「週刊新潮」に多摩川の写真

久しぶりのブログ更新…、今日は簡単にお知らせです。昨日(3月14日)発売の「週刊新潮」巻末グラビアで、「多摩川の自然と探ねて」ということで、3ページにわたって写真を掲載していただきました。機会があればぜひご覧ください。

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さまざまな旅

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ハリドワールにて

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一枚目の写真は、パソコン上で開いた記憶すらない。でも今はこういう写真に惹かれる。そして、やっぱり写真はいいなと思う。


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ヴァラナシの街角で

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気ままに街角写真なんて、もう本当に長いあいだやっていない。


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あたたかい夕方の光のなかで

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デリー

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ふと思い立って、デリーの写真をアップしてみた。とはいえ、とくに書くことは思いつかない…。

うちには、まだ未発表のインド写真がわんさかあって、だからといってどこかに持ち込もうという気持ちもすっかり失せてしまったが、まれにインドのことを考えるとき、陽の目を見ない写真たちのことがなぜか気になったりする。インドの写真は旅の延長線だったので、気が向いたときにふらりと街を歩いてたくさんのスナップ写真を撮ってきた。でもそういう写真というのはテーマがはっきりしないので、帰国後はどうしても見過ごしがちになってしまう。ただ、こうしてインドから遠ざかると、ふと思い起こすインドの風景というのは、まったくなんていうこともない、そこらへんに転がっているインドの風景だったりする。

長いインドの旅で後悔というものが少しある。インドの旅自体をもっとたくさん撮ればよかった。たとえば空港や駅でぼんやり待ちぼうけをしているところや、夜行バスからの風景、そして途中で休憩に立ち寄って、めちゃくちゃうまいチキンビリヤーニの店、などなど…。

そんなことをいろいろ考えているうち、このブログについても、さらにインドの写真をいろいろアップしてみたいという気持ちになったりするのだが、なにせこれだけインドから離れているので、さきのことはよく分からない。まあ、ボチボチと…。

今回の写真はすべてデリー。とくに惹かれる街でもなかったが、旅の途中で何度となく(仕方なく)立ち寄った街。でもこうやって写真を眺めると、それはそれでいい街だったなと思ったりもする。

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虎の住む森

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最後のインドから6年近く経った。予定では、サドゥのあとはひたすらデカン高原を旅するはずだったが、今はまるで異なる場所を歩いている。6年前、まさか自分が近所の多摩川にひたすら通い詰めることになるとは想像もしなかった。人生は本当に分からない。

ある人と話していて、「あのままデカン高原をずっと旅していたら、今頃、虎に食べられていたかもしれないね」と言われて、冗談ではなく本当にそうかもしれないと思ってしまった。森を歩くたびに護衛を付けるわけにはいかないから、謎の壁画を探し求めて案内人と二人でふらふらと森をさまよい歩けば、たしかに虎に遭遇する危険は十分にあった。子供の頃から、虎や熊に追われる夢ばかり見てきて、その影響か、インドの最後のほうでは虎のことばっかり考え、特別な目的もないのに、わざわざ動物保護区まで虎を見に行ったぐらいだから、いつか虎を招き寄せるようなことがあっても不思議ではない。

たしか一年前ぐらいにも書いたが、「熊嵐」という小説をいまだにときどき読んでいる。戦前の北海道で、六人もの人が熊に殺された実話をもとにしたものだが、闇にうごめく熊の気配がどうしようもなく恐ろしい。そして「熊嵐」は、夜の多摩川歩きのバイブルのようになっていまった。別に熊に襲われたいわけでもなんでもないのだが、この小説を読めば、本当の夜とは、そして本当の森とはこういうものだ、ということを痛感できる。

話が横道に逸れてしまった、というより、何を書こうとしたのかも忘れてしまったが、とりあえず上の写真について。デカン高原中央部パチマリの森にある先住民の聖地となっている洞窟。この辺りにももちろん虎はいるだろう。そして、ほかにはヒョウもいるし、熊もいる。数年前には、ほかの洞窟で、早朝、人が熊に襲われる事件も発生したという。

