向、風呂はどの方向、あるいは池を作るのは危険とか、川の近くに住むのはどうだ、と、やたら水にうるさい。水は良くも悪くも風水の基本だ。そんな観点から見て、いや見なくても分かることかもしれないが、僕が泊まっていた部屋は最低だった。

水(川)はしばしば龍に例えられるが、僕はまるで龍の尻尾の上で暮らしていたようなものだ。多分、龍は山小屋が出来る前はのんびりと地中を流れていたのが、そこに変や建物を作られ地面に押し込められた。その怨念が、かまど馬になって表れたか、…あるいは幽霊になった。僕はまあ、呪われたということだろう。

建築のことはよく分からないが、これは完全に設計ミスである。香港ではビル一つ作るのにいちいち風水師を呼んで作るというのに、この自然のパワーあふれる山の中で、風水的環境をまったく無視して作った結果がこれであった。これはうまくいかない。その結果、この山小屋は二年前に閉鎖になり、今は取り壊しを待っている(それでも三十年以上続いたが…)。

しかしである。この山小屋はある意味ではすばらしいところでもあった。僕は一度はひどい目にあってしまったが、じつはそこに8シーズン暮らしていたのだ。僕はここが好きだった。いっぱい虫がいて、すべてが自然にあふれている。そういえば、風呂場ではときどき二十センチもあるナメクジを見た。誰かがそれに塩をまいて殺してしまったが、僕は何か、すごい悪いことをしたな、と感じていた。これは多分、森の精霊に違いない、と。以来、ナメクジを殺すことを僕は料理長の権限で禁じることにした(そういえば、あのナメクジ、「風の谷のナウシカ」の「オーム」に似ていたな…)。

この山小屋で長く暮らしたのは僕だけではなかった。知っているだけでもほかに7人。みんな、給料が安いだの、社員がどうだの、といいながらも春になると自然とこの山小屋に集まってきた。それに意外だが、お客さんにもこの山小屋のファンがいた。僕らが「虫さん」と読んでいた常連の夫婦はとくにそうだった。彼らは虫取りが趣味だったが、彼らがいうには、「建物内でこんなに虫がとれる山小屋は初めてだ」まあ、当然である。日本ではありえない。

…いつのまにか風水の話から虫の話へと転んでいったが、でも、風水というのはそんなもろもろの環境すべてを含んでいるのではないだろうか?すべては風水ということかもしれない。ところで、そういう意味から、もう一つ書いておきたいのは、あの山小屋の雰囲気だった。風水的にいえば、そこに住む人間はその家相に影響されるわけだが、僕の経験でもまったくそのとおりだった。

あの山小屋では、いつもどこかで虫がうろうろしていたり、あるいは蛾やナメクジがじっとどこかにはいつくばっていたが、そういうのは人間にもかなり影響するものだ。そういえば、あの山小屋で働いている人たちは本当によく寝ていた。みんな寝病ではないかと思ったものだが、あれは考えてみれば、ただ単に、虫化したということだったのだ。でも、虫の生活というのは、それはそれでいいものである。まるで、繭に包まれた蚕のようなものだ。あるいは、自然という母なる子宮のなかで安心して暮らしているようなものである。悪いわけがない。

さて、きりがないのでそろそろ終わりにしよう。「風水について その二」で早くも脱線気味である。それから、…山小屋での日々は、また別の機会に書いてみるつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

風水について その一(部屋選び)

占いを気にするほうではないが、信じていないというわけではない。ただ面倒くさいので本も読まないし、という程度だ。

占いの中でおもしろそうだな、と思うのが風水かな。インテリアなどには気を配っていないが、玄関先や水周りの方角にはインドの神様ポスターをつけている。邪気退散というわけだ。狭い東京で、しかもお金に余裕がなければ、理想的な環境で暮らすのは難しい。でも、思いっきり強力な神様なら、いろんなマイナス要素を一気に解消してくれるかな、と考えた。ただ、強力な神様は扱い方次第でマイナスにも働くかもしれない。でも、僕はインドの聖地をたくさんまわっているから大丈夫、と勝手に信じている。

