半分終わった

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7月に入った。今年も半分終わった。こういうとき、「もう半分過ぎてしまったよ。時間がたつのは早いなあ」なんて話をするのが常だが、個人的には、ようやく半年か、といった感じ。継続して写真を撮っていたり、旅をしていたりすると、時間がたつのは意外と遅い、という気がしている。

今年の一月一日のことはよく憶えている。午前中から撮り始めて夜まで。たくさん歩いてたくさん撮ったが、気分はかなり複雑だった。当時は夜の街なんかも含めていろいろ撮っていたが、いつもどこに行くかで悩んでいた。それから一ヶ月、突然、「街は全部やめた」と決めてしまってから、すっかり気が楽になった。最近はほとんど触れてこなかったが、今は多摩川だけやっている。場所と天候にもよるが、あそこはまあ天国。今日は蛇と出会ったり、目の前を蛙が飛んだりして驚かされたが、なぜかそういうことはほとんど苦にならない。

さて、今回は久しぶりにサドゥの写真。サドゥ本にも登場した二人の懐かしいババ。なんか、懐かしいものはみんなモノクロにしたくなる。写真はどちらもヒマラヤ、シヴァの聖地ケダルナート。ここでテントを張ってみたい。でも、ときどきはユキヒョウも現れるというからちょっと怖いが、それにしても、この年になって、いろいろな自然の風景を見てみたい、という願望がやたら湧き上がってきて困る。そのためには、テント暮らしの練習などもしたいが、とりあえず今は多摩川。冬までかな。

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あのときの写真…

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先日、ネパールのモノクロ写真をある人に見せる機会があった。それはたしか16年前の写真だったが、その人は、「16年前ですか…。もっと昔の写真、たとえば30年前とか40年前の写真に見えますね~」と言った。

今回の写真は、セレクトされていないネガスリーブの中から、今、適当に選び出してスキャンしたものだが、これまた、えらく昔風の写真。それに、なぜか自分で撮ったような感覚がない。もちろん撮ったときのことも、どこの誰かも憶えていない。でも、なんだか奇妙な味の写真で、どこかの天国のようでもある。

この年の写真が忘れられず、4年前に久しぶりにネパールの山村を歩いたときに、16年前のようなやり方で少し写真を撮ったが、うまくいったかどうかは微妙なところ。

ネパールの写真は、当時から、少し寝かせて熟成させて、それから…、なんて気持ちがあったが、気がつくと16年。さて、どうしよう…

さてどうしよう…

というのが、写真のことを考えるときの口癖になってしまった。過去の写真、現在そして未来の写真がごちゃごちゃに混じりあい、頭の中が大変なことになっている。
さてどうしようかな~。

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ダヌワール、マジ、ダライ

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もう15年以上前になるが、ネパールの民族に関する一冊の本を買った。

「ネパールの人々」(D・B・ビスタ著・田村真知子訳)

研究書なので高い。定価はなんと8300円。しかし情報量はすごくて、聞いたことのないような民族のことまで詳細に説明してある。その中で、当時からすごく気になったのが、本記事の表題、ダヌワール、マジ、ダライ。三つの民族が一緒になって紹介されている。その中の一文がとても印象的だった。

生来、非常に用心深く偏狭な人々で、野獣はまったく恐れないが、見知らぬ人間を極度に嫌う。

さらにこんな一文もある。

深い峡谷や谷に住み、流れに沿ってずっと上流まで旅をする。

ネパールの谷というのは人が住むにはあまりに険しく、またマラリア蚊が発生するので、たいていの村は山の中腹や尾根の上にある。そんな状況なので、「流れに沿ってずっと上流まで旅する」というのは普通ではない。それにしても、「野獣はまったく恐れないが」というのは、いったいどの程度の話なのか。熊ぐらいなら問題なし、ということか。「非常に頑強な身体を持っている」と書かれているから、本当にそうなのかもしれない。