(追記)
「熊嵐」について書いた記事へのリンク
http://chaichai.moe-nifty.com/chaichaiblog/2012/01/post-f8b0.html

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週刊新潮「川から見た東京夜景」

本日発売の週刊新潮グラビアに、「川から見た 東京夜景」として、4ページにわたって写真を掲載していただきました。機会があれば、ぜひご覧ください。

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謎の古代壁画

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前回に続いて今回もデカン高原の壁画紹介。ちなみに、この壁画はパチマリという場所にある。パチマリは、以前、ホームページのほうで「デカン高原太古の森パチマリ」として紹介しているが、今回紹介している壁画は、このパチマリを数年後に再訪してさらに奥深くの森を歩いて撮影したときのものだ。

さて、今回の壁画も謎に満ちている。中心の蛮刀を手にして人物は、頭の形からしてたぶん女性だろう。左のダンスしている二人も女性。そして、右下、矢をつがえている身体の細長いものは、これは人間というよりイタチのような動物を擬人化したものだろうか。

もうひとつ気になるのは、蛮刀を手にした人物の下で倒れたような形で描かれている二人の人物。身体つきが普通の人とはちょっと違うような気がする。

パチマリ壁画の紹介は今後もしばらく続けていって、自分なりの謎解きを書いてみたいと思っているが、それにしても、どうしてパチマリの壁画にこれほど魅了されるのか。5年前、サドゥの取材が一段落ついたとき、次はデカン高原、そして森を歩いて未発見の壁画を探してやろうと密かに考えていた。その夢は残念ながら実現できていないし、今後もしばらくは難しいかもしれない。それでも、いつかはそんなことをしたいと思っている自分が今でもどこかにいる。

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首狩りの壁画

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5年前にインドのデカン高原でこの壁画を撮ったときは、これは世紀の大発見かと思ったが、その後、どこにも発表できずにずるずると月日が経ってしまった。

上の壁画はまさしく首狩りの様子を描いたものだ。案内してくれた人の話では、一万年は下らないと言っていたが、5年前の時点で誰も調査をしていなかったので、実際のところはよく分からない。一万年前のものにしては絵が鮮明すぎるような気もするが、その力強い描写には、得体の知れない力がみなぎっているようだった。

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奥多摩小旅行

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奥多摩へ二泊三日の小旅行に出かけてきた。最初は奥秩父に行くつもりだったが、目当ての集落にあった民宿が営業休止になっていたことなどで、旅行数日前に計画を変更した。どうせ山奥に行くのだったら、奥多摩も奥秩父もたいして変わらないか、というのもあったし、なんといっても、奥多摩は、写真のテーマである多摩川流域でもある。

奥多摩小旅行は楽しかった。でも、何度も行っているし新鮮味はあまりなく、物足りなさもあった。ただ、旅行から帰ってきて一日経って、ちょこちょこ写真を整理しはじめると、なにか心にしみこんでくるような不思議な気持ちが今ごろになって湧いてきた。そのひとつの理由に、山の民宿で二泊したのもやはり大きかったのだろう。二軒とも料理が充実していて、これを食べただけでも旅行して良かったと思えてくる。

(追記)

今回の旅行については、川のホームページ「多摩川幻想」のブログで細かく紹介していく予定です。

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「東京リバー」改め「多摩川幻想」

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東京の川のホームページ名を、「東京リバー」から「多摩川幻想」に変更した。さらにトップページは、Gallery1多摩川幻想にし、たぶん、一週間ごとぐらいに1点ずつ写真を追加する予定。Gallery2東京の川については、今は川の名前を列記しているが、今後、もう少し分かりやすい形に変えるつもりだ。

多摩川幻想

「東京リバー」という名前は写真集と同じということでずっと気になっていたし、実際、写真集編集後は、完全に多摩川中心の撮影になっていた。自分の中の気持ちもどんどん多摩川に傾いている。今後はさらに上流、奥多摩方面にも頻繁に足を運びたいと思っているし、ともかく今はすっきりした。そして近いうちに、奥多摩のGalleryも作りたい。

