久しぶりの更新

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新しい写真がはじまったので、ブログのことを忘れてしまっていた。前回にも書いた植物に関して、とりあえずあるテーマに沿って撮影をはじめてみた。まだ10日ちょっと撮っただけだが、感触はとてもよくて、川に続いてこれも長続きするような予感がある。長らく次の一手が踏み出せずにいたのでちょっと一安心。あとはともかく撮るだけ。

川に続いて植物の写真が加わり、インドはさらに遠くなった。思い出すこともあまりなくなったが、ふとよみがえるのは旅の光景。列車やバスで移動していたときのことや、どこかの道を歩いていたときのこと、チャイ屋でぼうっと外を眺めていたときのこと、それから、インド行きの飛行機を待っていた時間のことなど。もう少し、旅そのものを撮っていればよかったかなと思うこともある。1500日も旅してこんなことを書くのも変だが、もっとゆっくりと、旅の時間を過ごせればさらによかった。

植物の写真をはじめた一番の理由も、川にいたる道々に、こんなにもいろんな風景があるのにそれを撮らないのはもったいないな、ということだったかもしれない。だから最近は数百メートルの道のりを数時間かけて歩くこともある。全然前に進めないよ、と途方に暮れるぐらいが今の自分にとっては幸せな感じがする。というわけで、今年も多摩近辺をうろうろすることになりそうだ。

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植物

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先週からようやくプリントを開始。去年の初夏から今年の冬までに撮った写真を中心に、あらたに多摩川の写真をまとめてみる。写真集「TOKYO RIVER」の写真よりさらに幻想的な雰囲気が強くなった。ただ、モニターで見ていたときほどの感触はないような気もする。最終的には、紙に焼いてみないことには写真は分からない。

川の写真は、今季から4年目にはいる。毎年少しずつ方向性を変えてきた。今季はもう少し大きな変化がほしい。あちこちの川をコレクションしたいとはもともと思ってないし、川の流れをひたすら追うのにも少し限界を感じる。それよりも川の周辺部を撮りたいと思っていていろいろ考えてきたが、最近になってそれは植物かな、と思うようになった。上の写真は、そのひとつのきっかけとなった小さな植物園で撮った写真。葉っぱとかをただ見てるのが楽しい。とくに花にこだわらない。深い森にも行ってみたい。もちろん、多摩川の森にも。

そういえば、もう15年以上も前の話だが、二回目のインドに行くか、屋久島に行くかでしばらく悩んだことがあった。よくは知らなかったが、屋久島の深い森にただ惹かれていた。もし屋久島に行っていたらどうなっていただろう。気に入って住み着いていたかもしれない。

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稲荷山

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(上の写真は、クリックすると1200×797のサイズに拡大表示します)

三日間、京都を歩いてきた。今回は帰省目的なので、写真はついでぐらいのつもりだったが、三脚にカメラをセットすると、ついでもなにもなくなってしまう。

京都で印象的だったのはやはり稲荷山(伏見稲荷)だった。

かつて20回ほど撮り歩いていたので今更という気もしていたが、何はともあれ京都で一番好きな場所であるのは稲荷山をおいてほかにはない。それに、3年間川の写真を撮って、今の自分に稲荷山がどんな風に見えるのかに興味があった。

伏見稲荷をわざわざ稲荷山と書いたのは、目的地が駅前の大社ではなく、その奥の院にあたるお山にあるからだ。お山はぐるりと一周して約2時間、あちこちうろつくと半日ぐらいのちょっとした登山コースになっている。この地で有名なのが赤い鳥居が密集してトンネル状になっている千本鳥居。大社すぐ裏手の風景が有名だが、実際には、稲荷山のいたるところに無数の鳥居が立ち並んでいて、壮観なんて言葉では言い尽くせないほどにある意味、不気味な光景である。そして要所、要所には、お塚と呼ばれる巨石がまるで墓石のように群在していて、その両側にはお狐さんが目を光らせている。

稲荷山で以前と違っていたのは、人の多さだ。とくに西洋からの外国人、それから若い人の姿が目立った。まだまだ寒い季節の平日だというのに、わき道のほうにまで人の姿があった。人が増えれば聖地としての雰囲気が乱されるが、このほど強烈な場所がこれまで注目をあまり受けてこなかったのはむしろ不思議なぐらい。僕自身も、10年ほど前にはじめてこの地を歩いて、それこそ狐に憑かれたんじゃないかと思ったぐらいに強い印象を受けた。だからこれまでの写真は、やはり赤い鳥居とお狐さんで埋め尽くされていた。でも今回、またしても同じような写真ではつまらない、ということで、メインルートをなるべく外れるような形で歩いてみた。