長いあいだネパールの山村を旅したが、ダヌワール、マジ、ダライのどの民族とも接触したという記憶はない。というか、ガイドからもそれらの名前も聞いたことがなく、たぶん、彼らの村に泊まったことはないと思う。しかし、一度や二度は彼らを目にしたことはあるかもしれない。思い出すのは、とある東ネパールの辺境を旅していたときのこと。

そこは街道とは遠く離れたただの山村で、ほとんどの村はタマン族。ネパールの中でも寒村といった風情の所ばかりで、ともかくないもない。当然電気もなく、道中、チャイ屋もなく、水もない。昼飯を調達するのも一苦労。山村でときどき見かける野外共同トイレもない。一日、二日ならともかくこれが10日間続くとちょっとつらい気分になる。ガイドはいるから泊まるところは確保できるが、どの村で泊まってもなぜか飯がまずい。これが一番こたえた。

そんな日々のなか、どこかの村に到着して付近をぶらついていたら、魚をいっぱい手にした男と出会った。といっても、このときばかりは、男と出会ったというより、魚と出会ったといったほうがいい。大型の、鮎のような川魚。ともかく何匹か売ってもらって、泊まっていた民家に持ち帰り、魚のカレー炒めにしてもらった。味は感動的。一生忘れない、と思ったが、魚の印象が強すぎて、魚を売ってくれた男の顔はさっぱり思い出せない。ただ今から思うに、魚を売ってくれたのは、マジ族の男ではなかっただろうか。

インドもそうだが、一般人はまず魚釣りなどはしないし、もちろん漁労に従事することはない。従事しているのはそういうカーストか特定の民族だけである。目の前に魚が泳いでいても、捕まえることなくまずい飯を食うのがインド文化。なので、男はやはりマジ族だと思う。ちなみに、ネパールの民家やロッジに泊まって魚を食べたのはこれが最初で最後。ただし、その後の旅で、道中(そこはちょっとした街道だった)、掘っ立て小屋で営業している焼き魚屋台で焼いた魚を食べる機会が何度かあった。焼き魚屋台もマジ族だったかもしれない。

……と、夕方にここまで書いて所用でいったん外出、さきほど帰宅した。

思いがけず文が長くなってしまって、どう締めくくればいいのか悩む。

これを書き始めたきっかけは、「野獣はまったく恐れないが」という文章がおもしろく、そんな民族に会ってみたいな、と思った、というだけの話。

ちなみに上の写真の少女、大きな籠を手にして突っ立っていた。服装が変わっている。それと、この写真は全部で十数枚撮った写真の最後から三番目。最初は、ひどくこちらを警戒していたが、だんだん表情が和らいできた。もしかすると、マジ族の少女かな。川が近かった記憶がある。次回ネパールを歩くときは、川に近い村からいろいろ探してみたい。魚も食べられるしね。

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写真は出会い

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最近なんとなく思うのは、写真にとって一番大切なのは出会いかな、ということ。僕の場合、17年前にラダックと出会うことで写真をスタートし、次にネパールの山村、そしてインド、と言いたいところだが、インドでは長いあいだ決定的な出会いがなかった。サドゥと出会ったのはこのホームページを立ち上げたあとだ(サドゥを撮りたいという気持ち自体はそれこそ18年前からあったが…)。

今回の写真はサドゥ撮影の直前の旅の一風景。このときはガイドブック取材の旅だったが、取材とは関係のないところで、インドの風景がやけに心に沁みるなあ、と思っていたら、次の旅でサドゥ(写真)に出会った。それは必然だったと今は思っている。というのは、僕の場合は、インドの風景からサドゥの世界に入っていったという気がしているから。

サドゥ写真をとりあえず終えた今、ふたたびインドの風景、自然に戻っていきたい、という気持ちはある。まだ出会っただけでほとんど撮れていない。でもその前に、日本でも出会いがあった。なのでしばらくはこちらを最優先。なんといっても日本はふるさとだし、それにインドの風景、自然、そしてサドゥとも一直線につながっているような気がしている。欲をいえば、体が三つぐらいあればと思うが…(ネパールの山村もまた行きたいし)。