今、住んでいるところは、場所的には悪くない。気持ちの良い住宅街の中だし、遠くから見ると、なだらかな上り下りするちょうど上ったところにある。谷間というのはだいたいよくないとされている。今の日本ではあまり目立たないが、例えばインドでは川沿いといえばスラム街だ。風水の本でもそのあたりのことは書かれている。でも、こんなことは教えてもらわなくてもなんとなく分かりそうなものだ。

今の部屋を借りるとき、不動産屋からもう一軒アパートを紹介してもらった。僕はためしに「プロの目から見てどちらが良いですか?」と聞いてみた。両方とも部屋は三つ、ただし、もう一つは横に三つの部屋が並ぶ、いわゆる「うなぎの寝床式」であった。そして今住んでいる部屋はいわゆる「L字型」だ。結局、不動産屋が選んだのは「うなぎの寝床式」、それが良いというわけではなく、もろもろの条件でそちらをおすすめするとのことだった。

最終的に、もう一つの物件を選んだが、その判断は正しかった、と思っている。というのは、不動産屋「おすすめ物件」は、環境がまずよくなかった。目の前が竹やぶで、その向こうには寺。風水的にいえば、これでもう悪相といえる。

「うなぎの寝床式」というスタイルもあまりよくないらしい。まっすぐというのは、例えば邪気なんかが入ってきてもあっという間だ。構造が単純すぎる。さらに、そのアパートは戸数が多く、それも気にいらなかった。紹介されていた部屋は階段を上ってすぐの場所だが、そのおくに、さらに5.6戸の部屋があった。つまり二階の入り口にあたり、風水的にいえば、邪気がいっぱい通っていく。だからといって奥が良いわけでもない。今度は反対に邪気がたまってしまう…。不良のたまり場というのもたいがいはそんなところだ。

今住んでいるところは上下2戸づつ、全戸数4戸の小さなアパートだ。あまり隣のことも気にならない。まるで一軒家のようなものだ。これぐらい少ないと周囲がよく見えるから余裕も持てる。二階なので、日当たりは良すぎるくらいで、夏はきついが冬はぽかぽかしている。このあたり、ものは考えようだが、暗いよりは明るいほうがいい。インドという、天真爛漫な国を長く旅していたので暗いのは苦手である。まあ、総合的にいって悪い買い物ではなかった。

こんなふうに書いていくと、風水というのはやはり、いわゆる占いとはちょっと違うという気がする。まあ占い自体もあるいはみんなが考えているようなものではないのかもしれないが、それは書き出すときりがないからやめておく。ところで、僕が何故風水に興味を持っているかというと、それはやはり、長いあいだ旅をしてきたからだ。旅をする上で、もっとも必要なのはサバイバルな能力である。それがない人はあっという間にトラブルにあってしまう。

サバイバルといってもさまざまなものがあるが、地形を見たり雰囲気を見たりするのはとても重要だ。僕の旅行は数ヶ月に及ぶものがほとんどだったので、まるで風水師のような暮らしだといってよい。例えばホテル一つ探すにしてもそうだ。まず地図を眺めてホテルを探し、次に地相を観察する。さらに部屋やフロント、階段、そして廊下を見て良し悪しを判断する。このあたりで間違うと、物を盗まれたり病気になったりするわけだから、毎日の部屋探しは真剣そのものである。もちろん、僕はあまり出来のよくない風水師ではあるが…。

風水については、明日以降も連続して書いてみます。専門的なことはどうせ分からないから、まあ経験を、ということになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

すべての道はインドに通ず?

yogamanブログをはじめて二十日ほどたったが、いまだにテーマが定まらない。そこで、いろいろ考えた結果、ブログのタイトルを、ただのchaichaiblogから「すべての道はインドに通ず?chaichaiblog」に変えてみた。

タイトル選びにいつも難航する者としては、今度はわりと出来が良いのでは、ととりあえず自画自賛している。でも、ただでさえ話題作りに苦労するのに、さらにテーマを限定するのは自分の首を絞めるようなものかもしれない。あまりタイトルに縛られないようにしなければ…。

それにしても「すべての道はインドに通ず?」はちょっと大げさでは、という意見もありそうだ。例えば、インド人が0(ゼロ)を発見したり、あるいは僕らが毎日使っているE-Mailを開発したとしても、ただそれだけの理由で「すべての道はインドに通ず」では納得できない、と。