このブログについては、これからもインドの写真を中心にアップしていくことになりそうだ。当分は思い出ブログのような形だが、まあそれもいいかなと思っている。

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天空の里

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今、身近な小旅行を検討している。いろいろ調べているうち、「天空の里」と呼ばれる、ある山里の存在を知った。ある人は、そこはまるでネパールのようなところだよ、と教えてくれた。ネットで画像検索をしてみると、たしかにネパールのようだ。まあ「天空の里」という表現はちょっと大袈裟かなと思うが、とりあえず行ってみよう。

「天空の里」についていろいろ考えているうち、ネパールの写真を眺めたくなった。とはいえ、当時はあまり風景を撮らなかったし、スキャンしてある画像もわずかだ。上の写真はその一枚。そこは東ネパールの斜面に沿って作られた村である。しかし、「天空の里」という表現は当たらない。夜になって、その村から上の尾根を見上げると、昼間には見えなかった家の灯りが、はるかに聳える山の上のほうにいくつも見える。

そういえば、昔、ネパールの山村を歩いていて、いつの日か、人を撮らずに、ひたすら山村の風景を撮り歩くような旅をしてみたいと思ったことがあった。そのうち本物の「天空の里」を探しに、ネパールの山奥深く入ってみたい。


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黄昏れる海と幻の寺

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昔から、自分でも呆れるほど似たような写真を撮り続けている。太陽が沈んで一度は暗くなった空がだんだんと赤くなり、遠くの風景がなんだかあの世じみて見える幻想的な黄昏。真っ赤な夕暮れは、臨界点を越えると今度は一転して、またたくうちに暗く沈みこんでいく。こういう風景を見ると、どうしても写真を撮らずにはいられなくなる。

黄昏、そして夜明け前の薄明の時間を撮りたくて、3年半かけて川を撮り続けてきた。もし海の近くに住んでいたら普通に海を撮っていたことだろう。いつかは岬の突端に住んで、朝夕の海と空をひたすら眺めたいと思ったりもする。

上の写真はインド最南端、カニャークマリの黄昏。雨模様の空だったが、夜の間際になって、はるか彼方の地平線の辺りが真っ赤に染まり始めた。手持ちの望遠レンズを目一杯伸ばしてファインダーをのぞく。すると遠くの岬のさらにその奥にヒンドゥー寺院の塔か、あるいは大聖堂のようなシルエットが見えた。でも、この近くにそんな大建築があるという話は聞いたこともない。あれはいったいなんだったのだろう…。


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河原者サドゥ

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上の写真は、ガンガーを背にふてぶてしく寝転ぶサントスナートババ。彼は今もガンガー上流近くをぶらついているらしい。

多摩川のことを考えているうち、久しぶりにサドゥの写真が見たくなった。風景ばかり撮っていて、そのフラストレーションが溜まってきたともいえるし、また、3年半、川を追い続けて、ようやく自分が探していた川の姿が少しずつはっきりと見えてきた、というのもある。ただし、理想の川の風景には、やっぱり河原者サドゥがいてほしい。

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幻想的な風景

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川のホームページ「東京リバー」からこちらに帰ってくるとやはりほっとする。なにしろ10年近くやっているし、安心感から、思ったことを素直に書きやすい。前回、ツイッターを始めたと書いたが、こちらはそれこそ何を書いていいか分からず、ひたすら更新情報の羅列に終始している。

ところで、川のホームページを作ってみて、いまさらながら、どうして川なのか、そして川の写真を撮ることで何を表現したいのか、といったことを考えてしまうようになった。

たとえば、昔から地理や地図が好きで、それも川の写真を続けるひとつの理由であるのは間違いないが、それが一番の理由かといえば、ちょっと違うかもしれない。それよりも、子供の頃に、「やま」と勝手に呼んでいた広大な荒地で遊ぶことが日課となっていて、そこから、夕暮れになると、反対側の山の端に沈む夕陽を眺めながら家路を急いだ遠い記憶が、たぶん大きな要因になっている。多摩川から眺める夕暮れの風景、奥多摩の山の端に沈む夕陽が、子供の頃の記憶に幾重にも重なっていく。