写真にとって一番大切なのは出会い、と最初に書いたが、もっと大切なのは、出会いからさらに継続してどう発展させていくか、ということかもしれない。先はほんと長い。

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緑の中へ

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最近は雑草の写真ばかり撮っている。というか、ともかく緑が青々と茂っていれば満足。森も歩く。

冬にずっと枯野を歩いていて、この草はいったいどんな風に緑になっていくのだろう、というところが最初のきっかけで、その緑が今はどんどん濃くなって、お盆ぐらいにたぶん煮詰まり、最後、枯れていくところまで見届けたい、とそんなことばかり考えている。

ところで、緑を見ると人は癒される、といわれて、一昔前には、森林浴という言葉が流行った。マイナスイオンかなにかはよく知らないが、緑を見るとたしかに癒される。でも、ず~と集中して、何時間も見続けていると、癒し、といった生易しい感じとは違う世界に入っていくような気がする。写真を撮っているからなおさらだが、なにか、緑に支配されていくような恐怖すら感じる。そのへんのことは、海外を見ても、南インドやスリランカ、そして行ったことはないが、バリ島などもそうだと思うが、緑の濃い地域は、シャーマニズムがよく生き残っている。恐怖を感じるぐらいの緑のパワーがあればこそ、それを利用しようとする人々も現れる。

あと草といえば、なんといってもサドゥと大麻。これは個人的な意見だが、大麻がなくなれば、サドゥは消滅すると思っている。

…というわけで、またそのうち、どこかのシャーマニズムを追いかけたい、という思いも強いが、その前に、まずは日本の緑。明日もどこか歩こう。

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ヒマラヤとは…

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まずはお知らせ。雑誌「トランジット」のヒマラヤ特集で、2ページですが、ヒマラヤサドゥを紹介しています。機会があったらぜひご覧ください。

…ということで、ヒマラヤの印象を少々。というか、自分にとってのヒマラヤとは、とふと考えたとき、真っ先に頭の中に浮かぶのは、ヒマラヤとその周辺で出会った現地の人たち。そして旅行者。

ヒマラヤと同じぐらいかあるいはもっと長くインドの平地を旅しているが、印象的な出会いというのは、ヒマラヤのほうがはるかに多い。だからヒマラヤのことを想うと息が詰まるような気分にもなるし、また行きたい、ずっと旅していたい、といつも思う。世界にヒマラヤがあってよかった。

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山国へ

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とある山国に一泊二日の旅をしてきた。始発みたいな電車に飛び乗り、さらにバスに乗り継ぎ、終点から林道をひたすら歩いて辺鄙な山の村の民宿で一泊。次の日は目的地である山を歩いて、頂上から、バス停がある反対側の谷へ。たった二日間だったが、何日も旅したような気分で、とりあえず腹一杯だ。

最初は二泊三日を予定していたが、宿泊地の村にさしかかる頃に、不覚にも街が懐かしくなってしまった。新緑と鳥と虫の声にずっと包まれ幸せな気分だったが、それも一定ラインを超えると今度はちょっと怖くなってくる。村にも人影はなく、いったいどこの辺境なのか、といった雰囲気。なぜかやけにコーヒーが飲みたくなったが、自動販売機なんてあるわけないし…。これがインドやネパールだとチャイがあるんだけどなあ。それに隣にはガイドがいて、村人もたくさんいて、意外なほど賑やかなものだが…。

とかなんとかいろいろ書いたが、旅自体はよかった。いい写真が撮れてほっと一息。山の頂上から見た眺めは、「こんな写真が欲しかったんだよ」という理想の風景。天気が写真的には最高で、運もよかった。秋にも来ようかな、とちょっと考えるが、どうしよう。