ま、いろいろ反対意見があるのは当たり前で、僕自身「すべての道はインドに通ず」というかすかな予感にただ導かれるように旅をしてきただけだ。そうしてふと気付くと、なんと14年の歳月が流れていた。インドに青春を費やしてしまった人間としては、やはり「すべての道はインドに通」じてほしい、という願いがある。

幸い、今はこうして手軽に情報を発信できる時代になった。インターネットのいいところは、ある程度本音も書けるし、しかもそれをすぐに見てくれる人がいる。ある程度の本音を書き続けるうち、見えてくるものもあるのかな、と今は思っている。

という訳で、今日はとりあえず一枚の写真から。サドゥー、インドの修行者であり、放浪しながら一人ヨーガ修行を続けるインド変人集団でもある。サドゥーについては、これまでも何度も書いてきたし、今後も避けて通ることはできないように思っている(以前に書いたものだが、こちらを参照)。インドと世界の謎について、その鍵を握る人々でもある。ただ、これまではちょっと付き合いを避けてきた部分もあるが、それではいけないと、最近は考えるようになった。でも彼らは正真正銘の変人だし、一体どうやって付き合っていいものやら…。今後の課題である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祖先はネアンデルタール人?

現在のヒトは、じつはネアンデルタール人との混血、という記事を見つけた。もちろん、新説には賛否両論はつきもので、これが世界的に認められたわけではない。でも、これはありえるなあ。

さらにこんな記事もあった。ジャワ島で「小型の新種人類の化石を発見した」という。一部の学者は、これは「ホモサピエンスの亜流」と反論しているが、さてどうだろう?

僕は昨日、「不食について」という記事の中で、「もしかすると、人間は共食いによって人間へと成長したのではないだろうか?共食いによる悲しみや愛情が脳を刺激し、人間へと成長する原動力になったとは考えられないだろうか」と書いた。これはただの直感だが、同じ人間でも、例えば現代ホモサピエンスとネアンデルタール人なら、殺し合い、そしてお互いの肉を食べていた時代もあったのでは。

人類学的なことは分からないが、そのあたりの交渉を続けるなかで、突然変異か何かで、本来生まれるはずのない異種人類間の子供が生まれたり、ということはないだろうか。さっきテレビを見ていたら、鳥インフルエンザも突然変異するとやっていたから、異種人類間の子供なんていうのもありえるかもしれない。

それにしても、どうしてそんなことを考えるようになったか。そのことについては、今日は書かない。ただ、そのうちおもしろい報告ができそうだ。

それはもちろんインドに関連していることで、結構貴重な写真もある。多分、来年ぐらいに、と思っているが、その前に、今やっているインドの先住民の説明文をchaichai(インドの写真を発表しているサイトです)に書かないと…。それに神様の説明もいくつか書きたい。

共食い人食い、それに異種人類間での混血、うーん、おもしろそうだ。これにヒンドゥー神々の起源、さらに祭りの起源、そしてインド人の起源とさかのぼれたらおもしろいな。でも、本当はもう少し旅もしなくては、と思う今日この頃です。来年の春ぐらいには可能かなあ…。

------------------

(インドニュース)
インドで列車事故が起こった模様。原因は分からないが、この時期、北インドは深い霧に覆われることも多いから、それが原因かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「不食」について

ホームページのほうはアクセスカウンターだけだが、こちらのブログにはアクセス解析がついている。有料版ブログの付属品だからたいしたことは分からないが、リンク元や検索ワードなどの情報もあって重宝している。ホームページのほうにもアクセス解析が是非欲しいものだ。

それはともかく、最近、このブログに、ある言葉を検索してやってくる人が大変多い。ある言葉とは、「不食」である。人数は1日平均10人ほど、それでも二週間ずっとそんな状態が続いているので、延べ150人は来ている計算になる。以前、「不食と粗食」というブログを書いたのが、どこかで検索されているらしい。それでいろいろ調べてみると、グーグル検索で三番目くらいにこのブログがあった。

「不食と粗食」というブログはある本を見たことから思いついて書いたものだ。その本の名前は、正式には「人は食べなくても生きられる」。山田鷹夫さんという人が書いたものだ。ただし、「不食と粗食」でも書いたが、僕自身はまだこの本を読んでいない。そのときは、話はサドゥー(インドの修行者)などにいってしまってそのままになってしまった。それでは何か失礼な気がするので、今度読んで見るつもりだが、その前に、最近ちょっと考えていたことを、先入観なしに書いてみようと思う。