ところで、稲荷山にこれほど多くの鳥居が立ち並ぶようになったのは江戸時代以降のことらしい。神社としての起源は8世紀はじめ、聖地として一般化したのは平安時代以降だろうか。ただ、8世紀以前にも、土着民による原始宗教が根付いていたらしいが、そのあたりはまったく謎である。山中には小さな渓谷や滝も数多く、京都東山の突端にあたることを考えれば、縄文時代からの聖域であるような気がする。奥の院がこれほど発達した神社というのはあまり例がないだろうし、しかも、ここは稲荷信仰の本拠地である。歴史的な経緯だけでなく、何かの地理的な要因、場所自体の特別な存在感というようなものがあるのではないかと思ったりもする。

今回はたった半日の撮影で、何が分かったというようなことはないのだが、川を撮り歩いた経験から、少しでも稲荷山に近づける方法というのを考えてみた。方法と言ってもまったくおかしなやり方だが、たとえば、人間の目ではなく狐の目で稲荷山を見てみるとか、そこまでいかなくても、なるべく社会から離れた目線で、社会の外側から見てみるとか、山を歩いている最中はそんなことばかり大真面目に考えていた。原始時代のシャーマンも動物の真似をして踊っていたようだから、この方法もそれほど間違っていないような気もするし、肝心の写真も以前とは違ったものが撮れた。そして写真を眺めているうち、さらに稲荷山を奥深く撮り進めてみたいような欲望が湧いてきたりもするのだが、なにせ京都まで出かけなくてはいけないから、そこらへんはちょっと悩んでしまう。

京都ではほかに宇治川と下鴨神社の森を撮ったが、こちらはまあ普通。宇治川はふるさとの川だから思い入れは強いが、写真の対象としては(個人的には)多摩川にはとても及ばない。被写体との出会いは一目惚れみたいなもので、こればかりはどうしようもない。

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来週は京都

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来週はちょっと京都に行く。といっても撮影ではなく帰省である。

京都に行くのは、サドゥ本を作っていた頃以来で、じつに4年と3ヶ月ぶり。いや京都というより、以来、東京圏内から一歩も外に出ていないし、旅行らしい旅行といえば、山梨県山中の多摩川源流を一泊二日で歩いたぐらい。

旅行に出なかったのは、どうせ長期で行けないならどこにも行かない、と意地を張ったからだが、今となっては旅行に対する関心が著しく低下してしまった。インドやネパールにはいつか行きたいと思うが、それは京都と同じく帰省みたいな気分なのかもしれない。

京都でも一応は写真を撮ろうと思うが、短期間でもあるからあまり遠くへは出かけたくない。となると、通い慣れた伏見稲荷か…でもそんなに行きたいかなあとあらためて思ったりもする…。

ところで上の写真、去年の秋に行った鎌倉の海だ。駅から歩いて、佐助稲荷、そして銭洗弁天からさらに切り通しの道なんかに行くつもりだったが、佐助稲荷で赤い鳥居を見ているうちに急に気分が変わって、そのまま海に行った。そして海を見ているうちに、ああ、海があれば幸せ、と思ってしまった。たぶん、この3年間川ばかり見続けて、人工的な細々としたものがなんだか面倒くさくなってしまったようだ。

というわけで京都…。稲荷山はとくに人工的なものばかりではないが、たぶん、それよりどっかの川を眺めに行くのがやっぱり幸せかなと思ったりもする。

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出不精な旅

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まったくの出不精ということではなく外にはよく出ているのだが、ともかく遠出するのが億劫になっている。都内のほうに撮影に行くと帰りの満員電車が面倒だし、奥多摩の寂しい山道を歩くのも気が滅入る。近場の多摩川でも、府中本町より下流の南武線はなんとなく居心地がよくない。それで結局、毎度のように立川や日野あたりの中央線か、青梅線を少し登っていくぐらいの多摩川沿いに落ち着いてしまう。

そういえば、ある友達が外国移住を考えているとかで、一瞬うらやましいなあ、と思ったが、移住するのもいろいろ面倒くさいことが多そうで、話を聞いていくうちに、あ、自分は多摩近辺でいいよ、と言ってしまった。外国も、インド、ネパールあたりを気楽に旅するのはいいとしても、それ以外の国となるとやはり億劫だと感じてしまう。