さて上の写真は泊まった民宿の部屋と夕食。下の写真は頂上からの帰り道。この道は熊が出没しそうで、秋はあまり歩きたくない。そういえば、今回も森を歩いているとき、すぐ近くの熊笹の密集地で、巨大な動物がガサゴソする音が聞こえてちょっと緊張した。動物は、その後、一気に谷間に下っていったが、鳴き声で鹿かカモシカと分かった。あと動物関係では、村の道でイノシシの死体を見た。隣には犬が三匹。なんとついさきほど森の中で噛み殺したという。「写真を撮っちゃ~あ困るよ」と飼い主らしき人に言われたので残念ながら写真はない。

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古いネガから

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写真は16年前のラダック、はじめて一眼レフを持って旅したときの写真。

先日、その旅で出会った人からメールをもらって、それで急にラダックの写真をアップしてみたくなった。セレクトしていないネガスリーブから適当な写真をとりあえず二点。あとはもう見ない。懐かしさで頭がおかしくなってしまいそうだし、楽しみはまたあとに残しておきたい。

写真はどちらもレー市内。カメラはこの最初の旅だけは中古のオリンパス。OM-4Ti だったか。レンズはたぶん標準一本で、気になったものをそのまま正直に撮っていただけ。やはり同じ旅で出会ったカメラマンから、「とりあえず近づいて撮ったらいい写真になるよ」と適当なアドバイスをもらって、でも言われたとおりに撮っていた。

結局、ラダック滞在の一ヵ月半で50本ほど撮った。当時としては、すごく撮ったなあ、というのが正直な感想。最後に資金が尽きたので、バンコックに立ち寄り、そこでネガ現像して、べた焼きまで作ってもらって、いろいろ見ているうちに、さらに50枚ほど大きく伸ばしてもらった(当時、バンコックは安かった)。写真を受け取りにラボに行くと、受付の女性が、えらく大袈裟に「素晴らしい写真だわ」と何度も言うのですっかり有頂天になってしまった。今から考えると、あれが運の尽き。

というわけで16年たった今も同じようなことをやっている。今日も雨の中、写真を撮っていた。靴がずぶ濡れだ。

当時のラダックの写真は少しここにアップしています。

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山あり谷あり…

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「山あり谷あり」といっても人生の話ではなく、地図の話。子供の頃、地図にはまって、地図ばかり眺めていた。

地図、と一口に言ってもいろいろあるが、地図が好きな人はまずは何をおいても地形図である。等高線がぐちゃぐちゃと描かれているあの地図のことだ。等高線は、興味のない人にとっては鬱陶しいだけだが、これが読めるようになると、等高線を見ているだけでなんとなくその土地の風景が目に浮かんでくる。

昔、ちょっと山に登っていたときも地図は頻繁に眺めていたが、その後、インドあたりに行くようになって、地図を見る機会は減った(旅をするときは少しは見るが…)。理由は非常に簡単で、インドあたりで売られている地図というのはあまりに粗末で、おもしろくないのである。地形図はもちろんない。地形図を見たのは、ネパールの話になってしまうが、エベレスト周辺の地形図ぐらい。インドでは、軍事的な理由があって精密な地形図はおそらく禁止されているようだ。

こうした事情があって、長いあいだ地図をあまり見ない生活をしてきたが、最近はまた地図にはまりつつある。日本であちこちぶらつきながら写真を撮ろうと思うと、一番の情報源はやはり地図になる。最近はちょっと山のほうに入ることも多くなってきたので、久しぶりに登山用の地図も買った。登山をするわけではないが、見ているといろいろ歩きたくなる。

地図を頻繁に見るようになって、また懐かしくなって世界地図なんかも眺めている。しかしずっと眺めていると、なんだか切ない気分になる。一生かかっても、実際は見られない風景があまりに多い。インドに行き始めた当初は、あっちもこっちも全部行きたい、といろいろ夢を膨らませたが、15年以上たってふと気づくと、インド大陸以外はほとんど行っていない。インドにしたって、あと100周ぐらいはしないとさっぱり分からない。人生は本当に短い。