「不食と粗食」の記事に、一つコメントをいただいた。そのコメントには、山田鷹夫さんの言葉として、こんな言葉を紹介していただいた。

 「たべたいのは、空腹というよりは、嗜好や愛(つきあいなど)のため」」(「人は食べなくても生きられる」より)

この文章がどんな文脈で使われているのか分からないが、それはとても印象に残った。確かにその通りだと思う。例えば過食症なども、孤独が原因で発症するのではないだろうか?でも、それは逆に考えれば、過食症の人は食べ続けることで、かろうじて孤独を克服しているのであって、もし食べるのを禁じれば、本当におかしくなってしまうだろう。

食べるという行為は、ある意味で、世界との共感や連帯感、そして、それによってうける充実感が大きな位置を占めているのかもしれない。もちろん、みんなで食卓を囲んで食べるのは最高の贅沢だ。僕は、何年も山小屋で働いていたから、そのあたりのことがよく理解できる。家族でもないもの同士が、同じ釜の飯を食うなかで、擬似家族のようになっていく。夏の短期アルバイトや、ときには大の大人である社員までが、まるで子供のようにわがままに振舞う。多分、山小屋という閉鎖的環境は、ある意味で幼児期の経験に近いものなのかもしれない。

食べるという行為のもう一つの「愛」は、やはり大地、自然などとの共感だ。ジャンクフードばかり食べているとおかしくなるという。ジャンクフードには、大地との共感という、基本的な要素が欠けている。

ところで、今日もホームページのほうの書いたことだが、インドには菜食主義が大変多い。菜食主義者たちは、ときにさも自分達は偉いようなことを言うことがある。世の中は因果応報によって成り立っており、あなたが何かを殺して食べるというその行為はいずれあなたに返ってくる、というわけだ。なるほど、と最初はおとなしく聞いていたが、だんだん腹が立ってきた。つまり自分だけいい子でいたいというわけだ。こういうことをとくとくと語るインド人はたいがい中流階級で、おそらく使用人なんかにはおそろしくケチであるに違いない。

あらためて書くと、食べるという行為は、ある意味とても重要なコミニケーションだといえるだろう。例えば、雌の蜘蛛が交尾し終えた雄の蜘蛛をバリバリと食べてしまうようなものだと思う。食べられる雄の蜘蛛は喜んで食べられるのかは疑問だが、その栄養はまたその子供へと伝えられていくことだろう。

もしかすると、人間は共食いによって人間へと成長したのではないだろうか?共食いによる悲しみや愛情が脳を刺激し、人間へと成長する原動力になったとは考えられないだろうか。いわゆる人食いは、その昔は普通だったようで、多分、日本の首切りの風習もそこから出ているのかもしれない。菜食主義者の多いインドでも、じつは山の中にはまだ首狩り族がいるようにも聞いている。狩られそうになったという人に会ったこともあるし、数年前まで首狩りの習慣があったという村の存在も聞いている。

首狩りというのは非常に残酷な行為と思われるが、じっさいには、その肉は大切に食べるようである。しかも、一部の部族はそのたびに祭りをして、これから食べる死者たちを祭りあげるらしい、とどこかで聞いたことがある。アイヌが行うイオマンテという祭りも、やはり神である熊の首を切り落とすことを主体とした祭り(この祭りで殺されるのは小熊である。一説によると、小熊は殺されることを喜ぶのだという)だが、そのようなものは世界でもたくさんあるに違いない(祭りの起源もそこにあるのかな)。食べること、とくに同族での共食い(つまり人食い)は、ある意味で人間が人間であるための原点だったのではないか?