子供の頃遊んでいた「やま」は、傾斜地に作られた住宅街のさらに上に広がる、たぶん、住宅造成予定地を途中で放り出してそのままになった荒地であった。そのため、「やま」には生活感がなかった。あるのは荒地と砂地と草むらと沼と崖、そして大きな空と自由だった。三つ子の魂百までといわれるが、多摩川に求めたのはまさにその「やま」の記憶だったように思う。

「やま」と多摩川のあいだにはもちろんインド、ネパールがある。都市だけでなく、地方の片田舎もずいぶんと歩いたが、生活感のあるような写真はほとんど撮っていない。ネパールではひたすらノスタルジアな世界を探し続けたし、インドではガンガーやデカンの聖地をぶらつき遊んでいた。付き合いのあったインド人のほとんどが修行者や放浪者といった、日常から遊離した自由人たちで(悪くいえば無能者…?)、何を教わったというわけでもないのだが、彼らを通して僕は、非現実的な幻想の世界を垣間見ることが出来た。5年半前のインド最後の日、空港で隣り合わせたあるインド人から、「あなたは裏のヒンドゥー世界を見てきたんですね」といわれたのをどうしても思い出す。そのときは、「そういう人だと思った」といって、わざわざ彼から声をかけてきた(もちろん彼も裏の人だった)。

あれから5年、今は多摩川のほとりで一息ついて、川のホームページも開始した。これを作るに当たって、まず思いついたコンテンツが「多摩川幻想」だった。「幻想」という言葉に少し躊躇したりもしたが、やはりこれだけは必要だと考え直した。多摩川を撮っているのはもちろん川や地形のお勉強のためではなく、その風景を通して、日本人が古くから育んできた幻想の世界を垣間見たいという気持ちからだった。

日本にも、かつては多くの放浪者がいたという。彼らは山から山へと斜面を伝うように歩きまわり、そして平地では人目を避けるように川沿いを移動した。放浪者たちはときに川に集い、さまざまな文化を産み出した。しかし多くは無名のまま旅を続けた。

多摩川の幻想的な風景を眺めるたびに、僕は彼らの幻影をいくつも見出してきた。ただし、写真に写るのはその風景だけだ。幻想的な風景だけを手がかりに、どうやって彼らの幻影を伝えていけばいいのか、などと考え少々途方に暮れたりしている。


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ツイッターを始めてみた。

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川のホームページ「東京リバー」開始にともなって、ツイッターを始めてみた。そして、このブログの右サイドバーにもなんとか貼り付けてみた。

とりあえずは、記事の更新情報とリンクだけで、それ以外に何を書くかはまったく未定。今日は川に行ってきた、とか、今日から彼岸の入り、とか、インドが恋しい、とか書けばいいのか…。

そういえば、今日は居酒屋のBGMである音楽を聴いた途端に、ガンガー源流の風景が鮮明に甦ってきて、ついでに涙があふれ出そうになって困った。飲みすぎだとは思うが、最近、そんなことが立て続けに起こっている。心の奥深い場所で密かにインド病が進行しているのかもしれない。

川のホームページはタイトルで悩んでいる。多摩川という言葉を入れたくて、サブタイトルのような形で、「多摩川のほとりから」と付けてはみたものの、やはり収まりが悪い。

さて今日の写真は、ツイッターの画像にも採用した早朝の霧が立ち込めた河原。といっても、これは多摩川のほとりではなく、ガンガーのほとり。やはりインドを引きずっている…。

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ガンガー

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久しぶりにインドの写真をアップしたくなった。そしてインドといえばやっぱりガンガー。早朝真っ暗なうちから河原に降りて写真を撮るという習慣もガンガーから始まった。