さて上の写真。ヒマラヤ四大聖地のひとつヤムノートリーから、ガイドを雇って、さらに雪山のほうに登った。ヤムノートリーから上は誰も住んでいないし、もちろんサドゥもいない。おじさんの写真撮っても仕方ないし、ということで日帰りの旅。1000メートルぐらい登ったところで、氷河に阻まれ、「死ぬからやめよう」とおじさんに言われてそこから戻ってきた。雨季になるとヤムナー川源流まで行けるらしい。サドゥも誰もいないが、いつか、そんなところに行ってみたいな、と思うようになった。まあそのときは、知り合いのサドゥでも連れて行こうかな。

そういえば、サドゥ本表紙のサドゥは、「どこでも行くから、誘いに来い」と言っていた…。でも一緒に長いあいだ旅するならナンディバルティババがいいかな…、なんていろいろ考えるが、とにかくこれからも山越え谷越え、いろいろ旅したいものだ。

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インドは大丈夫??

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写真の整理をしながら、久しぶりにインド映画音楽を聴く。懐かしい。

一頃は、インドのバスの中でずっと映画音楽を聴いていた。バスの中に音楽を流れているときはそれを聴き、流れてないときはウォークマン(カセットです…)で聴く。音楽を聴いていると、バス移動の苦痛が半減する。膝上に大きなカメラバックを抱いての旅だったから(そして足元にはフィルムその他)、なんとか苦痛から逃れようといろいろ試した結果が音楽だった。夜を疾走するバスとインド映画音楽はぴったりの相性である。

その後、サドゥ撮影ぐらいから音楽を変え、映画音楽はあまり聴かなくなったが、久しぶりに懐かしい音楽を聴いていると、たまらない気持ちになる。なんというか、結局のところ、僕はインドに行きたいだけなのか?とふと思ってしまうのがちょっと情けない。今、歩いている界隈だって、日本の中では限りなくインドに近い場所だ。

そのインドで新型インフルエンザの患者がついに出たようだ。でもまだ一人。おそろしい病気がいくらでも存在するインドでは、インフルエンザのことなど気にする人はほとんどいないと思うが、実際のところ、インドで蔓延することになると、それはそれで恐ろしい。ひどい衛生状態、街の雑踏、貧弱な医療体制、人々の無知と無関心、病気につけ込まれる隙はいくらでもある。そして来年はハリドワールにクンブメーラがやってくる。

祭りに集まる巡礼者の数は1000万人を超える。河原が野宿者で埋め尽くされ、街中は大混雑。さらに巡礼者は満員列車や満員バスを乗り継ぎ自分の街や村へと帰っていく。しかもこんな状態が二ヶ月以上続くのである。

ちなみに病気が流行していても祭が中止されることはまずないだろう。実際、ちょっと古い時代には、クンブメーラのたびに、さまざまな病気が開催地で蔓延していたという話もある。

さて上の写真は2007年、アラハバードでのクンブメーラ。宗教者たちがトラクターで会場に乗り込んできた。

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牛小屋の匂い

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最近は暑くなって、街を歩いていると、むわ~っとバンコックの匂いがする。バンコック、とくにカオサンとの相性があまりよくないので(あの蒸し暑い雰囲気が苦手です)、別にうれしくなるような匂いではないが、あの、昔の空港の、エアポートバス乗り場でバスを待っているときぐらいはかなり幸せだったので、たまには懐かしく思い出す。

ほかにもいろんな匂いから、さまざまな旅を思い出す。木を燃やす匂いを嗅ぐたびにネパールの山村を思い出すし、前にも書いたような気がするが、初春の乾いた朝などにはラダックを思い出す。旅から遠ざかれば遠ざかるほど敏感になって匂いを嗅いだ瞬間にあっ、これはあそこだ、と迷わずその土地の風景が蘇ってくるが、今日嗅いだ匂いには一瞬反応できなかった。反応できない、というか、訳が分からない時間が数秒続いて、ようやく発見したのが10メートルぐらい先にあった牛小屋。