「不食」について、と書いておきながら、完全に食べる話になったと思われるかもしれない。でも、食べることとを考えてみなければ「不食」については理解できない。と、そう思ったから、長々と食べることについて書いてみた。というのは、もし不食であろうとするなら、食べるという行為に変わる、世界とのコミニケーションを考えなければならない。そして、それはそんなに簡単に見つけられるものではないのだと思う。でも、じっさいにはそんな人間の原点を飛び越え、「不食」、あるいはそれに近い存在でいる人もないわけではない。

「人は食べなくても生きられる」の著者、山田鷹夫さんもその一人なのかもしれない。また、インドでは、多くののサドゥー(修行者)がそれに近い生活を送っているようでもある。人間にとってもっとも大切な食べるという行為を捨てた人間は、一体何に自分の命を托すのだろう?ここから先は僕の知らない世界であり、あまり想像で書くわけにもいかないが、例えばサドゥーなら、ヨーガがそれにあたるのだろう。

ヨーガというと、いろいろな変なポーズをやるあの健康法だろう、と思っている人が多い。でも、あれはいわゆるヨーガの一種類(ハタヨーガ)であって、すべてではない。ヨーガには、バクティーヨーガというのもあって、それはひたすら神の名前を唱え、思い浮かべるものだが、それもヨーガの一つだ。要は、自ら行いたい、と思うことを夢中になって行うこと、それによって世界と一体になれるなら、それがヨーガだといえるのではないか…(ちなみに、ヨーガには、「つなぐ」という意味があるそうです。つまり、世界とのコミニケーションという意味なのかな)。

食べるという行為にしろ、「不食」にしろ、人間はやはり人間なんだとあらためて考えてしまう。どういうきっかけでそうなったかはとりあえず不明だが、つねに(人間関係も含めて)世界との共感、そしてつながりを模索していく存在であり続けるのだろう。それを考えると、なんとなく切ない気もする…。

「不食」については、本を読み、また何か具体的な考えが浮かんだとき、また書いてみたいと思う。いや、それにしても長くなってしまって…。ここまで読まれた方、どうもお疲れ様でした。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

インド用カメラ

この春、ついにデジタル一眼レフを手に入れた。ちょうど話題になっていたニコンのD70である。使ううち、すっかり楽することを覚えてしまい、その後のスリランカで一瞬あせってしまった。

スリランカでは、今までどおりニコンのnewFM2を持っていったが、すっかりオートで慣れてしまった頭がなかなかマニュアルカメラに対応できない。newFM2というカメラ、すべてはマニュアルだから、いちいち、ピントと絞り、それにシャッタースピードを調整しなければいけない。慣れれば、ものの2・3秒だが、それがまどろっこしい。

それで、今後のインド取材でデジカメを使えないかといろいろ考えていたが、いざデジタルカメラを想定すると、これはこれで問題は多い。その一番のネックはお金だ。

まず、カメラ一台ではやはり不安だ。そしてもう一台買うとすれば、やはり高級機種が安全。次にデータの保存だが、これもパソコンかストレージ、あるいは現地でCDに焼くという方法があるが、いずれにしても、安全のためには最低二ヶ所にデータを保存する必要がある。パソコンは最近出回っている小さなものが欲しいが、それだけで20万。そして高機能なストレージが5万ぐらいか。

例えば、カメラをD70で我慢したとしても、…なんだかんだで計40万円。ちょっときつい。フィルムだったら、例えば150本撮っても20万円程度で済む。また、デジカメやパソコンの耐久性を考えると不安もある。その点、フィルムカメラは安くなる一方で、中古で2.3万も出せば、十分使えるカメラが手に入るし。

という訳で、(インドでは)まだまだフィルムカメラかな、と思う今日この頃である。

----------------

ところで、今使っている三台のFM2、数えてみるともう10年以上もインドで活躍していることになる。一度、巻き上げレバーが折れるトラブルがあったが、それも現地で修理できた。いいカメラだが、本当はF2とかキャノンF1とかが欲しかった。生産中止から久しいが、ともかく強そうだし、いざとなったら武器にもなる。F2デジタルとか出たら是非買いたいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インドで読む「遠野物語」

初めてインドに行ったときに持っていった本のなかに、柳田国男の「遠野物語」があった。何故「遠野物語」だったのか記憶にないが、これがインドで読むとおもしろかった。

「遠野物語」にはさまざまな不思議な話が出てくるが、これがインドとシンクロしたようだ。インドというのはまるで「遠野物語」のように妖怪だらけの場所だなあ、と変に感心したのを覚えている。もちろん、それは僕がまだ若かったゆえの誤解であるのだが、インドが伝説に満ちた国であるのは確かだった。