アラハバードに滞在していたときは、毎日のように朝4時ぐらいには起きて行動を開始していた。バススタンド前あたりでサイクルリキシャをつかまえ、サンガム入り口まで真っ暗な街を20分ほど走り、土手の手前から、赤い灯のともる広大な河原をさらに15分ほど歩いて川べりを目指した。

そんなことをいろいろ思い返すと、ほんとに懐かしく、ちょっと信じられないような気分になる。

東京で川の写真を撮り始めて3年半。東京は東京、インドはインドと思ってはいたが、ふと立ち止まって考えれば、やはりどう考えても、東京の川写真はガンガー写真の続きなのかもしれないな、と思ってしまう自分がいる。だから多摩川にしても荒川にしても、好き好んでいくような場所はどこかインド臭がする。

ただ、ガンガーと東京の川は決定的に違うことがある。ガンガーならこんな場所に聖地があるはずだ、と思うようなところでも、東京の川だとそこは何もない荒野になってしまう。荒野は好きなのでそれ自体は問題ないのだが、その荒野にサドゥや巡礼者の姿はまず見られない。正直言って、それがちょっと寂しいと思うことがあり、気がつくとガンガーのことを思い出していたりする。

というわけで、いろいろ思うところはあるのだが、東京の川のサイト「東京リバー」は、少しずつ更新を続けています。こちらもぜひ見ていただければと思っています。

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川のホームページ「東京リバー」

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すっかりご無沙汰してしまった。ここ数ヶ月間、いろんなことを試してみたり、考えてみたり、あるいは忙しかったりで、ブログを書く余裕がなかった。そしてさまざまな試行錯誤の結果、というか、まあ当然行き着く先として、川のホームページを作ることにした。

川のホームページは、とりあえず立ち上げた、といった感じ。写真はすでにそこそこの数をアップしたが、テキストはまだほとんどない。どんなことを書いたらいいのか、今も思案中。

「東京リバー」

前の記事のコメントにも書いたが、植物写真は中止した。そしてまた(ボチボチだが)川に舞い戻っている。川ではまだ撮りたいものがいくらでもあって、今の希望としては、もう少し川の近くに住みたい(河原に住めば、といわれることもあるがそれはちょっと…)。

インドについてはあいかわらず予定がない。来年1月から2月には、またアラハバードサンガムにクンブメーラがやってくるが、これも行かない。6年の歳月はやはり長くて、今、クンブメーラに行っても、わがままサドゥに張り付いて写真を撮ろうという気にはならないだろう。インドに行くことがもしあったとしたら、やはり風景を追いかけることになると思う。いつかそんな日がくるような気もする。

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久しぶりの更新

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新しい写真がはじまったので、ブログのことを忘れてしまっていた。前回にも書いた植物に関して、とりあえずあるテーマに沿って撮影をはじめてみた。まだ10日ちょっと撮っただけだが、感触はとてもよくて、川に続いてこれも長続きするような予感がある。長らく次の一手が踏み出せずにいたのでちょっと一安心。あとはともかく撮るだけ。

川に続いて植物の写真が加わり、インドはさらに遠くなった。思い出すこともあまりなくなったが、ふとよみがえるのは旅の光景。列車やバスで移動していたときのことや、どこかの道を歩いていたときのこと、チャイ屋でぼうっと外を眺めていたときのこと、それから、インド行きの飛行機を待っていた時間のことなど。もう少し、旅そのものを撮っていればよかったかなと思うこともある。1500日も旅してこんなことを書くのも変だが、もっとゆっくりと、旅の時間を過ごせればさらによかった。

植物の写真をはじめた一番の理由も、川にいたる道々に、こんなにもいろんな風景があるのにそれを撮らないのはもったいないな、ということだったかもしれない。だから最近は数百メートルの道のりを数時間かけて歩くこともある。全然前に進めないよ、と途方に暮れるぐらいが今の自分にとっては幸せな感じがする。というわけで、今年も多摩近辺をうろうろすることになりそうだ。

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