ちょっと辺鄙な場所とはいえ、東京近郊で牛を見るとは思わなかった。いや別にいたっておかしくないが、匂いを嗅いだ瞬間、えっインド、まさかそんなはずはない、と混乱したのだと思うが、まあ、ただそれだけの話。

そんなわけで、最近もいろいろ歩き回っている。急に暑くなって早くも夏バテ気味だが…。

ちなみに、上の写真は、リシケシの夏の牛。


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モノクロ写真や靴のことなど

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靴を買った。前回買ったのが去年のたしか8月なので、わずか9ヶ月弱の寿命。まあよく歩いた。

何を買うときもそうだが、「強度はどれぐらいですか?」と質問するのが癖になっている。今のカメラも、シャッターユニットが10万回保障、となっているからじゃあ買おうかな、となった。10万回保障なら、実際は12万、13万ぐらいは余裕だろうか、などとセコイ計算を何度も繰り返してようやく決めた。

靴は、「ビブラムソールでしたら普通よりは強いですよ。二倍はもたないと思いますが…」という店員さんの説明で、当初想定していた価格より少し高い物を買ってしまったが、一年半ぐらいもてば上出来か。とりあえず、これで安心してあちこち歩きまわれる。

靴を買ったあとはすぐそばのカメラ屋へ。小さなカメラをいろいろ眺めて、三脚、フィルター、それからSDカードと、とりあえず見るだけ。コンデジは去年からず~っと眺めているが、まだ買う気になれない。買ってもあまり使わないだろう。インドだったらいろいろ使えそうだから、次回インドまでに、これだ、という機種が登場することに期待するとして、カメラ屋の最後はふらりとフィルムカメラコーナーへ。

あいかわらずここは誰もいない。陳列棚に並んでいるわずかばかりのカメラを眺めていると、まさに「兵どもが夢の跡」。郷愁すら感じる。ニコンのマニュアルカメラを手にしてファインダーを覗き込むが、画面の周囲に何も見えないから電池切れのようだ。しかし機械式なのでシャッターは切れる。かん高いシャッター音を何度か聞くうちに、ため息が自然と出る。懐かしすぎる。

コンデジを買うぐらいだったらこれを買おう。レンズは50ミリ一本。フィルムはモノクロ。出来れば自分で現像して、フィルムスキャナーでスキャンしてプリンターで出力。これぐらいだったら出来そうだ。今はとても無理だが、年末ぐらいからだったら…。それで師走の街を撮る、なんて。

初期の写真がモノクロフィルムだったこともあり、モノクロのことはずっと頭にある。それに最近、ブレッソンという写真家の本をふと買ってしまってさらに気持ちが揺れ動いたりしている。ブレッソンの写真をよく眺めていたのは15年以上昔の話、ちょうど写真の魅力にとりつかれた頃のことだ。何がいいのかよくは分からないけど、写真っておもしろいなあ、とそんなことばかり考えたいたわけだが、気が付くと、今も同じことを考えている。

さて今回の写真。モノクロ写真だが、これはカラーポジをモノクロ変換したもの。4年前にネパールで撮った。

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夜まで

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たいてい真っ暗になるまで写真を撮っている。山と空の境がなくなり同じ真っ黒になったら写真は完全に終わり。この時間帯まで歩いていると、旅しているなあ、という気分になる。

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新緑の森は…

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家の近くに小さな森がある。駅への近道になっているので、朝や昼はもちろん、真夜中もここを通る。100メートルほどの距離なので通り抜ける時間はわずか2分ほどだが、森をくぐると生き返ったような気分になる。ただ、新緑の季節になって、森の中が日に日に暗くなりつつある。街灯もないから夜はほとんど道が見えない。さらに緑が濃くなると、完全な闇になりそうだ。懐中電灯が必要かな。