僕がインドに行った理由は、ただ一つ、日本と全然似てそうもない国に行きたかったためだ。もしアフリカが近かったらアフリカに行っていたかもしれない。子供の頃、エジプトやモアイ島、あるいはガラパゴス島には行きたかったが、インドは意識していなかった。ただ、もしかすると、テレビの「西遊記」の影響はあったかもしれない。

「西遊記」は子供心に本当におもしろかった。毎日毎日妖怪が出てくる奇想天外なストーリーを見ながら、いつかはあんな変な国に行って冒険したいなあ、と思っていた。もちろん、夏目雅子の顔が子供心にちらついていなかったとは言えないが…。

という訳で、「遠野物語」から少し脱線してしまったが、僕が最初の旅で感じたのは、インドは想像通り(以上?)の国だ、ということだった。それは勘違いから始まったインド体験だったのかもしれないが、最初にまず、あの伝説的な雰囲気に触れていなければ、それ以後の旅はなかったと思う(それがそもそもの間違いだったという話もよく聞くが…)。

さて、そんなインドでも、これでもかというくらいに怪しい神様アイヤッパンのことを、chaichaiの「インド旅の雑学ノート」で今日、紹介した。アイヤッパンの聖地は、虎やゾウが出没するジャングルの中の聖地だというが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インドの少女

写真の少女は、実はインドではなくスリランカで撮影したものである。といっても、彼女はタミル系であり、南アジア最南端の(ヒンドゥー教)聖地カタラガマに巡礼に来ていたものだ。彼女の首にかかった数珠はまさしくその証明といえるだろう。彼女はまだ子供であるが、その目を見れば、子供なりに真剣に巡礼に取り組んでいるのが感じられる。

カタラガマはとても印象深い聖地だった。詳しくは、また別に書こうと思っているが、僕はここでインドの魂に触れたような気がする。それは端的に言って、「純粋」さだと思う。

最近、インドは変わった、という意見をよく聞くが、実際はどうなのか?変わった変わったといいたがる人は、多分、インドに変わってほしいという気持ちではしゃいでいるようだが、10億の人々の生活が本当に変わってしまったら、世界はどうなってしまうだろう?

インドに純粋な人が多いのは、もしかすると無知のせいかもしれないが、例えばガンディーなんかは、そんなことも承知の上で、純粋でいなさい、と教えていたような気がする。

僕個人としては、そんなインドの「純粋」な魂をいつまでも見つづけることが出来れば、と願うばかりだ。

kataragamab05

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インド牛

このあいだスリランカに行ってきた。スリランカは動物がものすごく多いと聞いていたので期待していたが、実際はそうかな、という程度である。オオトカゲとマングースを見たのは良かったが、あとは猿とか鹿とか、そんなものはインドにもいるではないか。

インドのすごいのは、やはり街中にいっぱい動物がいることだ。牛、猿、犬、豚、リス、ネズミ、山羊、ラクダ、ゾウ、どれが家畜でどれが野良なのか、もうどうでもいい感じで、いつもチャイを飲みながら街を眺めていて、あらためて驚くのである。

インドでは人間の尊厳というものが、ちょっと欠如しているのではないか、と思うこともある。人間より賢い猿とか、人間より威厳に満ちたゾウとか、あるいは、下の写真(写真をクリックすると、少し拡大できます)のように、人間より威張っている牛とか、

indousi02

さて、最後にまた宣伝。インドの動物事情を詳しく読みたい人は、chaichaiのフォトエッセイ「インド動物事情」へ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

インド的

siva15copeインドにはなまけものが大変多い。よく知られるサドゥー(ヒンドゥー修行者)などはその代表だろう。彼らがヨーガの達人であるというような説明が多くなされるが、僕は残念ながら、そんなサドゥーをほとんど見ていない。でも、だからといって彼らに落胆しているわけではない。サドゥーにかぎらないことだが、まるで止まり木に座る鳥のような姿で一日中何かを眺めているインド人の姿は、なんとも言えずおもしろい。一体何を見ているのか、もしかすると、その目の奥は空洞ではないのか、と疑ってしまうほどだ。