先週は家の中を整理して大量の本を処分した。知識欲がすっかり減退してしまったようで、やはり年のせいかとも思うが、単純に生きたいという思いが強くなっている。インドの宗教に関する知識なんかも結局ほとんどはどこかに飛散してしまったし、自分に必要なことはHPにすでに書いた。あるいは、HPに何を書いたかもだんだん忘れつつある。

いろいろ考えていくうちに、自分に必要なものはやっぱり写真ということに落ち着いていく。旅はしたいが、無理をしてまで遠くに旅したいとは思わない。近くを歩いていても旅はできる。先日は、多摩川支流の小川に霧が立ち、そこに満月の光が差し込む光景を見つけた。誰も注目することのない小川だが、3年前から何度となく通っていて、行くたびにさまざまな風景を見せてくれる。出不精な旅行者にはぴったりの場所だ。

上の写真はその小川への道すがら。月の光に照らされた草むらの道を歩いていく。そういえば、一年前にはここで狐に遭遇した。寺も祠もないけど、自分にとってはちょっとした聖地。そういう場所が多摩川のいたるところにあって、天国の河原とか天国の森とかというふうに呼んでいる。

というわけで、多摩川とその周辺の旅がさらに続いていきそうだ。

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新しいプリンタ

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先日新しいプリンタを買った。エプソンのPX-5600。今まで使っていたプリンタも悪くはなかったが、これではどうしてもできないことがあった。

新しく購入したPX-5600の一番の特徴は、なんといってもモノクロプリントがきれいに出来ること。ずっと前からプリンタによるモノクロプリントに恋焦がれてきたが、ようやくたどりついた。ネパールやラダックのモノクロ写真は、この日に備えてすでにデータ化してある。暗室とプリンタの違いはあるが、自分の手でモノクロプリントを作るのはじつに15年以上ぶりだ。いったいどんな仕上がりになるのだろう。

モノクロプリントを作り始めるのはもう少し先。その前に川の写真をプリントしなければ…。冬の多摩川撮影もとりあえず今季はほぼ終了。ひたすら寒かったが、よく撮った。3年撮り続けて川の写真もすっかり定着した。

今回の写真は、ヴァラナシのプジャの光景。これはデジタルデータだが、こんな写真でも、モノクロだと印象ががらりと変わる。

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青梅線

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東京に引っ越してきて9年近く経ったような気がする。東京といえば、やっぱり新宿の高層ビルを眺めたり、上野、浅草あたりの下町を歩いたり、まあ、渋谷なんかはあんまり行かないだろうけど、などなど考えていたわけだが、9年経った今、想像していた感じとはまるで違った生活をしている。沿線に住んでいるので中央線にはあいかわらず乗っているが、次によく利用する路線が西のはずれを走る青梅線となる。遠くに山を眺めながら電車に乗っていると、まるで東京という気がしない。

多摩川の撮影を始めたのが約3年前。以来、何度この路線を往復したことか。そして最近になってさらに使用頻度が増しつつある。とはいえ、奥多摩の山奥まで出かけることはほとんどなく、むしろ少し遠くに山が眺められるぐらいの距離感が一番しっくりくる。ローカルな話題で恐縮だが、駅でいえば、青梅線の中神、昭島、拝島あたり、そして中央線の立川、日野あたりにどっぷりと浸かりこんでいる。東京の川写真はもとはといえばこの周辺から始まって、その後、さまざまな場所を訪れたが、またもやスタート地点に帰って来てしまったことになる。

同じ場所を繰り返し訪れるのはインドの頃から変わらない。というか、初めての海外旅行がインドで、その後、世界中を巡り歩く予定だったはずが結局15年間、インド周辺からほとんど出られなかった。海外撮影は休止しているが、また海外に行くのだったらやっぱりインド以外にはなかなか思いつかない。

インドは諸事情から今は行けずにいるが、多摩川への旅はいつでも行ける。スケールはずいぶんと小さくなったが、その分だけ密度は濃くなっている。

上の写真は約1年前に撮った福生駅(これも青梅線)の夕暮れ。このあたりの多摩川はあまり撮っていないが、これからは足を伸ばすことになりそうだ。川だけでなく、ほかにも気になるものがたくさんある。写真には写っていないが、駅の向こう側には多摩川が流れ、その先には多摩川に流れ込む支流がいくつもあって、さらに向こうに奥多摩の山々が続いている。この先、どんな旅になることか…。