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ブッダの旅の風景

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またあてどのない旅に出ようとしている友達がいる。この世にはそんな懲りない人がたくさんいるんだろうな。もちろん自分も含めて…。今は日々数時間の旅を続けるだけだが、これがないと冗談じゃなく死んでしまう。

写真はブッダが長く滞在したビハール州ラージギール。山賊がうろうろしそうな(実際にうろうろしている…?)険しい山がいくつかあり、殺伐として砂漠のような平原が続くだけの別に観光名所というほどの場所ではないが、ここはいろんな人にとっての旅の原点かも、と思わせるような風景が随所にある。そういう風景を見ると、なぜブッダがここに長く滞在したのか、という理由がちょっと分かるような気がする。

ブッダは死ぬ直前、ここから故郷を目指す旅に出て、その途中で死んだ。やはりブッダも旅の人だった。

長くヒンドゥーの世界を撮ってきたが、ブッダの旅を撮ることにも興味はある。でも仏教は漠然としていて、とりとめがない。まだ早いかな。10年後ぐらいか。

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だだっ広くて何もないところ(今日のサドゥ7)

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桜を写真を整理しながら、あいも変わらずルーツレゲエを聴き、そしてインドのことを考える。頭の中がめちゃくちゃである。最近は、多摩川がガンガーに見えたりする。サドゥとラスタマンの違いさえ分からなくなってきた。

今日の音楽はこれか。AUGUSTUS PABLO JAVA LIVE 1986(注意!音が出ます)

ときどきジャマイカにも行きたくなるが、これは空想だけ。本物のラスタマンというのはサドゥと同じでジャマイカの中でも完全に異端者あつかいらしい。しかも山の中なんかにひっそりと暮らしているようだから、ラスタマンと出会うまでに強盗に襲われてしまう。ジャマイカの治安はかなり悪いらしいから…。

今回の写真はガンガー最下流の聖地ガンガーサガール。だだっ広くて何もなくて、いいところだった。サドゥ撮影はこういうところが多かったから、最近はだだっ広いところがすっかりお気に入りになってしまった。ババジもうれしそうだ。後ろからは、怪しいインド人がなんかビデオ撮影しているが、これはサドゥではなく、怪しいサドゥを撮影している怪しい日本人を撮っているのだろう。

サドゥ本を出版して一年以上たって、どうしてサドゥを撮りはじめたんだろう、とふと思ったりもする。理由はいろいろあると思うが、そういえば、サドゥを撮りはじめたとき、「サドゥを撮らないとインドは終われない」、となんとなく考えていたような気がする。実際、インドに二年以上行かずになんとか我慢できるのはサドゥをある程度、撮ったから、という満足感があるからだが、じゃあインドは終わり、という気分にはとてもなれない。

サドゥを撮ってよかったことは、自分が好きなものがある程度はっきりしたことだろう。だだっ広くて何もないところ、だけではないが(別に森の中でもいいし…)、なんかそういうところで、川の流れや不思議な空や夕暮れなどを眺めていたい。隣にサドゥやラスタマンがいればなおいいし、ヒマラヤの峠の茶屋でチャイや地酒、というのもまた天国。まあ、東京の旅ではそこまでの贅沢は言わないが、多摩川を登りつめていけばそのうち天竺が見えてくることだろう。

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桜並木を歩いていると、誰かが、「桜は待ってくれないから」と話しているのが聞こえた。たしかになあ…。桜だけでなく、季節の移り変わりは本当に早い。季節をめぐりながら写真を撮っていると、いつも、「ちょっと待ってくれ~」と言いたくなる。

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春らしいインドの写真を探してみた。

これのどこが春なのか、と言われるかもしれないが…、説明とかは今回はやめておこう。

春はとても不思議な季節だといつも思う。

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旅の中継地点

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写真はガンガー源流への中継地点ウッタルカーシー。二度の旅のなかで四度訪れた。