彼らには、僕たちとは違ったふうに世界が見えているのかもしれない。なまけものにはなまけものなりの物の見え方もあるのだろう。それが精神的に豊かだ、などと言いたいわけではない。インド人の風変わりな行動を見て、「精神的だ」「スピリチュアルだ」と言いたがるのはたいがい、いわゆる先進国の人間で、当のインド人は何も考えていなかったりする。

昔、中島敦という小説家の書いた「名人伝」という本を読んで感じるものがあった。弓の名人になろうとした主人公は、いろいろな過程を経てその道の名人へと登りつめたわけだが、その最終段階では、ついに弓の存在すら忘れてしまったという。無意識ということを徹底的にやった結果が、まずはそういうことになってしまった。なんとなくインド的な結末だが、話はそれで終わり…。

上の写真について。サドゥーであるこの女性は、当時、片足立ち修行の真っ只中だった。べつに弓の名人になろうっていう訳でもないようだが…。

-----------------

(追記)
chaichaiのフォトギャラリー「写真で見るインド」で「スリランカ仏教の原風景」を追加しました。こちらもどうぞよろしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京散歩写真2(新宿)

なんだか気分がフワフワしている。子供の頃から落ち着きがないと言われ続けてきたが、そういう性格は大人になっても変わらないものだ。こんなときは、おとなしく文章を書くより写真を撮るほうが気分がいいものだ。

という訳で、新宿をぶらりと一周して写真を撮ってきた。
(横位置の写真は拡大できます。写真をクリックしてください)

DSC_0038sinjyuku.jpg
甲州街道から

DSC_0094sinjyuku.jpg
ぐるりとまわって

DSC_0118sinjyuku.jpg
夕日で赤く染まった都庁へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

インドの神様

前回のブログは東京散歩写真と称して師走の風景を紹介した。まだ、写真が余っているので今回も、と思ったが、外の冷たい空気にあたるうち、気が変わった。急にインドが恋しくなってきたのだ。あの、間延びした、おだやかな時間がどうにも懐かしくなってしまった。なにもかも放り出して、インドに行きたくなってしまったが、ここは我慢のしどころだ。

とまあ、そういうわけで、楽しいインドの神様の写真でも、と考え、ごそごそ探してみたらこれが出てきた。インド三大神ビシュヌ。その嫁さんがラクシュミー、日本名は吉祥天、ビシュヌの臍の緒が伸び、そこに咲いた蓮華の花に座るのがブラフマー、これも三大神の一人。ちなみに、ここにはいないが、その嫁さんは、日本名で弁才天、弁天様のことだ。弁天様、じつはブラフマーの娘であったのが、ストーカー親父のブラフマーにしつこく追いまわされ、仕方なくその妻になってしまった。

と、いろいろ書いているうちに心の中が暖かくなってきた。それにしても、またインドに行けるのはいつのことやら・・・。

vishunu.jpg

もっとインドの神様が見たい人は、例えばこちら、chaichaiフォトギャラリーのヒンドゥースピリットへ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京散歩写真1

今日は12月2日、ついに「師走」だ。年の瀬もおしせまり、世間もなんとなくあわただしくなってきた。こんなとき、ふと写真を撮りたくなったりする。

午後遅くからぶらっと街を歩いてみた。街に夕陽があたり、何ともいえない風情がただよう。夕方の散歩が癖になりそうだ。
(横位置の写真は少し拡大できます。写真をクリックしてください)

DSC_0081.jpg

DSC_0111.jpg

DSC_0126.jpg

DSC_0152.jpg

質屋の看板が師走の夕暮れによく似合う・・・


| | コメント (0) | トラックバック (0)

「旅行者」について

このあいだ、イラクにおける日本人人質殺害事件に関することで、どこのサイトだったか忘れたが、「最近、バックパッカ-の評判、悪いね」といった趣旨の発言があった。その前にも、ボランティアや報道関係で人質事件があり、なんだ最近のバックパッカ-は、というような批判があったのだろうか?もちろん、5人のほうは正確にはバックパッカ-ではないわけだが・・・。

ところで、僕はこれまで、自分をバックパッカ-だと思ったこともなければ、そう名乗ったこともない。旅行を始めたのは1990年だったから、そんな言葉はまだなかったわけだ。当時はそのまま「旅行者」と言っていた記憶がある。だから、僕も文章の中で、よほどの意図がない限り、「旅行者」という言葉を使うことにしている。