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夜の多摩川河岸

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前回、熊の小説のことを少し書いたが、あれから10日たった今も、繰り返し同じ小説を読んでいる。まるで時間が止まってしまったようだ。3年続いている川の写真がいよいよ佳境に入ってきたというか、あるいは煮詰まってきたというか、よくいえば、無の境地に入ってきているような気もするが、たぶん錯覚だろう。

川での写真は寡黙な世界なのでいつも書くことに困るが、先日、早朝のまだ真っ暗な時間に不思議なものを見た。巨大な流れ星がすぐ真上を、火を噴きながら、そして音をたてながら走っていった。もしかすると隕石が流れていったのかとも思うがよく分からない。

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満月の森を抜け多摩川へ

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昨年末に出版した「tokyo river」、アマゾンでも何日も在庫がない状態が続いていて、本屋でも見ないしで、いったいどうなっているのだろうと不安に思っていたが、思わぬ場所で見つけた。立川駅エキュート(駅ナカ)の書籍コーナー前面のやたら目立つところで、数点の写真プリントを囲まれ大きく紹介されていた。本自体も10冊近くある。立川の本屋さんでパネル紹介するという話は前に少し聞いていたが、まさかエキュートとは思わなかった。暗い夜道をトコトコ歩いて地味に撮り続けた写真たちにようやく(わずかながらも)光が届いたのかと思ってちょっと感動してしまった。

暗い夜道を歩く小さな旅はまだ続いている。火曜日の朝は、満月に照らされた森を抜けて早朝の多摩川へ出かけた。普段なら真っ暗な闇に閉ざされる森が月の光に照らされてほのかに明るい。こんなわずかな光でさえ、夜を歩くものにとってはどんなに心強いことかと思う。50年前、100年前なら当たり前だったことが今はすっかり忘れ去られている。川を朝に夕に撮り歩く日々のなかで、僕は漠然とそんなことばかり考えていたような気がする。

ところで、最近ずっと読んでいる小説がある。開拓時代の北海道で実際に起こった事件をもとに描かれた「熊嵐」(吉村昭著 新潮社)。二日間に6名の人を殺した巨大で獰猛なヒグマ、一個の野生動物に翻弄される数百名の人々と警察、しかしそんななか、普段の粗暴な性格から近隣の村人から忌み嫌われていた一人の猟師がヒグマと対決するべく雪の原野を進んでいく。

小説「熊嵐」についてはまた別に書く機会を作りたいとは思っているが、とりあえず、この小説から感じるのは自然の圧倒的な闇の世界だ。夜目の利かない人間たちは、闇の中に隠れている人食い熊の幻想にひたすら怯える無力な存在でしかない。

今回の冬は、この「熊嵐」を読みながら多摩川の夜の森を歩いている。別に悪趣味のつもりはなく、ただ、この闇を描いた小説からともかく離れられない。

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新年

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あけまして、おめでとうございます。ブログの更新が昨年来、滞りがちになっていますが、今年もよろしくお願いします。

昨年末に出版した写真集は、祝日、週末、そして年末と続いて、まだほとんど流通していないようだ。まだ本屋で一度も見ていない。本屋で手にとって見ないと実感がなかなか湧かない。そろそろだと思うのだが…。

撮影のほうはあいかわらず川通いだ。しかも去年の春からはほとんど近所の多摩川中流、すっかり浮世離れしてしまった。今年は都内の川にも再度通いたいが、いずれにしても川には違いないので、さらに浮世離れが進行してしまいそうなおそれもある。ただ、この3年間はただ撮るだけの日々が続いていたので、今後は写真を見てもらうような努力もしていかないと、と思っている。

上の写真は、霧に包まれた冬の朝の川べり。この季節、太陽が出るか出ないかぐらいの時間帯がもっとも寒く、冷たい川が流れる岸辺近くはマイナス5度近くまで気温が下がることも。

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写真集は明日出版…

写真集「TOKYO RIVER」がネットショップの情報に載りはじめた。書店では、早くて明日というふうに聞いている。写真集自体はすでに届いていて、毎日のように眺めている。小さな写真集だが、パラパラと眺めるにはちょうどいいサイズだ。そして、紙に印刷された写真というのは、やっぱりいいものだと、あらためて思う今日この頃。

写真集の紹介ページをようやく作った。最初はHPのほうに作る予定だったら、最近ほとんどいじってなかったので、作り方を忘れてしまって、結局このブログ上に作ることにした(下の記事)。最近はHP作成にあまり興味が持てず、そんな時間があるなら川に行ってさらに写真を撮りたいと思ってしまう。4年前のサドゥ本のときにはスライドショーまで作ったが、今はとても無理だ。