ヨーガのふるさとリシケシから聖地ガンゴートリーまでの直行便バスというのはほとんどなくて、往復とも、必然的にウッタルカーシー泊まりとなる。

ウッタルカーシーは旅の目的地ではなく、どこまでいっても中継地点でしかないが、この街で過ごしていた時間というのは意外に貴重だった、と今になって思うことがある。これから源流に行くぞ、と思って街を歩いているときもあれば、巡礼を終えて、ようやく平地が近づいてきた安心感に包まれ、山をぼんやり眺めているときもあったが、それはこの街に宿泊する他の巡礼たちも同じで、ウッタルカーシーには、そんな巡礼たちのさまざまな気が忙しく交錯していて、それがこの街の魅力にもなっていた。

昨日、ある人からメールをもらった。ガンガー源流近くで、サドゥ本にも登場した片足のサドゥ、サントスナートババと出会った、ということで、彼の写真も添付してあった。久しぶりに見るサントスナートババは、髪やひげに白いものがずいぶんと増えていて、彼のその後の旅を考え、ちょっと切ない気分にもなった。いろいろと苦労があったのだろうか。サントスナートババは、その後、一人で仙境タポヴァンへ向かった、ということであったが、大丈夫だったのだろうか。

三年半前のタポヴァンへの旅では、サントスナートババはあんなに満ち足りた表情をしていたはずだが、想像するに、彼のそういう気分は、そんなに長続きはしなかった。サントスナートババが相棒アマルナートババと離れたことは次の年に知ったが、それによって、サントスナートババは再び孤独な旅暮らしに舞い戻ってしまうのではないか、という気がしていたが、実際、そうなのかもしれない。一人でタポヴァン、というのがとても気になる。孤独な苦行者サドゥにとってはそれは当たり前のことだから、心配するのもおかしいが、また会いに行きたいな、と思う。そのときは、彼と一緒に、どこかのヒマラヤをふらついているはずのアマルナートババ捜索の旅、というのもいいかもしれない。サドゥといえども人間。相棒の一人ぐらいはいていいはずだ(違う気持ちもも少しあるが…)。

旅の中継地点のことを書こうと思ったが、話が少し逸れてしまった。いや、これもこれも中継地点の話か。

サントスナートババの話が長くなったので、写真もアップしておこう。右がサントスナートババ、左がアマルナートババ。場所はタポヴァンまであと一時間のアマルガンガー沿い。

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ふるさとは

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写真は虎で有名なカーンハ村近くの定期市。何気なく写真を見ていたら目にとまった。なんか、色と光が懐かしいな、…と思って見ていたら、またしても、インドに行きたい病が…。

最後のインドからまる二年。これぐらい遠ざかると、あの時は、こんなところにいたんだなあ、と不思議な気分になったりもする。とはいえ、離れれば離れるほど、気持ちは強くなるばかり。今は、「ふるさとは遠くにありて…」状態。

そういえば、以前、旅先であった人が、「将来、旅が出来なくなったら、○○でインドのことばかり考えて老いていくのかなあ」なんてことをふとつぶやいたことがあって、一瞬、その情景を思い浮かべて背中が寒くなってしまった。ま、そんなこと、あるわけないのだが。

先日、インドを旅行中の知り合いから久しぶりにメールがあった。南インドである日本人と出会ったが、その人が、サドゥ本のファンだった、ということで、それをわざわざ知らせてくれた。サドゥ本の、というより、サドゥのファンなんだと思うが、そうした話は他でもたまに聞くから、あの本は、ささやかではあったが、そうした読者を持つことが出来たかな、という気はしている。それはもちろん、サドゥ自身の魅力に負うものだが、橋渡し役としては、まずまずの出来ではなかっただろうか。

最後に、下の写真は定期市から村へと帰っていく先住民の家族。

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