とはいえ、実際に旅行に出れば、多かれ少なかれ「バックパッカ-」と名乗る人々との付き合いも出てくる。「バックパッカ-」も「旅行者」も、ただの言葉の違いではないか、といわれれば、確かにそうかもしれない。同じような場所を訪れ、同じような宿に泊まるのなら、たいした違いはない。

まあ、どっちでもいいか、と思っていた矢先に、冒頭の「最近、バックパッカ-の評判、悪いね」という言葉を聞き、またそれにこだわってしまった。というのは、「バックパッカ-」はともかく、「旅行者」なんて、もともと評判がいいわけないじゃないか、と思ったからだ。

1991年だったか、2回目の旅行でバンコックに立ち寄ったとき、僕はカオサンを避け、中華街に泊まっていた。あの頃のカオサンはまだまだ素朴だったが、それでも僕にはあわなかった。しかし、かといって中華街がよかったわけではない。今はほとんど消えてしまったが、あの頃の中華街には日本人専門宿みたいなホテルがいくつかあり、多くの旅行者がうろうろしていた。しかし、その雰囲気は異様だった。

この界隈に住んでいたのは間違いなく男だった(当時、アジアでは、まだまだ女性の旅行者は少なかった)。その一部の人たちはもう何ヶ月もこの界隈に住み続け、毎日売春宿へと通い続けていた。彼らはある意味、もはや旅行者ですらなかった。向こうも恥ずかしいのか、挨拶もしない。もっとも挨拶されたところでこちらも困るだけだ。

一方でインド帰りなどと呼ばれる人もいて、もう何年も日本へ帰っていない、というような話を聞いて、複雑な気分になった。汚らしい食堂で古いマンガを読みながら、「いつかは日本に帰らないといけないのか」と溜息をつく彼らの姿を見ながら、僕もゆくゆくはあんなふうになるのか、と思ったら、ちょっと怖くなったのを思い出す。僕が写真をはじめたのも、彼らと一線を引きたい、という思いからだったかもしれない。それはともかく、ここは人生の場末だ、と僕は強く感じたものだ。

インドで出会った旅行者の多くも、どこか偏屈で天邪鬼な人が多かったような気がする。日本社会に疑問を感じ、ドロップアウトして旅しているような人もいた。まともに日本で暮らせるようなら、何も好き好んで外国を放浪する必要もないのではないだろうか。だから旅行者の評判といえば、はなからすこぶる悪かった。

僕自身、いいかげんなのは旅行者の特権だというぐらいに思ってきた。また、旅の恥はかきすて、というのは非常に実感がある。僕は旅行記というものを書かないが、それも結局、恥ずかしいからだと思う。書いて人に見せるような立派な旅ではないと・・・。

現在、インターネットの世界では驚くほど多くの旅行記が存在している。僕はそういったサイトをじつはほとんど読んでいないが、なかには一日一日のことを非常に詳細に書いたものがあり、違う意味で感心してしまう。それに比べれば、昔の旅行者はまるで逃げ隠れするように旅行していたような人も多く、もっといいかげんだった。当時はインターネットカフェなんかもなかったし、とくにインドあたりで沈没しているような旅行者は、郵便局ひとつ行くのも億劫なほどだらしがなかった。その分、浮世のことはみんな忘れて、インドのゆったりとした時間に浸かりきっていたのかもしれない。

「旅行者」と「バックパッカ-」、どちらがどうと言いたいわけではない。それぞれが時代の影響を受け、必然的に生まれてきたものだと思う。ただ、僕はその過渡期を歩いてきた人間として、なんとなく複雑な感情を抱いている、というだけのことだ。

-------------------

(補足)
3年前、インドとパキスタンの緊張が高まったとき、僕は国境にほど近いラダックを旅していた。政府からは避難勧告が出ていたそうだが、別に気にしていなかった。むしろ、印パの緊張のお陰で旅行者が激減したことで、宿代も安くなり、のんびりできるので、それを歓迎していたぐらいだ。もし爆弾が飛んできたら、一緒にジープでネパールまで逃げようと、仲良くなったラダック人と冗談を言っていたが、これも人に言えば、非常識極まりないと怒られるに違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年11月 | トップページ | 2005年1月 »