川の写真は、写真集の編集後もずっと撮り続けている。サドゥ本は、15年におよぶインド写真の終着点となってしまった感があるが、今回の写真集は新たな出発点となるだろう。川の写真を撮ることで、遠くへ行くだけが旅ではなく、遠い世界に思いを馳せることが出来ればどこにいても旅は出来る、というふうに自分の旅と写真を180度転換させることができた。じっさい、旅を喚起させるような光景は東京(圏)のいたるところにある。それをどうやって表現したらよいのかということを今後もずっと模索し続けていきたい。その第一歩となる「TOKYO RIVER」、ぜひ手にとってご覧いただければ思っています。

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「TOKYO RIVER」出版案内

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TOKYO RIVER

無色透明の水が
東京のさまざまな風景を
映しながら流れていた。

川から見る東京は
あるときは遠い過去のようでもあり
またあるときは近未来のようでもあった。

自然と人の営みは
喩えようもなく美しかった。

    (本文より)

46版横、96ページオールカラー 1575円(税込み)
2011年12月21日 彩図社より出版

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写真集「Tokyo River」

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ブログ更新がまたまた滞ってしまっている。今日はお知らせです。

「Tokyo River」という写真集を出版します。2009年から2011年春にかけて撮り続けた東京の川の写真集です。前半が東京都内の川、そして後半が多摩川という構成です。

出版社は前回のサドゥと同じ彩図社。定価1500円(たしか税別…?)、都内では、早ければ今月21日にも書店に並ぶ予定です。

写真集、そして川の写真については、また次回以降でいろいろ書いてみたいのですが、インドでもネパールでもなく、「東京」と名の付く写真集を出せることがなぜかとても不思議な気持ちです。

それにしても、最後のインドから4年半、サドゥ本出版から4年、ほんとに長かった…。


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ガンガーの暗い流れ

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あいかわらずブログの更新が滞り勝ち…。そして久しぶりに写真をアップしようと思うと、またもやこんな写真を選んでしまう。別に気持ちが沈んでいるわけではなく、ともかく暗い川の流れに惹かれるだけの話。インド写真はもう終わりと前に書いたが、もしまたインドに行ったらもしまたインドに行ったらという言葉がときどき頭をぐるぐるまわって、そしていつものように、ガンガーの暗い流れかデカン高原の暗い森を撮るだろうな、という結論に行き着いてしまう。

東京の川の写真はあいかわらずゆっくりとしたペースで続いている。川の写真を始めてそろそろ3年。近く新たな展開があると思うが、詳細はまたいずれ。

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密教仏

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いろいろ撮りたいものがあって困る。いつかやってみたいものののひとつは仏像。ラダックでは各地で密教仏を撮り歩いた。日本でもそんな機会が作れればと思うのだが…。


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山村の記憶

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何か書こうと思ったのだが…。18年前の写真を前にして結局何も書けずにいる。

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遠景

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遠くにボートが見え、その向こうの岸辺にも点々と小さな人影が見える。ヴァラナシでは毎日のようにボートに乗ってガンガーを眺めていた。

最近になって、インドの写真のなかで、本当に好きな写真だけあらためてセレクトしてみようかという気になった。静かで淡々とした写真が多くなりそうだ。

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朝の道

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気分で選んでいるので、似たような写真ばかり続いてしまう。今こういうところに行きたい、という写真ばかりに目がいく。

ところである友達に、過去の写真ばかりでおもしろくない、と言われてしまった。自分でもなんとなくそう思っていたから少し考えてしまった。

最後のインドからすでに4年。最近は地名まで忘れはじめている。

この4年間でインドはずいぶん変わったようだ。これまでのように、過去と同居しつつゆったりと成長するインドではなくなってしまったのかもしれない。もともとインドの古い部分に着目して写真を撮ってきただけに、現在のインドにはとてもついていけないと思う。友達からは、またインドに戻ってサドゥをやってほしいな、と言われたが、それはとても無理、と答えるしかなかった。寂しい話だがどうしようもない。いつか遊びで(あるいはごく短い取材で)インドに行ければいいと思っている。インド写真はもう終わり、というのは身近な人にはすでに話していたが、ブログで書くのは初めて。話の流れでついに書いてしまった。

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野を歩く人

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野を歩く人の野は野原ではなく荒野の意味。ここはだだっ広くて何もないガンガー対岸。写真の上のほうにある点々は鳥の群れが飛んでいるところ。

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好きな風景

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こういう写真を見ると、またガンガーに行きたいなと思う。

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